第3話 景義、山家に着くこと

 一歩一歩……いや、半歩半歩……

 山道を登ってきた景義の目に映ったのは、おおよそ次のような光景である。


 庭の片隅で鬼武おにたけという、名前どおりのいかつい雑色ぞうしきが、むっつりとおし黙って薪を割っている。

 庭といっても垣根もなく、なんの手入れがされているわけでもない。

 ただただ自然のままに、梅の花が咲きこぼれ、馬酔木あしびの白い花がこんもりうずたかく、あふれ咲いているだけである。


 ふたりの烏帽子えぼしの男たちが日だまりの切り株に腰かけて、長弓を手に談笑している。

 ひとりは、藤九郎とうくろう盛長もりなが

 腹の出た四十すぎの男である。

 世慣れたふうで、愛嬌がある。


 もうひとりは、盛綱もりつな

 精悍な顔つきの青年だ。

 ふたりは弓弦ゆづるの張り具合を試したり、お互いに弓を構えあってみたり、弓術の談義に熱中している。


 日差しの下に、若い女たちの、ほがらかな唄声が響いている。



四方よも霊験れいげんどぉころは?


伊豆の走り湯

しなののとがくし

するがのふじのやま

ほぅきのだいせん……


丹後たんご成相なりあいとか?


とさのむろぅと

さぁぬきの

しどのどぉじょぉ

とこそ聞け



 縁側に、女がふたり腰かけている。

 膝に幼児を抱いている若い母親は、於政おまんといって、よわい二十三。

 鼻筋が通り、頬がふっくらとして情味がある。

 母と児はそっくり、判で押したように同じ顔をしている。

 子が親に似ているというよりは、むしろ於政のおもざしが、どこか童子のように、きよらである。


 膝の女童めのわらわは、数え三つばかり。

「ああ、ああ」と言って、まだまだ言葉もろくに喋れない。

 いたいけな瞳には、行ったり来たり飛び跳ねる小石のお手玉が日輪や月輪に見えるのか、そのちいさな宇宙をつかもうと、懸命に短い腕をさし伸ばす。


 幼い手から逃げるように、お手玉を投げあげているのは、侍女の、である。

 幼な子には、母のぬくもりも、れんの溌剌とした面影も、大なる霊山のごとく感じられたであろうか。


「こんなふうに遊んでいると、わらわの頃を思い出さないこと?」

 於政が問うと、れんはホホと笑い、手を休めて言った。

「あなた様はお手玉が、おヘタでしたけど」

「そんなこと、ないわ」

「じゃ、やってごらんなさいませ」

「見ててごらん」


 娘を、れんの膝に乗せ替えると、於政は袖をたくしあげ、颯爽と石を構えた。

「いずのはしりゆ、しなのの……ア」

 玉はひたいにぶつかり、袖に絡まり、あっというまに縁の下に消えてしまった。


 弾けるれんの笑い声に、「もう」と於政は頬をふくらませ、ため息をついた。

「お前は気楽でいいよ。今のわたしは、呑気に遊んでる気分じゃないのさ」

 眉根を曇らせた於政は、ッと立ちあがると、身を屈め、翡翠色の小石を探した。

 けれど、どこにも見つからない。

 あきらめもつかず、暗がりに手を伸ばしかけたその時、聞き覚えのある野太い声が、背後から飛びこんできた。


「みなさま、ごきげんよう。お山の上に、爺やが春を届けに参りましたぞ」

 急ぎふり返れば、そこには杖の老人が、前かがみの姿勢でゆっくりゆっくり、山道を上がってくるところだった。

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