【6】祭り ─二人の想い─

「紗夜、紗夜!!」

 揺すり起こされて、ようやくうつつに引き戻された。

 気がつくと周りに父や母、近所に住む祖母、直人とその父が紗夜をのぞきこんでいた。


「どうしたの?みんな」


 出した声はかすれて、上手く音にならない。引きつった喉に顔を顰めた。


「飲んで?」


 母に吸口で湿らされた水が、口の中に潤いを持たせた。もう一口、もう一口、と飲み込む。


「私…?」


 ようやく、かすれても何とか声になった。

「あんた、3日も寝てたのよ?目が覚めないから、お医者さんも来てくれて、低体温で危ないって言うから、ほんとにもう、心配したんだから!!ううっ!」


 母さんが泣き出した。

 周りの人をぐるっと見ると、お師匠さんまでが来ていた。そして直人と視線が合う。動かそうとした手はミシミシと音を立てた。じっとしてると筋が固くなるって本当なんだな、と思った。直人の方に手を差し出すと、私の手に、見覚えのある折り鶴が、紐で巻かれていた。


「これ…」


「お守りだよ、直人くんが折ってくれたんだよ?」


 母さんが言うと、直人が照れくさそうに目を泳がせた。


「おじさん」


 直人の父に声をかける。


「おじさんのところは代々、直って字がつく?」


「ああ、家系図も残ってるけど江戸時代からずっとだよ」


「直太朗さんって知ってる?」


 紗夜の言葉に、直人と直次はギクリとした顔をした。


 やっぱりそうか、と思った。


「あの御堂は、直太朗さんとフキさんのお墓なんだね」


 直人は、目を細めてこちらをを見下ろしていた。やがて、さっき紗夜が伸ばした手をそっと握った。折り鶴が、かさり、と音を立てた。

「起きるの面倒で後回しにしてたんじゃないだろうな?さっさと元気になれよ。あんまり休むと単位落とすぞ?」

 と笑った。


 三日前、生理が来たな、と思った翌日から、わたしはコンコンと眠り続けていたらしい。

 夢に見た事は、どうやら過去に本当にあったことらしく、後から話を聞くと、直人も似たような夢を見たそうだ。

 家系図を見せてもらいに、直人の家に行くと、あれから、直哉が直次の養子になって家を継いでいる。フキの家はどの家かはわからないが、どこかで自分と血が繋がっているのかもしれない。




 ***




 やがて祭りの日がやってきた。


 社務所の小部屋で、お師匠さんに装束を着付けてもらう。半幅帯が締められると、背筋がしゃんとする。

「神社を出たら一言も話しちゃダメよ?」

「はい」

 緋色の袴に装束の白の羽織。ひとつに束ねた髪に、かんざしを挿す。お師匠さんの取り出した紅を筆で唇に載せる。鏡の中には、私に似た巫女がいる。

 直人が折ってくれた折り鶴を、たとうがみに包んで胸に忍ばせた。ちゃんとお役目を果たせるおまじないに。


 社務所からは皆が無言で御堂までを練り歩く。草履の足音と、胸に持った鈴の微かな音が、私の緊張を高めていく。途中、自分の家の前をゆく時、父と母が家の前でじっと見送ってくれた。晴れ姿だがカメラを構えていないのは、この神事に対する敬意だ。

 小さくうなづいた母に、紗夜は目を細めるだけで返事をする。


 御堂の前に、設置された祭壇に登る。

 青く晴れた空の下で、微かな風に白の羽織が揺れる。


 シャン…シャン…


 鈴の音が太鼓の音に合わせて鳴る。5色の布を捧げるように持ち、深く頭を下げる。白い衣の袖を翻し、また戻す。鈴を鳴らしながらその場で舞う。太鼓の音は堤防一帯に響いて、音が反響する。やがて鐘の音も加わる。鐘を担当しているのは直人とその弟だった。合わせの着物をきて、肩に鐘を担ぐ。


