第三章 夕貌 (ゆふがほ)

第34話 頼朝、軍を東へ進めること

第一部  戦 乱 編


 第三章 ゆふ がほ




   一



 いくさの夜が明けて、十八日。


 頼朝は諸々の指示を出した後、いくばくか眠った。

 昼も遅くに起き出してきたかれは、南の間で飯を食いながら、憂鬱そうにため息をついた。


 かたわらで給仕していた於政は、夫の気持ちをすぐに察した。

「これからの事、さぞかしご心配でござりましょうか……」

「うむ」

 頼朝は正直にうなずいた。

「そなたも存じておろうが、私はこれまで、平治合戦で死んでいった父や兄、家臣たちの霊をとむらい、日々の勤行ごんぎょうを欠かさず行ってきた。これからは忙しくなる。これまでのように勤行をつづける事ができなくなる。……それで、気が重い」


(まあ。お気にされていたのは、仏事のことかや……)

 於政は内心、驚いた。

 すぐに表情が明るくなった。

「それでしたら、わたしに名案がござります」

 於政には、法音尼という母親のように慕う師がいた。

 その尼に、日々の勤行を代わりに勤めてもらおうというのだ。

「では、その件は、わごぜに任せる」


「はい。きみ……お願いがござります」

「なんだ、改まって」

「昨夜、山木の武者たちの多くが三島大社のお祭りに出かけており、館に帰らぬ者も多かったとか……」

「そうらしいな。敵は寡兵ながらよく戦ったものよ」

「この屋敷に忍んでおりました山木館の雑色。考えてもみれば、あれがおかげで、敵の手薄なしおを攻めることができました。あの雑色をお許しくださりませぬか。うちの女とめあわせてやりたいのです」


 もっともなことだと、頼朝はうなずいた。

「なに、今日は放生会ほうじょうえだ。私は生け捕りになった者たちを、みな釈放してやるつもりだ」

 於政は喜んだ。

「いずれ、近くに家も持たせてやりましょう」

「うむ、それがいい」





 山木につづいて伊豆国府を押さえた頼朝軍は、江間えま大場だいば平井ひらいといった、近隣の敵対諸氏を追い散らした。

 頼朝挙兵の報せはたちまちのうちに近隣諸国に知れわたり、これに共鳴する大名小名たちが続々、加勢に駆けつけた。


 主だった諸将が集まって軍議を開いている、その大庭おおにわに、

「もの申さんッ」

 と、血相を変えて飛び込んできたのは斥候うかみである。

「相模国よりの急報でござりまする」

「なにごとだ?」

「佐殿追討を称し、相模国府に続々と軍兵が集まっております。その数は昨晩の時点で、ゆうに三百騎を超えるとか。敵方の総大将は、大庭おおば三郎景親かげちか

「やはり動き出した」

「思うたより動きが早い」

 敵将、大庭三郎景親――それは景義と次郎の弟であった。


 兄弟は毅然として、人々を見回した。

「みなの衆にご理解いただきたい。この大庭平太景義と弟の豊田次郎とは、平家にくみする三郎景親とは縁を切り、ただ一心に源家に忠誠を誓い、ここに参陣いたしており申す。御家人ごけにん諸君におかれましては、、わしらと景親とを兄弟だとは思し召されぬよう、かたじけなくも、お願い申す」

 大庭兄弟は頭をさげた。


 すると、「われらも、申したきことが」と立ちあがったのは、佐々木四兄弟であった。

「われらが五男、佐々木五郎義清は、大庭家の婿むこ。景親に同心いたしております。われらもまた、五郎義清と兄弟の縁を断ち申す」

「兄弟のけじめとして、戦場では、わが手にかけますれば」

 血気にはやる四郎高綱が声高く叫び、座は不気味に静まり返った。


 悪四郎が、ひとり派手な笑い声をあげた。

「兄弟が道をたがうは、武者の世の習いじゃ。保元合戦を思い出してもみよ。佐殿の父君、義朝公は弟たちと争った。勝ったのは長男の義朝公よ。こたびも長男のいるほうが勝つに決まっておるわ」


「だが悪四郎よ。兄弟で争わねばならぬというのは、悲しいことだ……」

 頼朝は憂いを顔に表した。

「景義よ。定綱よ。そなたらはすでに源家の『御家人』となったのだ。御家人とは、己が家を忘れ、親兄弟を忘れて、源家の郎党になるという意味である。そなたらも御家人ならば、血縁を忘れ、源家の為に尽くしてくれ。さすれば誰も、無用の言いがかりはつけぬ。みなの衆、いかがか?」

 頼朝の筋のとおった言葉に、一同深くうなずき、景義兄弟も佐々木兄弟も感じ入って頭をさげた。


「それはともかくも……」

 時政が焦りに苛立ちながら口を開いた。

「この事態、早めに手を打たねば、大変なことになり申す」

「その通り。景親めが兵を集めるのを待つには及びませぬ。すぐにでも討って出ましょうぞ」

 そう献言したのは西相模の雄族、中村一族の土肥どひ実平さねひらである。


 実平は策を述べた。

「われらはすぐさま東に移動しつつ、途中、伊豆と相模の武者や人足を駆り集めます。伊豆山の僧兵たちにも協力を頼みましょう。そうして兵を増やしつつ、三浦軍と連携をとりながら、景親の軍を挟撃するのです」

「よい策である」

 頼朝は、首肯した。

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