第107話 その日は、きっと遠くない

 秋の空気は乾燥していて、空の蒼さはいつになく深さを増す。

 柔らかな陽光がステンドグラスに差し込むと、輝きが宝石のような形をもって、七色に燦爛した。聖堂に神々しい光が満ちた。


 聖都アルビオの大聖堂で、婚姻のミサは盛大に執り行われた。

 パイプオルガンの音色とともに、荘厳な聖歌が響く。

 司式司祭に先導され、新郎新婦はゆっくりと祭壇へ進む。ベネットは、礼拝用の長椅子に着席した参列者を、ちらりと見やった。


 多くは、審問官の同僚だ。あの日共に戦った、仲間たちの顔もある。

 そして二人分の空席に気づき、表情が曇った。

 いや……景気の悪い顔などしていられない。沈みかかった気持ちを、慌てて切り替える。


 と。

 前列で、場違いな歓声があがった。

 司祭が眉をひそめ、非難がましい視線を投げやる。乙女のように瞳を輝かせて、黄色い声をあげているのは、双子である。

 熱い視線を花嫁へ──ではなく、銀髪の美青年へと注いでいた。


 ベネットは直接の面識はないが……禁書アズラリエル研究の第一人者であり、教皇の相談役でもある、フェリックス博士ではないだろうか。

 人の形をしたハリケーンに左右から挟まれて、動じた様子もなく、涼やかに足を組んでいる。たいした胆力である。

 確か、多忙な教皇ウルベルトの名代として、名簿に名前があったはずだ。


 そこから少し離れた席に、ニコニコと笑うメアリーの姿が見えた。

 足元で、貫禄のある老猫が毛繕いをしている。

 大陸屈指の難関校であるオルガナに裏口入学した赤毛の少女が、自力で卒業してみせたのは、控えめにいっても驚きだった。


 もっとも、それには十二年を要したわけだが……卒業の価値に変わりはない。

 数々の前人未踏の記録を──教官らからすれば悪夢を──残した彼女は、一年間の見習い期間を終えるや、オルガナへ呼び戻された。そして学院長に抜擢されたのが、今春のことだ。


