第36話 覚悟の理由は
——私は……どうすればいいの?
「…………」
川瀬の言葉が脳裏に浮かぶ。ずっと頭に残り続けている。林間学校はあっという間だった。……と言うよりも、川瀬の言葉が気になって二日目以降の記憶があんまりない。
「……はぁ」
何かやって気でも紛らわしたい。そう思い、柄にも合わず図書館に勉強をしに来たのだが、全く手につかない。……本でも読もうと席を立つが、読みたい本などない。
「……愛美」
「……ん?」
聞き覚えのある声がして、声の方を見る。
「…………華凛?」
「…………え? 陽ちゃん?」
そこには疲れ切った顔をした華凛がいた。
◆
「……はい、お茶」
「…………ありがとう。おばさんは?」
「でかけてる。その内、帰ってくるよ」
「そっか……」
俺は華凛に誘われ、彼女の家にやって来ていた。話したいことがあるのだろう。それは俺も同じだ。にしても……。
「大分、悩んでそうだな。華凛」
「あはは……いつの間にか、名字呼びから名前呼びになってるね。陽ちゃん」
「嫌か?」
「別に。凛ちゃん呼びじゃないのは納得いかないけど」
「…………」
「……悩んでいるのは陽ちゃんも一緒でしょ」
「……ああ。だからこそ、お前から話が聞きたい。何か、言いたいことあるんじゃないか?」
「……どうしてそう思うの?」
「幼なじみだから」
「……武瑠も陽ちゃんも同じこと言うね」
「逆に俺や武瑠が悩んでいたらお前は気付くだろ?」
「…………それもそっか」
「…………」
「…………」
沈黙が支配する。決して気まずさからではない。華凛は心の準備を、俺は華凛からの言葉を待っている。そんな時間だ。
「……愛美は自分のお母さんに囚われすぎている」
「…………」
「あの子は家族からの愛に飢えている。……特に母親からのね。昔から母親っ子だったらしいよ。お母さんも幼い頃は愛美を沢山可愛がってたらしい。けれど、それこそ仲の良い親子って感じ。……全部、聞いた話だけどね」
……なるほど。それなら、川瀬が母親に執着するのも納得だ。
「…………けど、愛美の年齢が上がり、そんな関係は壊れた。あの子の家庭はいわゆる学歴至上主義? とでも言うのかな。とにかく厳しい家庭だった。あの子の母親は愛美に学業における結果を期待するようになっていった。……辛かっただろうね。愛美は元々、成績が良い方じゃなかったみたい。それでも、努力を重ね、今の愛美がある。けれども、どれだけ努力しても認められない。それどころか求められてるのはさらなる向上。止まることを許されない。失敗を誰よりも恐れている」
……なんて、過酷なのだろう。誰しも失敗を経て成長して行く。それが許されない人生を生きてきた川瀬はどれだけ辛かったのだろう。
「愛美は全てを捨てて生きてきた。友達も。青春も。遊びも。何もかも。私には理解できないほどの苦しみをいっぱい抱えて生きてきた……! 全てを犠牲にして生きてきた……!」
……その生き方はどれだけ辛いだろう。どれだけ苦しかっただろう。理解されるとは言い難い、生き方だ。自分に持てる全てを投げ打って生きる。しかも、幼い頃からその生き方を川瀬は続けてきた。
「…………っ!」
「…………華凛?」
華凛が俺の肩を掴む。表情はよく見えない。けれど、その表情は決して明るいものでは無いことだけは確かだ。苦しみに満ちている。悲しみに満ちている。後悔で満ちている。……苦悶で満ちている。
「…………陽ちゃん……!」
華凛の表情があらわになる。彼女は涙を流していた。
「…………お願い。あの子を……愛美を……救ってあげて……!」
嗚咽してそう願いを吐き出す。
「……陽ちゃんと出会って愛美は乗り越えたと思ってた。けど、そうじゃなかった。そうじゃなかったのに、あの子を私は知らずに追い詰めてしまった……! そんな私が頼める立場では無いことはわかっている……! けれど、お願い。あの子を救ってあげて……!」
「…………華凛」
「中学時代……真っ暗なあの子が高校の入学式の日、明るくなった。理由を聞けば、その時にある男子の言葉で救われたと言っていた」
「…………」
「…………そう。あなただよ。……陽ちゃん。ものすごく感謝したよ。……でもね、嫉妬もした」
「嫉妬……?」
「うん。だって、私には愛美を救うことは出来なかったから。苦しい思いをしているあの子に何を伝えればいいかわからなかった。いつも一緒にいるのに何も出来なかった。何も言えなかった。今回も同じ。またしてや今回はその原因は私にある。……親友、失格だよ」
「…………そんなことないだろう」
「慰めてくれるの? ……優しいね。陽ちゃんは。昔からそうだったね。その優しさがきっと愛美を救ったんだろうね」
「………………」
「…………私には何も出来ない。今もこうして自分には何も出来ないから陽ちゃんに頼っている。みっともない。自分に嫌気がさす。……それでも私は……あの子の友達だから。みっともないことはわかってる。けど…………あの日、あの子を……愛美を救ってくれたあなたにこうやって頼むしかない」
華凛は涙でぐちゃぐちゃの顔で俺を真っ直ぐに見て、その頭を下げる。
「…………お願い! あの子を……川瀬愛美を…………救ってあげて……!」
「おれ……は……」
こんなにも……こんなにも……こんなにも友達が頼ってきているのに、自分の友達が苦しんでいるのに俺は任せろ、とは言えなかった。……俺には覚悟ができなかった。
——あなたに彼女の大事なものに踏み込む勇気はある? 一緒に背負う覚悟はある?
……俺には川瀬の大事なものに踏み込む勇気がなかった。出来なかった。俺には……川瀬を救っても良いという……覚悟をしても良いという理由が見つからない。
——俺は覚悟をすることが……出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます