第35話 差し伸べられない手

 林間学校は計三日の二泊三日。これが終わった数週間後には期末試験。みんな、その現実から目を逸らし林間学校を楽しもうと少しハイテンションである。……が、一人だけ違う。

 

「…………」

 

 川瀬は一段と暗い表情だ。……様子を見ようと決めたが、結局川瀬は変わることなく、この調子だった。いや、それどころか数日前からは笑顔すら見せることはなくなった。

 

「……川瀬……」

「…………」

 

 ……林間学校が、始まる。バスの中、川瀬とは一言も会話はなかった。

 

 ◆

 

 「…………」

 「…………」

 

 目的地に着き、挨拶、連絡事項を済まし、昼食。定番と言えば、定番だが、カレーを班のメンバーで作り、食べることに。……川瀬とも同じ班だ。だが、会話はない。

 

「………………川瀬」

「………………何」

「…………お前、今……楽しいか?」

 

 ピタリと川瀬の動きが止まる。

 

「………………別にそういうの、どうでもいい」


 とても、冷たい声だった。どこまでも、冷たい声だった。

 

「——それではいただきましょうか。いただきます」

 

 準備が整い、昼食のカレーを食べる。……何故だろう。全く美味しく感じない。熱いのに冷たく感じる。

 

 ——んー! おいしーい!

 

 ……あの時、キャンプの時に川瀬やみんなと食べたカレーは美味しかったのに、どうしてだろう。

 

「…………」

 

 …………あの時は、川瀬は笑顔だった。今の川瀬は……出会った時と同じ表情をしている。

 

 昼食が終わり、次のプログラムのハイキング。各チェックポイントを周り、目的地へと行かなければならない。俺は川瀬や武瑠と同じ班だ。

 

「…………」

「…………」

 

 川瀬は何も話さない。

 

「…………川瀬さん、ここ最近元気ないよな。……華凛も最近なんか変だしさ」

 

 武瑠が俺の隣に来てボソリと言った。……まあ、そりゃ気がつくよな。

 

「……たしかにそうだよな。華凛から何か聞いてたりするか?」

「……いや。あいつ、最近連絡しても素っ気ないしさ」

「…………そっか」

 

 どうやら華凛は誰にも相談してないようだ。

 

「…………なあ、谷口。川瀬さん何かあったのか?」

「…………」

「……そっか。もし、何かあったら言えよ。……川瀬さんだけじゃなく、お前自身の悩みでもいいからさ」

「…………すまん、武瑠」

「…………いいよ、別に。今更だ」

 

 武瑠はそう言い、そっと離れ別の班のメンバーと会話を始める。……気を使わせてしまったな。

 

「……っと。みんな、そろそろチェックポイントだよー!」

 

 班の女子が声を張り上げて言う。……もうそんな所まで来たのか。

 

 その時だった。

 

「キャッ……!」

 

 振り向くと川瀬が転んでしまっていた。

 

「川瀬、大丈夫か?」

 

 俺は川瀬に手を伸ばす。川瀬は手を取ろうとするが、ハッとしたようにその手を引っ込めた。

 

「…………別にいい。ほっといてくれていいから」

「………………そうか。すまん」

「………………」

 

 川瀬は気まずそうに目を逸らす。

 

「おーい二人とも、大丈夫かー?」

 

 班の男子がこちらに向かって言う。班員は少し先にいる。

 

「…………ああ。大丈夫だ。すぐに行く」

 

 …………早く、行かなくちゃ。

 

 そして、チェックポイントを通過し、目的地へとたどり着く。たどり着き、周囲のメンバーはやたらと楽しげだった。

 

 ◆

 

「…………勉強するか」

 

 ハイキングが終わり、夕食までの間の自由時間。同室の子達が談笑する中、私は持ってきた勉強道具を取り出す。

 

「…………少しでも、勉強、しなきゃ……」

 

 次こそは……次こそは一位を取らなければ……。また、失敗すれば……もう、チャンスはない。

 

「川瀬さん? 何してるの?」

「…………!」

 

 振り向くと、仲の良いクラスメイトが覗き込んできていた。

 

「…………勉強、だけど……」

「せっかくの林間学校なのに?」

「……関係ない。期末試験も近づいてきてるし」

「え〜そんなこと言わないでさ〜一緒にトランプでもしようよ」

 

 伸ばしてくる手を私は払いのける。…………ああ。やってしまった。

 

「今、集中してるから。……また、後で」

「…………うん。こっちこそ、何かごめんね」

「…………」

 

 彼女は私の傍から去って行く。……ああ、やってしまったな。きっと、私は嫌われただろう。でも、そんなこといい。勉強しなきゃ。……私、なんで勉強してるんだっけ? なんでお母さんに認められたいんだっけ? ………………まあ、そんなこと……どうでもいっか。


「…………どうでもいい。本当に……そうなのかな? ……わからないや。でも……いっか」

 

 夕食を終え、次は林間学校名物と言われるプログラム、フォークダンス。異性と一緒にキャンプファイヤを囲って踊る。……きっと、少し前までの私なら浮かれていただろう。でも、今の私にはそんな気持ちも余裕もない。あるのは焦りと謎の虚しさだけだ。

 

「…………」

 

 周りが騒がしいのに何故か静けさを感じる。……どうしてだろう。キャンプファイヤがあるのに寒さを感じる。……そんなことより、誰かと踊らなきゃ。……でも、誰と? 誰と踊ればいいのだろう? 私は……私は……。

 

「川瀬」

 

 呼ばれた声に顔を上げるとそこには谷口がいた。谷口が私に手を差し伸べる。

 

「俺と……踊ってくれないか?」

 

 私は一瞬躊躇ったが、考え直し、恐る恐る彼の手を取った。

 

 ◆

 

「…………」

「…………」

 

 互いに無言で踊る。こんなにも……川瀬との距離は近いのに……とてつもなく遠い。遠すぎる。

 

「…………」

 

 いつもからかってきた川瀬。優しく、真面目で、時にポンコツ。そして、温かい。俺が今まで見てきた川瀬。でも、目の前の川瀬にその面影はない。ただ冷たさがある。苦しみがある。……見えなくなっている。

 

「…………」

「………………? 川瀬?」

 

 川瀬が足を止める。

 

「……わからない」

「え?」

「わからないの。私はどうすればいいか」

「川瀬……」

「どうしたいのか、何をしたいのか、私は……ただ、お母さんに愛されたいだけなのに……!」

「…………」

「……ねぇ、谷口。私……間違ってるのかな? 私は……どうすればいいの? どうするのが正解なの?」

「——」

 

 俺は思わず口を閉ざす。——川瀬が泣いていたから。

 

「……私、どうすればいいのかな? 苦しい……苦しいよ。私は……どうすればいいの?」

 

 俺は何も言うことが出来なかった。……答えることが出来なかった。

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