第30話 依り依られる
賢く、智に優れ、そして誰かの心に依られるように。柴田智依。それが私の名前。……何も私は昔からこんな陰気な性格ではなかったし、今のように人との関わりを拒絶するような人格ではなかった。
私は積極的に周囲を手助けしたし、協力した。清く、正しく、をモットーにしていた。そんな私をみんな認めてくれていた。……と言っても小学生までのことだ。
「柴田、あいつウザくね?」
「ね、そこまでして先生に気に入られたいんかね?」
「柴田さん、ホント鬱陶しい。いちいちうるさいのよ。真面目にーとか、みんなのためにーとか……小学生ってか」
端的に言って中学では疎まれた。まあ、それもそうか。中学生にもなって品行方正を強要するようなヤツなんて嫌われて当然か。だが、そんなことも当時わからなかった私は周囲に疎まれ、孤立し、いじめられた。イジメの内容は至ってシンプル。上履き隠し、陰口、教材を捨てられたり。うん、あの時から私は人の悪意を知り、人を嫌うようになった。誰からも助けられず、誰にも頼ることなどできなかった。ああ、誰も見たくない。誰かを直接見ないように、メガネをかけた。これなら人を見るのにも間接的ですむからだ。誰とも関わりたくない。私は高校にあがり最低限の会話ですますようにした。誰も信じられないからだ。もう既にかつての私のように誰かの行動にいちいち目くじらをたてないし、そもそも面倒くさい。悪意を向けられるくらいなら誰ともかかわらない。誰も優しくしてくれないのだから。もし、私が妥協し、自分を偽って生きるという器用さがあれば幾分か違っただろう。だけど、私にはそんな生き方は出来ない。だから、一人で、周りに頼らず、生きていくしかない。
……そんな時だった。陽太君に会ったのは。たかが、落し物を拾ってくれただけだ。周りからはそう評価されるだろう。けれど、私にとっては久しぶりに受けた、純粋な人からの善意。無条件で彼に心を許してしまうくらい、あの日は嬉しかった。だからこそ、あの日は私にとってとても大切な思い出の日なのだ。
◆
「……陽太君。一緒に勉強しましょう」
「……はい?」
「あの女だけずるい。私も陽太君と勉強する」
「ええ……」
「よし、じゃあ放課後に勉強しよう。いいね?」
「俺に拒否権は……?」
「………………」
「……はあ。わかったよ……」
川瀬と勉強した後日。うっかり、川瀬と勉強したことを智依に話してしまい、勉強会をすることになってしまった。
「……で何で俺の部屋なんですかねぇ?」
「あの女も陽太君の部屋で勉強してたなら私にもその権利がある」
「なんでそうなるんだよ。……まあ、いいけど」
幸い、家族は今日家にいないからいいけど。智依のことを家族が知ったら絶対面倒なことになるしな。
「よし、それじゃあ始めよう。テストも近いし集中していこう」
川瀬もそうだが、智依もオンオフの切り替えをしっかりとやるタイプらしい。勉強ができるヤツってこういうのしっかりできるイメージがある。
「…………」
「…………」
そしてそれから互いに黙々と集中して勉強に取り組む。一時間が経ち、智依の休憩しよっか、という一言で休憩を取る事に。
「はー……疲れたー」
「陽太君、結構解けるようになったね。このまま行けば、中間試験はいい感じだと思うよ」
「そうか、智依のお墨付きがあるなら安心だな」
「ふふ、そうやって油断してると痛い目見るよ」
「うっ……肝に銘じておきます」
「よろしい」
「…………」
「…………」
しばし、互いに無言になる。
「何か……聞きたいことがあるんじゃない?」
「え?」
「ほら……川瀬さんのこととか」
「今更だな。もっと数日前に言うべきだったぞ、それは」
「…………」
「智依……川瀬はあんな感じだが、実際は努力して、乗り越えて……今の川瀬がある。決して人生イージーなんてわけはない。だから……俺はお前のあの発言は肯定できない」
「…………そっか。私とは逆だ。変わろうとせず、殻に閉じこもった私とは逆」
「え?」
「何でもない。……うん、私もわかってる。人生イージー。そんな人なんているわけがない。あの発言は悪かったと思ってる。謝るべきだと思う。……癪だけど、今回の勝負の勝ち負けに関わらず私は試験後、彼女に謝罪するつもりだよ。……陽太君、あなたにも謝らなきゃ。勝手に勝負に巻き込んでごめん。今回、どんな結果になったとしても、私はあなたと彼女の関係に口を出すなんてことはしない。……これで賭けは成立しないね」
