第16話 景義と悪四郎、夕餉のこと




   三



 雨は降りやまぬまま、あたりは宵闇に包まれた。

 とうとう佐々木兄弟は現われなかった。


 景義たちが宿館へ行くと、そこにはすでに大勢の武者たちが烏帽子を並べ、仲間どうし、三々五々陣取って、高灯台の火を囲み、にぎやかに夕餉ゆうげぜんをかきこんでいた。


「おお、ふところ島殿」

「平太殿」

 ほとんどが顔見知りで、若い者も、年配も、いかつい体格の武者たちが、子供のように愛想よく声をかけてくる。

 威勢よく挨拶を返しながら友垣ともがきのあいだを抜けてゆくと、奥の暗がりから悪四郎の声がかかった。

「おぅぃ、こっちじゃ、こっちじゃ」


 悪四郎はすでに、鮎のをつまみに、旨そうに酒盃をあおっている。

 景義たちは車座になって腰をおろした。

 悪四郎のかたわらには、息子の与一義忠。

 景義の側には、豊田次郎、宇佐美兄弟。

 ……すぐに北条の雑色たちが、台所から膳を運んできた。


 それぞれの膳の上に、脂の乗った焼き鮎が踊っている。

 季節の和え物、種類豊富な野菜の漬物しおおし、伊豆名産の海苔、大きく盛った玄米飯がほくほくと湯気をたてている。

「おう、うまそうじゃ」

「明朝は戦ぞ。みな、よう食うておけよ」

 人々はいっせいに箸をとり、ご馳走に喰らいついた。


「与一よ。いつ見ても、おまえさんは素晴らしい男ぶりじゃ。うらやましいわい」

 景義に言われて、与一は輝くような笑みを見せた。

 齢三十三。

 美男である。

 息子を褒められた悪四郎の頬にも、思わず笑みが浮かんだ。

「与一よ、笑った顔が悪四郎どんにそっくりじゃ」

 と、豊田次郎が茶化し、笑いが弾けた。

「年とるごとに、似てくるの」

 息子がかわいくてしょうがないという顔つきで、悪四郎は嬉しそうに何度もうなずいた。


「わしの息子のなかで、与一は一番、出来のよい息子よ。こいつは子供の頃はいつも喘息の発作が出て体が弱かった。だがそれでもなんとか生き長らえた。長ずると十人の兄どもより、はるかに抜きん出て強くなった。立派なやつよ」

「兄上たちと比べるのは、めてください」

 与一は眉をひそめた。

 その十人の兄はすでにみな、他界している。


 老人たちは話を変えた。

「このようにたいそうな集まりは、四年前の奥野狩り以来じゃ」

「おお、もうそんなになるか……」

「あの時は、実に凄まじかった。相模と伊豆の有力者が一同に会したからのう。それぞれが相応の人数を率いていったから、合戦のごとき大群集となった」


「あの時は俣野五郎が……」

 と悪四郎は、景義と次郎の五番目の弟の話をはじめた。

「あの時の余興の相撲では、俣野五郎が屈強のつわものども相手に、恐ろしいほど強かったのぅ」

「三十連勝はしたか……」

「もしあの場に与一がいたら、俣野に遅れはとらなかったじゃろうよ」

「残念です」

 と、与一は微笑した。

「五郎殿の相撲の強さは天下に名高いところ。都でも、誰ひとり五郎殿に勝てる者はおらず、ついには法皇様のお目見えも叶って『相撲日本一』と称えられたとか……。一度手あわせ願いたいものです。私とて力くらべでは、誰にも負けたことがありませぬ」


 悪四郎が空になったさかずきをぺろりと舐めた。

「この度の旗揚げ、五郎も誘ったのか」

「無論ですじゃ」

「なぜ来ぬ」

「さあ……あれにはあれの、思うところがあるのでしょう」


 閉ざされた蔀戸しとみどの隙間から、ひやりとした風が流れこんだ。

 昼間はむしむしと暑かったが、夜になって急速に冷えこんできたようである。

 雨はいまだ、音もなくふりつづけている。

 与一は、眼差まなざしを、そむけた。

(俣野殿は来ぬか……。となれば、厳しい戦いになる………)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る