第34話 何もいらない

「はぁ……こんな成績でいいって本気で思ってるの?」

「しっかりして頂戴。こんな成績……恥ずかしくて見てられないわ」

「もういいわ……あなたに期待なんてしない」

「お兄ちゃんもお父さんも優秀なのに……あなただけはこんな……」

「ええ、いいのよ? 自由にやっても。別に私はあなたに期待していないから」

「……満点? 何度言ったらわかるの? そんなのは取って当たり前のことだって前にも言ったでしょ」


 ……母との記憶が脳裏に浮かぶ。家族を思い浮かべる。……父も母も兄も優秀な人物だった。……私はと言うと、元々成績は優秀な方ではなかった。むしろ、悪い方だった。それでも、私は追いつこうと頑張った。そして、徐々に成績が上がった。嬉しかった。これで認められると思った。だけど、母は……お母さんは……。

 

「お母さん、見て!」

「………………」

「百点、取ったよ! 私、頑張ったよ!」

「何言ってるの?」

「………………え?」

「それくらい、当たり前でしょ? 全く……そんなので調子に乗らないでちょうだい。少しはお兄ちゃんを見習いなさい。あなたみたいに調子に乗らず、頑張っているでしょ?」

「……………………うん。そうだね。…………ごめん、お母さん……」

 

 この時、私は悟った。私は認められることは無いと。私に出来るのは、せいぜい現状を維持すること。……それでも諦められなかった。私はいつか、お母さんに認めれたいと足掻いた。いつか、お母さんが私に微笑んでくれると信じて頑張り続けた。

 

 友達も時間も評判も遊びも何もかも、何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも、何もかも! 何もかも、捨てて頑張った。頑張り続けた! それでもお母さんは私を見てくれない。私に向けてくれる目は落胆の目だけ。けれど、いつか微笑んでくれるって。私を見てくれるって。そんな希望に縋りついて……今日まで生きてきた。忘れちゃいけない。私にとって……大事なのはお母さんから認められること。失敗なんて……許されない。なのに。私は……。

 

 ◆

 

「……お母さん。珍しいね、帰ってくるなんて」

 

 お母さんは冷めた目で私を見る。決して微笑んではくれない。

 

「仕事が一段落したのよ。でも、またすぐ行くわ」

「そう……なんだね……」

「…………それより、あなた中間試験の結果はどうだったの?」

「……あ」

「…………」

 

 お母さんの視線がテーブルの上の成績表に向けられる。お母さんは黙ってテーブルの成績表を取る。

 

「…………学年二位。……そう」

「…………あ」

 

 この目。落胆したわけでも、怒っている訳でも無い。……ただ、興味を失った目。

 

「…………そろそろ行くわ」

 

 ……駄目。行かないで。行かないで、お母さん。もっと……もっと、私を見てよ!

 

「……あ、そうそう」

 

 お母さんは足を止めて振り返る。

 

「……今度、林間学校だったわよね……せいぜい楽しむなさい」

 

 ……やめて。お願いだからやめて。

 

「——どうせ、あなたになんて……期待するだけ無駄だから」

 

 何も期待していない、冷たい目で私を見据え、そう言った。

 

「…………っ」

 

 お母さんが出て行き、私は一人声を押し殺して泣く。我ながら情けない。泣いたって何もならない。無意味だ。こんなことして何になる? ……そんなことより、やることがあるだろう?

 

「勉強…………しなきゃ」

 

 そう、勉強しなきゃ。わたしにできることはそれだけ。今、こうなってるのも全部、自分の責任だ。

 

 私に恋はいらない。友達もいらない。青春はいらない。娯楽もいらない。…………そんなものにかまけていたからお母さんは私を見てくれないんだ。だったら、いらない。もう、失敗できない。失敗すれば、見捨てられる。お母さんは私を見てくれない。なら……そんなものは、私にとって何もかも不要だ。

 

「……………………私には何もいらない!」

 

 ——今、楽しい?

 

 ふと、あの時の言葉を思い出す。あの時、私を助けてくれた人。

 

「谷口……」

 

 …………………………ごめん。谷口。やっぱり、私には…………無理だったよ。あの時……あなたに救われたけど……やっぱり私には無理だ。私にはこんな風に生きることしかできない。私にとって……私の世界は、お母さんだけだから。

 

「…………それでも…………私は…………」

 

 ………………私は………………どうしたいのだろう…………?

 

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