第2話 景義、葛羅丸と歩くこと

 景義は背後をふり返り、荷馬を引く従者に大きな声を張りあげた。


「急げ、葛羅丸かずらまるよ。おまえさんのようにノロノロ歩いていたのでは日が暮れてしまうぞ」


 葛羅丸はむっつりとおし黙ったまま、不平そうに鼻を鳴らした。

 無理もない。

 主人を気遣い、歩調を合わせて、わざとゆっくり歩いていたのである。

 そんな従者の心の内を知りつつも、景義は聞こえよがしに言うのだった。


「なんじゃ、そのように鼻息を荒げおって……。ふむ、なに? 『自分は悪くない。おまえさんの足が遅い』……そう言うのだな。……いかにも、いかにも、わしの足は遅い。だが片脚とはいえ、わしだってわしなりに、こうして頑張っておるつもりなのじゃ。おまえさんは意地悪を言う……あふっ」


 木の根のでっぱりに体勢を崩した主人あるじを、葛羅丸は腕を伸ばし、しっかりと抱き止めた。

 その腕の、なんと太いことたくましいこと。

 見あげるばかりに大きい身の丈は、七尺を超えるだろう。


 頭の上半分を襤褸ぼろ切れの覆面でおおい、ふたつの穴からぎょろぎょろと、目玉ばかりをぎらつかせている。

 顔の下半分は、黒々としたこわい髭を、やしほうだいに生やしている。

 ごわついた獣皮の衣服をまとい、片手にむんずと大弓を握っているなりは、さながら深山の狩人のよう。

 景義が背負うのに倍する大きな葛籠を、軽々と背負っている。


 ――片脚をひきずる老人と、それに従う覆面の大男――主従、異様なふたり連れであった。


 景義は息を荒げながら、それでもおしゃべりをやめない。


「……そうかそうか、『しゃべってるヒマにしっかり歩け』と言うのか。確かにおまえの言うとおりじゃよ。だがよくよく考えてもみよ。おまえは口がきけぬ。だからわしはおまえの分まで喋っておる。なんと家来思いの主人であることか。

 その代わり、わしは左脚が利かぬ。だからおまえはわしの左脚の分まで働く。こんな麗しい主従愛が他にあろうか。のう、葛羅丸よ……」


 こんなふうな馬鹿馬鹿しい主人のおしゃべりには、葛羅丸は馴れっ子で相手にもしない。


「見てみよ。あそこでましらどもが、わしらを笑うておるぞ」


 景義がゆびさした先から、水の流れの押し寄せるがごとく猿の一群が斜面をくだってきた。

 枝々をわたり、岩の上で休みやすみ、次々に移動してくる。


 あわてものの子猿が一匹、ふいに枝から転落した。

 葛羅丸はこれを片手で受けとめるや、お手玉でも放るように群れに投げ返してやった。

 すると子猿は勢いあまって別の子猿にぶつかって、仲間どうし、豆がはぜるような勢いでけんかをはじめる。

 あまりの愛らしさに、主従は思わず足を止め、目をほそめた。

 ……葛羅丸の長いまつげに覆われた目玉が、明星のごとく、覆面の奥で生き生きと瞬いた。


 朝まだき、清澄なる光――

 目ざす山家は、もう近い。


 葛羅丸が、手拭いを差し出した。

 景義はそれを受け取ると、顔中の汗をふき、返しながら言った。


「『気が利くでしょう?』……と言うのか? ふむ、しかしまだまだ……」


 葛羅丸はみなまで言わせず、すっと、水の入った竹筒を差し出した。

 景義は受け取り、口中を湿らせてから、葛羅丸をちらりと見た。


「『私ほど役に立つ郎党はおらぬでしょう?』……と言うのじゃな。さて、どうじゃろう。わしは思うのだが……」


 そのおしゃべりを止めるように、葛羅丸はっと、鈴なりに花のついた馬酔木あせびの枝を差し出し、景義の体のまわりをはたいた。

 花の香りを、移しているのである。


「確かに、お前さんは、よく気が利くよ」


 ついに認めて、景義は心地よげに笑った。

 そして葛羅丸の手から花枝を取り、かれの体を、はたいてやった。

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