第2話 ラブ・モンスター
三日後の夕刻。
アルビオの料亭の個室に、銀髪の美青年の姿があった。
顔立ちは繊細で、同性でさえ息を呑むような優艶な気配を漂わせている。
「──それで、アルヴィンは?」
翡翠を思わせる深い緑色の瞳を、フェリックスは同席者に向けた。
ネモフィラの花を思わせる、金髪碧眼の可憐な双子が眼前にいる。
そしてアルヴィンの姿はない。
会って欲しい人がいると頼まれ──乗り気ではなかったが、フェリックスは顔を出した。
だが、必ず同席すると言っていたアルヴィンが不在なのだ。
アリシアは頬に手を当て、微笑みを浮かべる。
「なんでも、急用ができたとか! こんな大事な日に仕方のない子ですわ」
「不出来な後輩で、フォローするわたしたちも、苦労していますの。さあフェリックスさま、そんなことより、お呑みになってくださいませ♪」
四人がけの円卓には、豪華な食事が並ぶ。
両側に座った双子が、やけに熱心に酒をすすめる。
お断りしておくが、フェリックスを酔い潰そうとしているのではない。そんな可愛げのある話ではない。
フェリックスの手にしたガラス杯に注がれた酒──実は、ホレ薬である。
先日、星読みの魔女ポラリス──表の顔は、アルビオでよく当たると評判の、詐欺師まがいの占い師だ──から、入手したものなのだ。
にこやかに微笑む双子の目の奥は、笑ってなどいない。
手段を選ばずお持ち帰りして、既成事実を作ってゴールイン──可憐な見た目とは裏腹に、悪魔的な奸計を張り巡らせている。
双子の双眸は、獲物を狙うハンターのそれである。
「ささ、遠慮なさらずに。お呑みになってくださいませ♪」
対してフェリックスは、双子の本性を知らない。
数年前のプロムナードで、ほんの一瞬、会話しただけだ。
彼女らの勧めを無下に断るのは気が引ける。アルヴィンの不在を不審に思いつつ、杯を口に運び──
「すみません! 遅れました!」
ダン! と勢いよく扉を開け、飛び込んだアルヴィンの声が、フェリックスの手を止めさせた。
息を切らしながら、アルヴィンは頭を下げて詫びる。
「今日は、やけに道に迷ったご老人が多くて……すみません!」
「あら、間に合ってしまいましたの?」
「間に合って……しまった?」
アルヴィンは怪訝そうに問い返す。
聞き間違い、だろうか。
エルシアの顔には、残念そうな色がありありと浮かんでいるが……
違和感を覚えながら、アルヴィンはフェリックスの正面に座る。
実は道に迷ったご老人たちは、双子の差し金だ。
ホレ薬を呑んだ者は、一番最初に目を合わせた者と恋に落ちる。
つまりその瞬間、双子以外の人間に居合わせてもらっては困るのだ。
とはいえ……来てしまったのは仕方ない。
ここで揉めて、フェリックスに怪しまれるのは得策ではない。
早々にアリシアは勝負に出た。手近にあった杯をアルヴィンに押しつけると、立ちあがる。
「これで、全員揃ったわね!」
嫌でも呑まざるを得なくする手段など、いくらでもある。
「それじゃあ、乾杯するわよ! 再会と、あたしたちの未来を祝して、乾杯ーーー!」
「乾杯ですわ~♪」
エルシアも上機嫌で杯をかかげる。
アルヴィンとフェリックスは、互いに顔を見合わせた。
どこか強引で、釈然としない。釈然としないが……拒否するのも、躊躇いがある。
違和感を覚えつつ、フェリックスは杯を口許に運ぶ。
琥珀色の液体が、唇に触れる。
双子の目が鋭く光る。
ガラス杯が傾き、全て飲み干し──いや、違う。
横から伸びた腕が、乱暴に杯を横取りした。
「こんな時に酒とは! お前たち、良いご身分だな!!」
野太い声が轟く。
欲と憤懣の詰まった下腹を揺らしたのは、我らが枢機卿ウルベルトである。
「ウ、ウルベルトっ!?」
「どうしてここにいるのですっ!?」
さらなる邪魔者の登場に、双子は気色ばむ。
欲深な枢機卿は忌々しげに鼻を鳴らすと、四人の美男美女を睨みつけた。
「俺が知らぬとでも思ったか? 不眠不休で働いておるというのに、お前らは旨い酒を呑みおって! 俺にも呑ませろ!」
「ちょ……ウルベルト! 待って! 待って!!」
必死の制止は間に合わない。
フェリックスからひったくった酒を、一気にあおる。
「あ……!」
口に手を当てると、双子は即座に円卓の下に身を伏せた。
何かを察したフェリックスもならう。
結果、ウルベルトの視線は──状況を呑み込めない、黒髪の青年に注がれる。
ウルベルトは魂が抜けたような顔で、呆然と立ち尽くす。
ガラス杯が手から滑り落ち、割れた。
「枢機卿ウルベルト……?」
数秒間の、沈黙。
「あ、あ、あ……!」
ウルベルトの欲で濁った目に、熱い何かが宿った。
「ア、ア、アルヴィンンっ! 愛しているぞおおおおおおおおおお!」
熊のような雄たけびである。愛の咆哮が、ビリビリと空気を震わせた。
次の瞬間、ウルベルトはアルヴィンへ突進する。
「ちょっ!? どうしたのですかっ!!?」
突然の抱擁を間一髪で回避する。アルヴィンの顔は、恐怖で引きつった。
鼻息荒くにじりよる巨漢を前にして、後ずさる。
「アルヴィン、ずっと……ずっと、愛しておったのだぞおおおお!!」
「そんな衝撃告白されても!? ぼ、僕は男ですよ!? 大事な人もいますっ!」
「そんなことは、関係ないいいいぃ!」
「大ありです!!」
アルヴィンは神を聖櫃に封じ、大陸を救った男のはずだが──ラブ・モンスターを前にして、無力すぎた。
とにかく、逃げるしかない。
と。
円卓の下に隠れた双子と目が合う。
アルヴィンの中で、点と点が結びつき、何かが閃いた。
「先輩方っ! 何をしたんですっ!?」
「えーっと……ホレ薬を入れちゃった! テヘ☆」
アリシアが、悪びれた様子もなく笑う。
愛の突進をかわしながら、アルヴィンは涙目で叫ぶ。
「解毒剤は!? 早く出してください!」
「ない♡」
「頑張るのです♡」
「ちょっとおおおおお!?」
「アルヴィンーーー!! 愛しているぞおおおお!!」
頬を乙女のように上気させたウルベルトの、分厚い唇が迫る。
もし捕まったら──終わる。
アルヴィンの、貞操をかけた戦いが始まった。
「キミって、ほんとよくモテるよね」
そう苦笑するフェリックスは、この惨事を楽しんでいるかのようだ。いや、絶対に楽しんでいる。
逃げ惑うアルヴィンと、追うウルベルト。
そして今度こそは……! と闘志を燃やす、懲りない双子。
ちなみにラブ・モンスターの求愛は、翌朝クスリの効果が切れるまで続いたらしい……
(了)
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