第二章 烽火

第21話 若者たち、大暴れすること

第一部  戦 乱 編


 第二章 烽 火




   一



 長雨の夜が明けてみると、天気はまことに快晴であった。


 雨に洗われた風の気配、空の青色がとても清々すがすがしい。

 田面たづらのむこうの地平には愛鷹あしたか山が平たく伏せ、その彼方に青い富士が、すらりとした偉大な山容を見せている。


 この日、八月はづき十七日は三島大社の大祭である。

 頼朝は朝早くから抜かりなく奉幣ほうへいの準備をして、藤九郎を使者として送り出した。


 館の東、蛭島の湿地帯を貫いて、南から北へと悠々たる狩野川が流れている。

 この狩野川から一筋の支流が別れ、小川となって館の裏手へ注ぎこんでいる。

 岸辺の洗濯場では、伊豆の若者、相模の若者がそれぞれに群れ集い、顔や体を洗っていた。


 夏の終わりの色濃い緑が、対岸を覆いつくしている。

 水面には時折、鮎が跳ねて銀色の腹をひらめかせる。

 羽黒はぐろ蜻蛉とんぼの群れが翡翠ひすい色の美しいつやめきを見せながら、ゆるやかに滞空している。



「今朝はてっきり合戦だと思ったぜ……」

 宇佐美うさみ実正さねまさがぼやくように呟いたので、兄貴の正光まさみつも吐き捨てるように答えた。

「拍子抜けだな」

「つまらぬことよ」

「延期の理由はなんだ?」

「知らん」


 伊豆の若者たちはひとところに集まり、口々に推測しあった。

「人数がそろっておらぬからではないか」

「千葉も三浦も動いておらぬようだし……」


 すると、黙って聞いていた伊豆の荒武者、加藤景廉かげかどが声を荒げた。

「千葉や三浦は臆病風に吹かれやがったか。グズグズしおって、ちっとも腰をあげん。やつらは最初から旗揚げに加わる気がないんじゃろう」

 ずぬけて、けだもののように声が大きい。

 聞こえよがしのこの声が、近くにいた相模の若者たちの耳に入った。


 ――耳に入った以上、黙ってはおられぬ。


 三浦一族の平佐古ひらさこ為重ためしげは、口をへの字に結ぶと、仲間たちの制止にも関わらず、ずかずかと歩み寄り、景廉とまなこをかち合わせた。

「三浦は必ず来るッ。奥州合戦の平太郎為継を知らぬか。三浦は源家の旧臣、武勲の家ぞ」


 微塵も臆する様子なく、景廉は鼻であざ笑った。

「なに、三浦なぞ要らん。伊豆武者はひとりが千人力よ。相模者など屁の役にも立たぬわ」

 ッと、相模の若者たちの顔色が変わった。

「侮るか」

「侮ったら、なんだ?」

「謝れ」

「ハハハ、謝るってのは、こういうことか?」

 たちまち凶拳をふりあげるや、景廉は相手の胸板に一撃を喰らわせた。

 為重は歯を喰いしばってどうにか踏みとどまると、反撃に掴みかかった。


 翡翠の玉が散り砕けるように、ぱっと蜻蛉の群れが一斉に舞いあがった。

 相模者も伊豆者も激昂して互いに掴みあい、乱戦となった。

 全裸半裸の若い男が入り乱れ、あちらこちらで暴れあい、殴りあう。

 奇声、蛮声、狂声、ことごとく飛びかい、飛沫しぶきを蹴立て、川原に転がり、手当たり次第、取っ組みあう。

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