第106話 それぞれの未来
暗黒の時代は終わった。
大陸は滅びから救われた。名もなき者たちの、勇気によって。
あの夜、聖都を襲った大火は、背教者ステファーナによる反乱とされ、生き残った枢機卿派は処断された。
不可解ではあるが……光る巨人、そして魔女による聖都襲撃について、教会は否定も肯定もせず、今日まで沈黙を守ったままである。
反乱により甚大な被害を受けた聖都は放棄され、速やかに古都アルビオへと遷都された。
教皇ミスル・ミレイは長年の昏睡がたたり、翌年退位する。
次に即位したのは、教皇ウルベルトである。
華美で世俗的な教会運営には、内外から批判も多い。
一方で、実利主義的な辣腕を振るい、傾きかけた教会を建て直した功績は、正当に評価されるべきであろう──
「あのさ」
心底呆れたような声が、万年筆のペン先を止めさせた。
ベネットが顔をあげると、頬杖をついたアリシアと目があう。
「こんな日まで、そんな辛気くさいもの書かなくてもいいんじゃないの?」
「辛気くさいものなんかじゃありません。真実を書き残すのは、あの場にいた者の責務です」
堅苦しく反駁して、ベネットは万年筆を置く。
部屋には、いつの間にかアリシアとエルシアがいた。痺れを切らして迎えにきたのだろう──二人はラベンダー色と、淡いピンク色のイブニングドレスで着飾っている。ネモフィラの花のような、可憐な容姿は相変わらずである。
書きかけの書をバタリと閉じると、ベネットは期待の篭もった眼差しを向ける。
「それで……アルヴィン師は?」
「まだよ」
アリシアは首を振った。
そして、疑わしげな視線に気づき、口を尖らせながらつけ加える。
「言っておくけど! 招待状ならちゃんと渡したわよっ」
「自分が顔を出したら、あなたの立場を悪くするとか、つまらない気を回しているのですわ」
「あたしたちは来ているのにねー」
双子は顔を見合わせ、悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
ベネットは、心の中で嘆息した。
今日なら来てくれるのではないか──淡い期待があった。だが、それは望み薄なのかもしれない……
師アルヴィンと別れてから、十年が経つ。
一連の事件から程なくして、アルヴィンは審問官を辞し、教会を去った。
それは復讐を終えた彼なりの、ケジメであったのかもしれない。
そして、新たな一歩でもあった。
大陸に二度と滅びをもたらさないという、白き魔女との約束を果たすためだ。
神が現出した夜、一時的に共闘した教会と魔女だったが、長続きはしなかった。
アルビオに遷都後、関係は速やかに破綻した。互いの不信感は根深く、憎しみ会う構図に、さしたる変化は見られない。
不死者が大陸からいなくなったとしても、両者の対立は、いずれ破滅的な結果を招くだろう。
アルヴィンは憂い、人と魔女の融和のために行動に出た。
放棄された旧聖都で、どちらにも属さない、新たな集団の指導者となったのだ。
この十年で、志を同じくする人や魔女が集まり、今や第三の勢力となりつつある──
元審問官による教会への背信は、教会上層部において大いに問題視されている。
いつ粛正されても、おかしくはない。それが現状、黙認とされているのは、教皇ウルベルトが何かと理由をつけ、はぐらかしているおかげだろう。
「お前たちは、師弟で迷惑をかけよって!」
と、顔を合わす度に、小言を言われるのはそのためだ。
だが──文句のひとつも言いたいのは、ベネットとて同じである。
師が教会を去ったとき、エウラリオとの戦いで負った重傷で動けず、入院中だった。すべてを、あとから知った。
なぜ弟子の自分に、相談のひとつもなくいなくなったのか。それが、将来を慮った結果だったとしても、知らせて欲しかった。
結局、ベネットは教会に残る道を選択せざるを得なかった──いや、それは言い訳に過ぎない。
退院したあと、審問官となったあと、追おうと思えば、いつでも機会はあった。
事実、アリシアとエルシアは審問官を辞して、教会を飛び出している。
教皇ウルベルトから提示された、上級審問官への昇進を蹴り飛ばして、アルヴィンに合流してしまったのだ。
双子の行動力が、ベネットにはうらやましくすらある……
どうしても彼は、教会を去る決断ができなかった。
それは献身的に看病し、側で支え続けてくれた少女の存在が大きい──
「ベネットさま?」
気遣わしげな声がかけられ、ベネットは我に返った。
目の前に、純白のウエディングドレスに身を包んだ、美少女がいた。白いコスモスの花のような清らかな美しさに、思わず目を細める。
「いや……何でもないよ」
今は、過去を悔やむときではない。安心させるように、ベネットは微笑み返す。
今日は、祝福の日。
審問官ベネットとソフィアの、婚姻のミサが始まる。
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