 舞に集中している、と思った。だが心の中には、これまでの出来事が鈴の音が呼び寄せるように浮かんでくる。


 直人と飛行機を見上げながら走った堤防の道。


 父と母と並んで、入学式に向かう春の日。


 学校の帰り道の夕暮れ。


 美しく舞う巫女に憧れた幼い日。


 そんなささやかな事を、幸せだと感じた。そうあって欲しいと、彼女が願ったことだ。


 そして彼が守りたかった事なのだ。



 シャン…シャン…シャンシャンシャン…



 やがて細かく小さな鈴音へと鈴を震わせ、舞の初めと同じく、深く頭を下げる。



 直次さんから渡された、折り鶴の束を持ち、1人御堂へと入る。祭壇に新しい折り鶴を納めると、しっかりと手を合わせる。


(見守ってくださってるおかげで、私たちは健やかに過ごせています。お二人共、どうか、安らかにお眠り下さい)


 そっと御堂から出ると、礼をする。


 その時、曇を割って日が顔を覗かせた。

 カーテンのように末広がりに指した陽の光に、周りから歓声が上がった。

「綺麗だねぇ」

 誰かが漏らした声に、私もその空を仰いだ。


 その時、どこからかケーン!と鳴いて、白鷺が飛び立った。2羽が並んで大きく羽ばたく。空高く舞い上がっていくその白い翼を見上げて、紗夜は目を細めた。


 きっと、直太朗さんとフキさんは、そうやって2人一緒になれたのだろう。


 時には虫に、時には鳥に、魚に。また人として生まれて出会ったなら、今度は長生きして欲しい、そう思った。



「福永」

 祭事が終わって、御堂の前から引き上げる時、葉山先生に声をかけられた。


「先生、本当に来てたんですか?」


「ああ、いや、素晴らしかったよ。胸に迫るものがあった。福永だと気が付かなかったくらいだったよ。綺麗だ」


 異性から初めて言われた単語に、紗夜は頬を染めた。


「人柱、だったのかな?」


 先生は御堂に目をやった。


「ええ、自らなられたようです。旦那さんも水害で亡くなって、一緒にそこに眠っておられます」


「そうか、水害や流行病が起こらないように見守ってくれる優しい仏さんなんだね」


「はい」


 一緒に御堂を見つめて頷く。そこには亡骸が埋まっている。だけどそれだけでは無い。そこには想いが、願いが根を張っている。


「ところで福永、あの子、誰?」


 葉山が、少し小声で耳打ちした。


「え?」


「すっごい視線が痛いんだけど」


 振り返ると、直人が怖い顔してこちらを見ていた。どうしたんだろう。


「いや、ほんといいもの見られたな。ありがとう。あ、俺はもう帰るね」


 葉山は何かを思ったのか、手を差し出した。紗夜がその手を取ると、軽く自分の方へと引いた。葉山の顔が近づく。


「彼、ヤキモチじゃないの?」


 耳元で言う。


「は?」


 赤くなって聞き返すと、


「じゃあな」


 葉山先生は、悪戯っぽく笑って去っていった。直人が側に来て、帰っていく葉山を睨みつけ、その後、私をじっと見た。


「何?」

「化粧が濃い」

「はぁ?」


 唐突に何を言うんだ?と憤慨しそうになった紗夜に、続けて言った。


「馬子にも衣装ってやつだな」

「そんなこと言いに来たの?」

「一瞬誰かわかんねーよ、……そんなに変わっちゃったら」


 言い返せなかった。なぜなら、傍若無人な言い方の割に、直人の耳が真っ赤な事に気がついてしまったからだ。


「行くぞ、まだ酒の席まではお前、帰れねーからな」


「あ…」

 そうでした。

 この後の酒宴、列席者にお酒を振舞って歩かねばならない。それまではこの衣装を脱げないのだ。

「あー、さっさと着物脱ぎたい!酒ついで回るなんて、それこそ後回しにしたい事だよ」


 口をとがらせる。そのものの言い方に、直人が笑った。


「巫女様のくせに」


 笑う直人の横顔にほっとした。


「兄ちゃん!こっち向いて?紗夜ちゃんも」

 直人の弟が声をかけた。

 2人は振り向いた。カメラを構えた直人の弟が手を振っている。


「紗夜ちゃんのお母さんと、うちのお母さんに頼まれたからさ、はい、いい顔して」

 直人と顔を見合わせて、ふっと笑った。直人も同じようにつられて笑う。


「綺麗に撮ってよ?」

「お任せ下さい!」


 その日の2人の写真は、やがて、二人の住む同じ家に飾られることになるのだが、それはもっと先の話。





 千代紙に祈る

 2021.8.8 by 伊崎夕風 (kanoko)

 ※再録

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千代紙に祈る 伊崎 夕風 @kanoko_yi

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