「……いや、俺は安心したよ。ありがとう、智依」
「ただ……このことは彼女には黙っててほしい。私が彼女のことを気に入らないのは事実。こうして、一度ぶつかってどっちが上かを競うのはいい機会。それに……こうやって勝負しようと言うのにやっぱり賭けはなしなんて、全力でやってる彼女に失礼だから」
「……そっか。やっぱりお前はいいヤツだよ。智依。お前はとても誠実なヤツだ」
「…………」
「一つだけ……訊いてもいいか? どうして……俺と川瀬を離そうとしたんだ?」
「……………………陽太君がいなくなっちゃうと思ったから」
「え?」
「……陽太君も知ってると思うけど、私友達とどう接するのが正しいのかわからないの。だから、川瀬さんと仲の良い陽太君はいずれ私の傍からいなくなっちゃうんじゃないかって……でも、そんなの間違ってるよね。友達の人間関係を壊そうとするなんて、そんなの友達じゃない。何より……正しくないことだと思う」
「智依……」
「陽太君、私ね……中学の時、いじめられていたの。あの頃からみんな嫌いになって、誰一人味方がいなかった」
そして、智依は自らの過去を語った。……とても辛そうで悲しそうで寂しそうな表情だった。しかし、ふと嬉しそうに柔らかい表情を見せる。
◆
「でもね……あの日陽太君に出会えてよかった」
「…………」
そう。あの日、陽太君に出会って私は救われた。こんな私にも親切な人がいるんだって救われた。救われたなんて大袈裟かもしれない。たかだか落し物を拾ってもらっただけのことかもしれない。けれど、私はその親切に救われたのだ。
「陽太君にとってはあんなの何でもないことかもしれない。けど、私にとってあれは久しぶりに触れた人の優しさだった。人に優しくしてもらった久しぶりの親切。だから、私にとってあの日はかけがえのない思い出」
「……智依。お前は本当に良いヤツだよ」
「え?」
「誰かのために頑張り、正しくあろうとした。それはなかなかできることじゃない。誇っていい。間違いなんかじゃなかったんだ」
「陽太君……」
「間違いを認め、そして正々堂々と立ち向かおうとする。お前は不器用だけど、とても立派なヤツだ。……周りには認められなかったかもしれない。なら、これからは自分を見てくれるヤツらのために頑張ってみればいい。少しずつでいいんだ。一歩ずつ進めばいい。心を閉ざすな、智依。少しずつ、周りに頼っていけ」
「私……いいの? 私は正しかった……? 私は間違ってなかったと思っていいの……?」
「ああ、胸を張れ。智依。少なくとも俺はお前を認める」
ツーと頬に熱い何かが流れる。これは涙だ。私は涙を流しているのだ。抑えきれず、嗚咽を漏らす。けれど、悲しいのではない。嬉しいのだ。救われたのだ。私のあの日々は、決して無駄ではなかった。あの時の私があり、今の私がいる。今の私がいるからこそ私の目の前には彼という一人の友人が微笑みかけてくれるのだ。……やがて落ち着きメガネを外し、涙を拭う。
「……そっちの方が似合うぞ。智依」
「え?」
「メガネがない方がとても似合ってるぞ。今まで閉ざしてた心を解き放ってるようにいい顔だ」
「…………そっか」
「それとな、智依」
「…………?」
「お前は一人じゃないからな」
「…………え?」
「俺はずっとお前の友達だ。お前を見捨てないし、疎ましく思ったりしない。お前を否定しない。だから……自分を責めないでくれ。困った時は……苦しい時は……俺を頼ってくれ。全力で力になる」
「あ……」
——賢く、智に優れ、そして誰かの心に依られるように。そして自らも誰かの心に依ることができるようにように。相手ではなく自分も。それが智依。柴田智依という個人に、私にかけられた願い。……ああ、そうか。相手に一方的に依るだけじゃダメだったんだ。自分も依らなければいけなかった。……なんでこんな簡単なことがわからなかったんだろう。
「ありがとう……陽太君。そして……これからもよろしく」
「ああ」
彼を含め、周囲の景色を見る。——メガネを外して見る景色はとても素晴らしく、綺麗に、明るく見えた。
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