 オルガナ史上、比肩する者のない劣等生がトップに立つ。

 新学院長の活躍については、隣に座るお目付け役の顔を見れば、だいたい想像がつく。

 腕を組んだヴィクトルの顔は、不機嫌の三文字を顔に貼りつけた仏頂面である。


 これからオルガナにも、新しい風が吹くに違いない。

 ベネットは変化を予感し、笑った。





 ──宴は、まだ続いている。


「……一滴の酒も呑んでいないのに、どうしてあんなに盛り上がれるんだ……」


 うんざりしたように天井を仰ぎ、盛大に嘆息する。 

 ミサのあと、宴を催したわけだが……時刻はもう、夜半に近い。


 新婦はずいぶん前に、屋敷に帰らせた。一向に終わらない宴に辟易して、ベネットも抜け出してきたのだ。

 ひとり、聖堂の廊下を歩く。

 夜風に当たりたかった。考える時間が欲しかった。


 いくら慶事とはいえ……皆、ハメを外しすぎだ。ヴィクトルが祝いだと、大声で歌い出したときには、さすがに閉口した。

 祝福はしてくれる気持ちは嬉しいのだが……


「──失礼!」


 角を曲がったところで、ベネットは声をあげた。

 出会い頭に、少女とぶつかったのだ。


 どうも上の空になっていたらしい。子供の気配に気づかないとは、審問官失格である。

 六歳くらいだろうか。自嘲しながら、尻餅をついた少女に手を貸す。


「怪我は──」


 問うよりも早く、少女は起き上がると、ペコリと頭を下げた。ダークブロンドの髪を揺らし、そのまま何も言わず走り去ってしまう。 


「ちょっ……君!」


 怪我はないようだが……瞬く間に小さくなった後ろ姿を見送りながら、首をかしげる。

 この先にあるのは、新郎新婦の控え室だけのはずだ。

 こんな夜半に……しかも子供がひとりで、何をしていたのか。


 訝しみながら部屋に戻る。

 中は、特段変わった様子はない。荒らされた気配もない。安堵してソファーに腰を下ろし……ベネットは身じろぎした。


 テーブルに、見覚えのない花束とメッセージカードがある。

 ベネットは何かを直感した。震える手でカードを開き──次の瞬間、廊下へと飛び出していた。


「──待ってください!」


 声は虚しく残響する。少女の姿は、どこにもない。

 ベネットは、素早く思考を巡らせた。


 まだ、そう遠くには行っていない。そして、人気のない方へ向かったはずだ。

 そう結論づけると、宴会場とは逆方向へ走る。


 大聖堂の外には、トネリコの木が植えられた、だだっ広い芝生の広場がある。ヒヤリとした風が頬に触れる。

 息を切らしながら走り出たベネットは、薄闇の中に目を凝らし──鼓動が跳ねた。


 青白い月明かりの下に、少女の背中が見えた。ダークブロンドの髪をした佳人と、黒髪の青年が出迎えている……

 そのどちらも、ベネットはよく知っていた。 


 少女が一目散に走り寄り、青年に抱きついた。


「……アルヴィン師…………っ!」


 声が震えた。

 見間違えようなどない。雰囲気は以前より成熟した感があるが……いや、当然だ。あれから、十年が経ったのだ。


 女が白く優美な指先を虚空に走らせ、軌跡を描いた。刹那、三人の足元に水が生み出された。

 厚い水のヴェールが周囲を渦巻き、瞬く間に親子を覆い隠す。

 今を逃せば、二度と会う機会を失う──焦りが足をもつれさせ、ベネットは転倒した。


 口に入った泥を吐き捨て、持てる肺活量のすべてを声に変えた。


「アルヴィン師! ──待ってくださいっ!!!」


 必死の叫びは……届く。

 黒髪の青年が、ベネットに気づく。

 三人を包み込んだ水塊が、泡が弾けたように消えた。


「ベネット……!」


 呟きが漏れ、二人の視線が交錯した。

 しばしの沈黙のあと、アルヴィンは驚きと、照れくささが混じった笑みを浮かべた。

 懐かしむような目で、教え子を見つめる。


「……ベネット、立派になったな。いや、君は最初から立派だった」

「よしてください! 私は……どうしようもない、未熟者でした」


 不意に目頭が熱くなる。妙な気遣いをみせる師に、涙ぐみながらベネットも笑った。

 アルヴィンは娘を地面に下すと、教え子へと歩み寄った。


 手を貸し、立ちあがらせる。そして、言葉を選ぶようにして静かに詫びた。


「すまない、ちゃんと祝福をしたかったんだが……僕の立場で君に会うと、迷惑がかかると思ってね」

「それは違います! 謝らなくてはいけないのは、私の方です!」


 ベネットは声を大きくする。

 それは、紛れもない本心だ。師を追わず、アルビオに残ったことを、ずっと後悔していたのだ。

 十年ぶりの再会が、思いを溢れさせた。


「お願いです! 私も戦います。一緒に連れて行ってください!!」

「ベネット……婚姻の日に花嫁を放りだして、どうするんだ?」 


 冷静さを欠いた前のめりな訴えに、アルヴィンは思わず苦笑する。


「君を連れて行ったら、僕がくびり殺されてしまうよ」 

「ですがっ……!」

「君の思いは嬉しい。だが、もっと大切なことを頼みたい」

「頼み……?」


 思いもしない言葉に、ベネットは師の顔を、まじまじと見る。

 眼差しに信頼を、声に決意をこめ、アルヴィンは告げた。


「そうだ。僕は教会の外から、世界を変えようと思う。君は、教会の中から変えて欲しい。君にしか託せない願いだ。僕をまだ師と思っていてくれるのなら、頼まれてくれないか?」

「……」


 ベネットは沈黙し、唇を噛みしめた。

 十年前とは違う。ソフィアや、審問官としての職責を投げ出し、師について行くことはできない。

 それは、痛いくらい分かっている……


「分かり……ました」


 ベネットは、声を絞り出した。 

 教会を変える。それが聖都で果たすべき、新たな使命なのだ。

 

「アルヴィン師……約束します。教会を、必ず変えてみせます」

「ありがとう。だが、何かあったら呼んでくれ。いつでも駆けつける」


 教え子の肩を、アルヴィンは強く抱く。


「心配は無用です。私を、誰の弟子だと思っているのですか?」


 ベネットは冗談っぽい口調をつくった。

 それは、精一杯の強がりであったかもしれない。だが、迷いはない。

 

 無言で、二人は握手を交わす。

 アルヴィンは踵を返すと、妻子の元へと戻る。


 再び水が渦巻いた。別れの時がきた。

 水が覆い隠す間際、アルヴィンは叫んだ。


「──また会おう、ベネット。次は堂々と。人も魔女も、関係のない世界で」


 直後、水塊ごと三人の姿は消える。

 広場にはベネットがひとり残され、闇と静寂が戻る。


 まるで、夢を見ていたかのようだ……

 ベネットは呆然としながら、ふっと笑った。

 開いた掌に、ロザリオが残されていた。師のものだろう。強く握りしめ、思いをはせる。


 人と魔女の融和とは──夢物語だろうか? 


 いや、決して不可能ではない。あの日の困難を乗り越えたのだ。必ずやり遂げられるはずだ。

 夜空を仰ぎ、ベネットは少し冷たい風の中、つぶやいた。


「また会いましょう、アルヴィン師。その日は、きっと遠くない……」





(了)





◆アリシア&エルシアのイラスト

https://kakuyomu.jp/users/mimizou55/news/16818093075815967788


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る