第29話 やっぱりお前は凄いヤツだよ
「家族……いないよ? 今なら何やってもバレることないよ」
「あ、あのですね……川瀬さん……」
非常にマズい。家族がいないというこの状況。唯一の反論材料を失ってしまった。どうする? いや、普通に考えてアウトじゃん。付き合ってもないのに川瀬とそういう関係になるのはどう考えても間違ってるだろ。気が動転していたが、こういうのは流されてやるべきじゃない。
「か……川瀬……こ、こういうのは恋人とするものであって、その……雰囲気に流されてするべきではないと思うのです。ハイ……」
俺は下を向いて川瀬と目を合わせないようにして言う。
「ぷっ……あはははは! 冗談に決まってるじゃん。何、谷口? 私、そんなに軽い女に見えてたの? ショックだな〜」
「な……! いや、決してそういうわけじゃ……!」
……そりゃ、そうか。冗談に決まってるよな、うん。油断してた。川瀬のことだ。こういう展開に決まってるよな、うん。
「……お前、そういうことを他の男に言うなよ。襲われても文句言えないぞ」
「むっ。私、谷口以外の男にはこんなこと言わないよ。それに……」
「それに……何だよ?」
「この間、谷口が名前呼んでくれなかったから……その仕返し」
「……っ」
智依の名前呼びを川瀬が知った時、自分にも名前呼びをするように要求してきた。俺には川瀬を名前呼びすることは出来なかった。華凛も智依も名前で呼ぶことは出来るのに川瀬だけはできない。川瀬の名前呼びだけは……何故か無性に照れ臭くて出来ないのだ。
「さっ、勉強に戻ろうか。時間は有限だからね。やる時はちゃんとやるよ〜」
「おう……あ、川瀬。この問題がわからないんだけど——」
「どれどれ……ここはね……」
……まだ、俺自身川瀬に対してどういう気持ちを抱いているのかわからない。けれど、智依や華凛に抱く感情とは違うものを抱いてると感じる。この気持ちの答えは……いずれ出るはずだ。
「ただいまー」
夕方になり母さんが帰ってきた。案の定、野次馬根性丸出しのこの人は部屋に直撃してきた。
「…………」
「……何だよ」
「……何で? まったくイカ臭くない」
「あのなぁ……」
「このヘタレ。私はあんたみたいな息子を持って残念だよ……」
神様。どうかお願いですから、俺にこの母親を一発ぶん殴る権利をください。
「あ、そうそう。愛美ちゃん、良かったら今夜うちでご飯食べていきなさいよ」
「え? でも……」
「もちろん、愛美ちゃんが良ければ、の話よ。お家でもうご飯用意されてるとかだったら無理にとは言わないわ」
「いえ、家では基本一人でご飯を食べてるので……両親は仕事で夜遅いですし、兄は外食が殆どなので……」
「なら決まりね。うちで食べていきなさい」
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて……ありがとうございます」
「いいのよ。それじゃ、時間まで待っててね」
母さんはそう言い残し、部屋から出ていく。母さんの足音が過ぎ去ると、川瀬は嬉しそうに小さな声で言う。
「谷口と一緒に夕食かぁ……えへへ。嬉しいな……」
え? 何この可愛い天使。俺の知ってる小悪魔じゃない。
「さて、もうひと頑張りしますか! ……谷口?」
「あ、ああ! そうだな、あとひと踏ん張りするとしよう」
……ホント、ふとした時にドキッとさせられるからやめて欲しい。心臓に悪すぎる。
◆
そして貴志と父さんが帰宅し食卓を囲む。……が、何だかピリピリとした空気が漂ってる。まあ、原因は一つ。父さんだ。正確には父さんと川瀬。特に川瀬は無性に緊張してる。無理もない。父さんはいわゆる強面顔だから初対面で緊張するのも仕方ない。
「川瀬……さん、だったかな?」
「は、はい……!」
「…………」
「…………」
川瀬がちょっと泣きそうな顔でこっちを見てくる。いや、わかるよ? 話しかけられたと思ったら無言になるとか最悪の空気だよな。気まずすぎるよな。まあ、でも多分大丈夫……だと思う。
