第10話 以仁王の乱

 そもそもの発端は、都で勃発した【以仁王もちひとおうの乱】であった。


 今を時めく六波羅ろくはら平氏へいし――これを特に尊称して、人は【平家へいけ】と呼ぶ――その平家政権の横暴に対し、皇室の王子、以仁王が反旗をひるがえしたのだ。


 全国に平家追討の令旨りょうじが発布され、頼朝もこの命令書を受け取った。

 だが世情はどう動くかわからない、軽々しく尻馬に乗るのだけは控えたい。

 なお慎重に、かれは世の動静を見守った。


 五月さつき二十六日、以仁王側の敗残によって、乱は幕を閉じた。

 首謀者であった以仁王、及び、源頼政みなもとのよりまさ仲綱なかつな親子が討伐された。



 この仲綱――伊豆守いずのかみ源仲綱の家来に、工藤くどう五郎親光ちかみつという、いくさ慣れした四十すぎの男がいた。

 兄の四郎とともに平家の重囲を逃れ、故郷の伊豆を目指したが、兄四郎のほうは逃避行のさなかで命を落とした。

 反乱の炎は、まさにこの男によって伊豆国に飛び火した。





 五郎親光が命からがら帰ってきたのを見て、老父、工藤茂光もちみつは考えこんだ。

 もちもちと肥え太った巨大漢である。

 肉厚のまぶたを閉ざし、顎の下に垂れた肉を指で弄んだ。


 工藤家は、源仲綱の家人と知れている。

 いずれ平家は工藤を潰しにかかるだろう。

 隣領には三戸みとや伊東といった敵対勢力もいる。

 伊東は同族ではあるが、油断のならない相手である。

 この機に乗じ、工藤を乗っ取ろうとするかもしれない。


 茂光にとって、五郎親光はかわいい息子である。

 平家に引き渡すわけにはいかない。

 主筋である源頼政、仲綱親子の旧恩に報いたい思いもある。

――工藤家はどうすべきか――果たして反平家に光明はあるだろうか。


 五郎親光は戦落ちの勢いそのままに、頼政仲綱親子に恩ある者たち、有志を集め、反平家運動に奔走しはじめた。

「以仁王殿下は生きてらっしゃる」「伊豆守いずのかみ殿はご健在だ」などと闇雲に吹聴し、手当たり次第に反平家の火をつけて回ろうとした。

 しかし、いかんせん、都から遠く離れた田舎の人々の腰は重く、熱はあがらず、たいしてうまくはいかなかった。


 かれは、父茂光に相談した。

御曹司おんぞうしを旗頭に立て、兵を募ります」

 伊豆には源仲綱の子息、有綱ありつなが生存していた。

 その息子を担ぎ出そうというのである。


「待て」

 と言って、父殿は重々しい態度で、先走る息子を制した。

「御曹司は、若すぎる。それに残念ではあるが、海千山千の武人たちをなびかせるような器量をもちあわせてはおらぬ」

「ではどうすれば」

 うなずいて、茂光は答えた。


「……北条に、義朝よしともの子がいる」

兵衛佐ひょうえのすけかっ」

「左様。立てるとすれば、かの者しかあるまい。かれであれば、坂東中の武者たちを巻き込める。かの者が伊豆に生かし置かれてあったのは、まさにこのような時のため」

 卓見であった。





 すぐさま工藤親子は北条を訪れ、さきの兵衛佐……頼朝と密談した。

「どうかこの機をもって、挙兵していただきたい。われらが全面的に後押しさせていただく」

 工藤は伊豆の名門であり、大きな牧も所有しており、馬も用意できる。

 ……なお慎重に、おし黙ったままの頼朝に対し、親光はやいばを突きつけるように言った。

「都では、以仁王殿下の討伐する話がもちあがっております」

 これを聞いて、頼朝は青ざめた。


「あなた様は、八幡殿のご正統、源家のご嫡男。その血脈をもってすれば、必ず人は集まりましょう。討伐される前に、挙兵するのです」

 ゆっくりと蜜を流し込むように、茂光は説諭した。

「佐殿、今のわれわれにとって、あなただけが希望の光なのです」

「『くだらぬ流人ばら』とさげすまれさえする、この私を……必要としてくれるのか」

「左様。あなたは想像しておられなかったかもしれませんが、あなた自身が思う以上に、あなたを必要としている者がたくさんいるのです」

 巨大漢の茂光が、頼朝の目をじっと見つめ、重々しくうなずいた。


 頼朝の脳裏には、伊豆山で授かった藤九郎の夢がまぶしい光となってひらめいた。

 夢のなかのかれは、足柄山に腰かけ、悠然と高空を見あげていた。

 ……この日より、頼朝は挙兵にむけて奔走しはじめた。

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