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2023年6月12日 17:23
悪四郎が、自害しようとする頼朝を止めるところ、涙が出ました。息子を失いながらも、まだ生きながらえている老臣。ここで大将が自害しては、息子たちの死はなんのためか? という親心が突き刺さります。頼朝には仇を討つ息子がいないだろう、というのは何とも論理的な説得。ここで頼朝が敗走を選ぶ展開に納得です。だけどしんがりの兵たちの死がつらい・・・前回は、髪染めについてお答えいただき、ありがとうございます!今回も質問なのですが、しんがりとして亡くなっていった武士たちの名前も史実として残されているのでしょうか?戦の混乱の中にあって、誰がどんな武徳を立てたか記録されているのかな、と思いまして。でもそれなら、亡くなっていった武士たちも名誉の死として浮かばれるな、と感じました。
作者からの返信
コメント&ご質問、ありがとうございます!!幕府の公式記録集『吾妻鑑(あずまかがみ)』が、第一の資料になります。そのほかに、『平家物語』諸本……これは筆写や口伝えで伝えられてきたもの……こうした文献や、奇跡的に残った書簡などの資料、各地の史跡に残っている口碑などから、史実が造られてゆきます。名前が残っているのは一部で、多数の無名の武者がいます。その武者の下に、また、多数の郎党雑色がおります。また、敗残者の記録は残らずに消されてゆきますし、紙の記録類は、歴史のなかで、どんどん燃えて、朽ちて、消えてゆきます。……そう考えると、たとえば、しんがりで亡くなった、記録に残っている「宇佐美正光」という名は、他の犠牲者たちのすべての象徴と考えられるわけです。氷山の一角なわけですが、「宇佐美正光」という名は、氷山の頂上で、白く輝いている。その水面下に、多数の犠牲者の山が、眠っているわけです。われわれは、その白い氷山の輝きにむかって、両手を合わすことになります。氷山全体への思いをこめて。……こんな答え方で、よろしいでしょうか?(笑)ご質問、ありがとうございます……お気軽に、ご質問ください^^
悪四郎が、自害しようとする頼朝を止めるところ、涙が出ました。
息子を失いながらも、まだ生きながらえている老臣。
ここで大将が自害しては、息子たちの死はなんのためか? という親心が突き刺さります。
頼朝には仇を討つ息子がいないだろう、というのは何とも論理的な説得。
ここで頼朝が敗走を選ぶ展開に納得です。
だけどしんがりの兵たちの死がつらい・・・
前回は、髪染めについてお答えいただき、ありがとうございます!
今回も質問なのですが、しんがりとして亡くなっていった武士たちの名前も史実として残されているのでしょうか?
戦の混乱の中にあって、誰がどんな武徳を立てたか記録されているのかな、と思いまして。
でもそれなら、亡くなっていった武士たちも名誉の死として浮かばれるな、と感じました。
作者からの返信
コメント&ご質問、ありがとうございます!!
幕府の公式記録集『吾妻鑑(あずまかがみ)』が、第一の資料になります。そのほかに、『平家物語』諸本……これは筆写や口伝えで伝えられてきたもの……こうした文献や、奇跡的に残った書簡などの資料、各地の史跡に残っている口碑などから、史実が造られてゆきます。
名前が残っているのは一部で、多数の無名の武者がいます。その武者の下に、また、多数の郎党雑色がおります。また、敗残者の記録は残らずに消されてゆきますし、紙の記録類は、歴史のなかで、どんどん燃えて、朽ちて、消えてゆきます。
……そう考えると、たとえば、しんがりで亡くなった、記録に残っている「宇佐美正光」という名は、他の犠牲者たちのすべての象徴と考えられるわけです。
氷山の一角なわけですが、「宇佐美正光」という名は、氷山の頂上で、白く輝いている。その水面下に、多数の犠牲者の山が、眠っているわけです。われわれは、その白い氷山の輝きにむかって、両手を合わすことになります。氷山全体への思いをこめて。
……こんな答え方で、よろしいでしょうか?(笑)
ご質問、ありがとうございます……お気軽に、ご質問ください^^