「……いつも息子が世話になっております。これからもよろしくお願いします」
「あ、はい。こちらこそ陽太君には良くしてもらっております。それに今日はご馳走までしていただき本当にありがとうございます」
「…………そうか」
「…………」
「…………」
川瀬の顔がすげぇぷるぷるしてる。なんだろう。本当は何か手助けしてやるべきなんだろうが、いつもやられてる分、困ってる川瀬を見るのがなんだか新鮮で面白いからもうちょっと見ていたい気がする。
「……母さん、ご飯食べようか」
「そうね、じゃあみんな食べよっか。いただきます」
こうして川瀬にとってはおそらく泣きたくなる食事が始まった。だが、まあ——
「あなた、お酒よ」
「ああ、うん。……ありがとう」
すぐにこの空気は終わるだろうがな。
「ほうほう、川瀬さんは学年トップなのか! 今日も息子に教えてやってくれてたのか! 大変だったろう? こいつに勉強を教えるのは?」
「い、いえ……陽太君は意外に飲み込みが早いので彼に合った勉強をやればすぐに成績も上がると思います」
……やっぱこうなった。父さんは口下手で他人と話す時はクソ陰キャになるが、酒が入ると物凄くテンション上がって口が達者になるんだよな。……にしても、川瀬に名前呼びされるのって滅多にないから何だかこう……新鮮というか、少し照れるな。
「そういや、川瀬さん。食事はいつも一人で? 大変じゃないかい?」
「……ええ、私の家は基本誰もいないのでいつも自分でご飯を作って食べてますね。一人暮らしに近い環境ですね」
貴志からの質問に答えた川瀬は少し寂しそうな表情を見せた。
「…………」
食事の場は盛り上がり、とても楽しいものだった。だが、夜も遅い。そろそろ川瀬も帰るべきだろう。
「じゃあ、川瀬。送るよ」
「ありがとう、谷口。——ごちそうさまでした。美味しかったです」
「またおいでね、愛美ちゃん!」
母さんの声に川瀬は微笑む。
「…………」
「…………」
道中、二人とも無言のままだった。いや、違う。川瀬は何か言い出そうとしており、俺はそれを待っている。
「……とても優しい家族だね」
ついに川瀬が言う。
「谷口もそう。みんな、優しい。とても……温かい家族だね」
「…………ああ。そうだな」
「私にはそんな家族はいないから……羨ましいな」
「…………」
「……ねえ、谷口」
「……なんだ?」
「私、怖いの」
歩いてた川瀬はその足を止め、俺の裾をぎゅっと掴む。まるで離れないで、と言うように。
「……私、谷口とこうやって一緒にいるのが楽しい。なのに話せなくなるなんて……いやだ」
当然のことだ。賭けに乗ったとはいえ、友人を失うに等しいその賭けにはあまりにデメリットが大きい。例え、自分の責任で承諾したとしても。……そもそも俺だって川瀬と話せなくなるなんて……そんなのは耐えられない。
「……なあ、川瀬」
「……うん」
「……どうして、俺を責めないんだ?」
「…………?」
「俺は今でも智依と仲良く帰っている。それをやめろ、とあいつと仲良くするな、とお前はそんなことを一言も言わない」
「…………え? 当然じゃない? だって、友達なんでしょ?」
「…………っ!」
何を言ってるの? とでも言いたげに川瀬は首を傾げる。
「あの子の友達は見る限り、谷口一人でしょ。その友達を私の勝手なエゴで縛るなんてできないよ。…………そもそも私は谷口の彼女でもなんでもないしね」
「…………川瀬」
「……だから、今まで通り谷口は柴田さんの友達として——そして私の友達として……いて」
「……ああ、やっぱりお前は凄いヤツだよ、川瀬」
「え?」
「何でもない。その強さなら……お前は智依に勝てる。……俺は智依の友人として、川瀬の友人として、二人の味方でいよう」
「……うん、見てて。谷口。私、頑張るから」
そう言い、川瀬は優しく微笑んだ。
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