第6話 景義、頼朝を励ますこと

 すらすらと説かれる夢解きの言葉に、頼朝は、夢見心地に目を細めた。


「酒を飲む……というのは?」

「酒は『一旦、酔いを成し、ついには醒める』の意。今、佐殿は酔いのうちにおられます。三度召しあがられたということですから、酔いから醒めるのは三月みつき後、あるいは三年後」


「酔いから醒めると、どうなる」

 と、頼朝は身を乗り出した。

「ふむ、そうですな……。酔いから醒めた時……その時にこそ、あなた様は真実ほんとうのあなた様になられるのです」

「真実の私……?」

 茫然とつぶやいて……頼朝は沈思した。


「おもしろい夢解きね。信じますわ」

 於政とれんは、手をとりあって喜んだ。

 朝な夕なに行なっている伊豆山権現への祈りが、通じたように思えたのだ。

 期待に胸ふくらませる人々の明るい視線が、おのずと頼朝の顔の上に集まった。

 ……しかし当の本人はといえば、苦い戸惑いの表情……やがてため息まじりに肩を落とした。


「まあまあ、みなの衆、すこし落ち着くがよい。私は一介の流人るにんだ。領地もない。財もない。郎党も養えぬ。私の御殿ごてんは、このゆかの低い、雨漏りする山賎やまかつ古屋ふるや。名のある伊豆の人々からは目の仇にもされている。

 いったいこのような状況で、どのように大将軍になるというのだ? 大将軍どころか、一人前にさえなれそうもない。

 流人の生活も今年で、はや二十年を数える。二十年だぞ? 信じられるか? 時の経つのはなんと早いことか……。

 いつのまにやら気がつけば、私も三十三。世に、人生は四十年という。私の人生も、もはや終らんとしている……」

 そう言って、かれは深々とため息をついた。


 この落胆ぶりに、みながみな、なんと答えてよいやら言葉に詰まってしまったが、景義だけは、ひとり微笑むと、頼朝を励ますように一語一語に力をこめた。

「三十三――まだまだお若い。人生のお楽しみはこれからですぞ。伊豆山というこの霊験の地で、このように不思議の夢をお授りあそばしましたからには、御自分の内に秘められたる力を信じ、お心を強くもち、自分を磨くことを忘れてはなりませぬぞ」


 しかしながら頼朝はうつむいたまま、肉の痩せそげた無精ひげの頬を、力なく左右にふるばかりであった。


 景義は両の眉を、大きくあげた。

「元気をお出しなされ、佐殿。この吉夢をお祝いして、わしがひとつおもしろい趣向をご覧にいれましょう」

「趣向とな?」

 頼朝はやや、視線をあげた。


 景義は、うなずいた。

「この景義、見てのとおり、左脚が不自由でござります。ようやく歩けるだけでも、奇跡のようなもの。しかし、もしこの脚の利かぬ景義が馬にまたがり、自在に操るとしたら、少々おもしろい見物みものではござりませぬか」

「おお……そなた、今でも馬を?」


「はい。しかもその上、馬上にて手綱たづなから両手を離し、弓を引き、的を射通したならば、もっとおもしろい見物となるでしょう」

「そのようなこと……まさか、できようか」


「よろしければ、明日、ご覧に入れましょう。海沿いの平地にほどよい場所を見つけ、馬を駆けさせますれば」

「おもしろい、『流鏑馬やぶさめ』だな。……都の昔が偲ばれる」


 流人の殿はようやくのこと、笑顔を見せた。

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