第71話 豊田次郎、検断を見守ること
広庭の後方の目立たぬ場所で、豊田次郎は
次郎の顔は、青ざめ切っていた。
「兄者……兄者は、馬鹿じゃ……」
かれは、力なくつぶやいた。
兄は、どこまでも、冒険的理想家であった。
現状に満足せず、つねに自分の理想を追い求めつづける。
……それに反して、次郎は冒険的ではない。
理想家でもない。
兄の行動はつねに、次郎の想像を絶していた。
――昨日、景義は、鎌倉一族をすべて召集した。
そして、全員に向かって、告げたのである。
「明日、景親と陽春丸の、検断沙汰がある。裁定はおそらく、『梟首』じゃろう。その時、わしは、かれらの助命を試みるつもりじゃ」
「なんとッ?」
一族郎党、みながどよめき立った。
次郎は、わななきながら言った。
「……しかしそれは、御家人たちの大反対を受けることは、火を見るより明らか……」
景義は、うなずいた。
「そのとおり。わしは非難されるじゃろう。しかしこれは、どうしてもやらねばならぬ。理由はみっつ。
ひとつ……降人を斬ることは、わしの、つわもの魂に反する。
ふたつ……こたびの戦、わしと景親との間には、約束があった。勝ったほうが、命を預かるとな。
みっつ……若い頃、景親は、わしの命を救ってくれた。その恩義を、今、返す」
「……」
景義の決意を聞いて、みな、黙り込んでしまった。
「戦は終わった。……であれば、景親はわしの弟であるし、陽春丸は甥である。わしが一族の長となったからには、縁者も、郎党雑色も、誰ひとり見捨てぬ。みな、協力してくれ。どうじゃ、次郎?」
「無論、わしは、兄者についてゆく……」
そうは言ったものの、次郎の心は混乱の極みにあった。
景親の助命嘆願をすれば、轟々たる非難が巻き起こるだろう。
その後は、どうなるのだろう?
……次郎には想像もつかなかった。
「実正は、どうじゃ?」
大きな体をふんぞり返らせた実正は、切れ長の一重まぶたの瞳を、鋭く景義に向けた。
「三郎伯父は、石橋山の仇ッ。兄、正光の仇じゃッ」
「ふむ……」
「……だが、俺も一匹のつわものよ。勇気を出して降参してきたやつを斬るような、ケツの穴の小さい真似はしたくない」
「実正……」
「腹をくくって、平太の伯父上に、すべて任す」
実正は、ず太い両腕を組み、唇をへの字に曲げ、後は一言も発しなかった。
「ィよし」
景義は、うなずいた。
「明日、最終的に、梟首の裁定が覆らなければ、いたしかたがない。わしは自分の手で、景親と陽春丸の首を斬る。
そこだけは、他人まかせにはできぬ。わし自身が責任をもって、かれらの命を引き取ってやることが、かれらに対する、せめてもの償いじゃ。このこと、理解してくれるな?」
全員が、うなずいた。
「もうひとつ、大事なことがある」
景義が言って、一族の視線が集中した。
「まかりまちがえば、景親を弁護するわしにも、罪科が及ぶ可能性がある。もしわしが首を斬られることになったら、次郎、お前が鎌倉一族を率いるのじゃ。わしの家族と、郎党雑色を、よろしく頼むぞ」
「兄者……」
事の重大さにふるえ、次郎は真っ青になった。
景義は、つづけた。
「……明日の検断の際には、豊田の者どもも、宇佐美の者どもも、わしから遠く離れた場所に陣取れ。そして、わしとは関係のないふりをして見ておれ。お前たちに、罪科がふりかからぬようにな。これは、厳命ぞ。よいな」
……そういうわけで、今、豊田次郎は、兄から遠く離れた場所に立っている。
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