第72話 豊田次郎、考えること
一族の者たちも、郎党雑色たちも、群衆の向こうにいる族長の景義を、真剣な表情で見つめている。
族長が、景親と陽春丸を必死に弁護する声を聞きながら、かれらは思った。
(もし自分に嫌疑がかけられたならば、この人は、こんなに懸命になって、守ってくれるのか……)
かれらは思わず、拳を握りしめた。
(……であれば、われわれもこの人を、絶対に見捨ててはならない)
族長にむかって、はかないながらも声援を送りつづけた。
若い実正などは、議論の途中から熱くなってしまい、すでに『厳命』を破り、景義の背後に寄り添い、その背中を支えている。
(もし兄がいなかったら……)
と、豊田次郎は、考えた。
もしも次郎自身が族長であったならば、自分は弟を、三郎景親を、見捨てていただろう。
たくさんの御家人たちの反感を買ってまで、意見を主張する勇気は、自分にはない。
もしそうであったなら、この親子のために弁護する者は、誰もいない。
誰にも見返られずに、この親子の命は、哀れに、ひっそりと消えていっただろう。
もし自分が、三郎の立場にあったら、どうだろう?
三郎は今、どんな気持ちでいるのだろう?
誰ひとり守ってくれるものない、誹謗中傷の嵐のなかで、かれを背に守って、ひとり奮闘する兄の声を、どのように聞いているのだろう?
昨日、兄景義は、次郎にむかって言ったのだ。
「三郎は弟じゃ。陽春丸は甥子じゃ。わしひとりくらい、味方してやらなくて、どうする」
今もなお、群集のあいだから、景義に対する非難が飛び交っている。
(兄者……兄者は馬鹿じゃ)
次郎は、群集の背中を見つめながら、ぼろぼろと涙をこぼした。
(――だが、わしは、兄者が大好きじゃ)
◆
三郎景親は、目を伏せ、唇を噛んだまま、検断の行方に
なおも論を駆使し、人々の情を動かそうとする兄の言葉が、罵声のなかにむなしく吸い込まれてゆくのを、ただただ虚しい気持ちで聞いていた。
この場を支配しているのは、残念ながら、論ではなかった。
理でもなかった。
憎悪と復讐のうす暗き情念のみが、嵐の如くに吹き荒れているのだ。
景親は無意識のうちに、陽春丸の小さな体を、背にかばっていた。
(陽春丸を守らねば……)
それは父親としての、強い思いだった。
陽春丸の弁護をしなければならない……そうも思った。
しかし、自分を
……それどころか、幾度も幾度も、意識を失いそうなほどに、心が弱った。
打ちのめされた。
それでもただ、黒雲から差し込む
兄景義の、鍛えられた、つわものの声。
……力強い、信念のこもった、まっすぐな声。
その声が、景親の思いをすべて、余すところなく、代弁してくれていた。
(兄上……もうよい……もうよいのです)
兄に、もうこれ以上、迷惑をかけたくなかった。
胸の底が、熱かった。
熱い感謝の思いが、景親の胸を、焼いていた。
景義の必死の弁舌は最後の最後まで、人々の心には届かなかった。
「……それすらも許されぬとはッ。
歯噛みし、拳をふりあげ、激しく身を悶えさせる景義を尻目に、宿老のひとりが声を張りあげた。
「裁断は、すでに『
わっと雑兵たちが罪人を囲もうとするなか、景義は弟親子を守って引き下がらない。
「なれば……なれば……」
と、しつこく食らいつく景義の態度に、誰もが呆れ果てた。
「ならぬものはならぬぞ。これ以上なにを求めるか、大庭のッ」
景義が顔をあげた時、その顔は憤怒のあまりに、どす黒く染まっていた。
「赦免かなわぬというのであれば――景親と陽春丸がことは、どうかせめて、わが手にて首を落とさせていただきたく、お願い奉りまする」
いっそうのどよめきが巻き起こった。
誰も、反対する者はいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます