第102話 原初の魔女ふたたび

「何てことをっ!」


 クリスティーの身体が力を失い、崩れ落ちる。

 地面に倒れ伏す寸前、アルヴィンは抱きとめた。薄く硝煙を吐く拳銃が落ちる。

 心臓が早鐘のように打つ。背中を嫌な汗が伝った。


 彼女の顔は蒼白だ。胸元が、見る間に赤く染まっていく。

 致命傷、である。僅かな時間で、命の灯火は消えるだろう……


 これまで死線をくぐり抜けてきたアルヴィンには、それが分かる。


「どうして君は──いつもいつも!!」


 驚き、怒り、哀しみ……ぐちゃぐちゃになった感情が、心をかき乱した。 

 彼女は、いつだってそうなのだ。


 気高く、素直じゃなく、容易に本心を明かさない。大事なことを、相談もなくひとりで決めてしまう。ひとりで背負い込んでしまう。


 ──三年前だってそうだ。


「クリスティー! 目を開けてくれ!!」


 声を震わせ、アルヴィンは手を握る。

 クリスティーは、薄く瞼を開けた。弱々しく……だが、断固とした意思をもって、掌を押し返す。


「……クリスティー!?」

「逃げな……さい……来……る…………」


 何が来るのか。

 確認の必要などなかった。それは、すぐそこにまで来ていた。

 ただならぬ、おびただしい魔力が地下に満ちる。


「──原初の十三魔女!?」


 弾かれたように、アルヴィンは顔をあげた。

 地下に、濃厚な蒸気がたちこめる。厚い乳白色の壁の向こう側に、黒い影が見えた。

 巨人が、そこにいた。


 十一の影がある。

 アルヴィンは戦慄せずにはおれない。


 三年前にアルビオで駆逐された、嵐の魔女オラージュを除く、原初の魔女。その全てが揃っていた。

 クリスティーの命を懸けた行動が、魔女たちを喚んだのだ。


 白き魔女が手を掲げ、振り下ろす。

 神と魔女との最後の死闘は、直ちに開始された。戦いは苛烈を極める。

 魔女の半身を、光熱波が吹き飛ばす。神に向け、真空の刃と雷撃、火球が一斉に放たれる。


 破滅的な威力を持つ魔法の応酬が、地下の温度を耐えがたいものに変える。

 人が手出しをできるレベルではない。アルヴィンは額に汗を浮かべ、固唾を呑んで見守るしかない。

 そして──


 攻防は不意に、何の前触れもなく終わった。

 猛烈な攻勢を受け沈黙したのは──神だ。魔女たちは、すかさず封印にかかる。


「行ける──!」


 アルヴィンは拳を握りしめた。

 瞬く間に神は、聖櫃へと呑み込まれていく。

 これで大陸は救われる。湧き上がった希望は……だが、長続きしない。

 異変が生じた。


 神は、指先を残して聖櫃の中へ消えている。

 だが、あと少しを残して──ピタリと止まる。それ以上、封ずることができない。

 力の流れが変わった。

 身のすくむような咆哮が、地下の空気を震わせた。


 魔女たちの攻勢は、そこまでだった。


 封じられかけた神が、じりじりと聖櫃の外へと出始めた。

 指先だけでなく、手首が……肘が、見る間に顔を出す。押さえ込もうとした魔女の首が吹き飛ばされる。


 理由は……極めて単純なのだろう。そして、致命的だ。 

 神を聖櫃に封じるには、魔女たちの力が、ほんの僅か足りなかったのだ。


「原初の十三魔女、全てを喚びだしてもダメなのか……!」


 彼女が命を懸けて打った策が、崩れ去ろうとしている……

 アルヴィンは絶望に喘ぐ。 


 ──何か……何かないのかっ!?


 力の不足を補う、何か。短剣や拳銃程度では、到底足りない。

 救いを求め、アルヴィンは必死に視線を走らせる。

 そして──ある一点に釘付けとなる。


 巨岩の頂に、何かが突き刺さっている──


「グングニルっ!」


 思わず声が漏れた。

 神の首を斬り落とした、あの槍で加勢すれば──押し返せるかもしれない。

 だが……アルヴィンは躊躇した。


 クリスティーの意識は、もうない。命の灯火が、尽きようとしている。

 普段の彼であったなら、死に瀕したのが彼女でなかったのなら、アルヴィンは速やかに決断し、行動しただろう。


 瀕死の彼女をひとり置いて、離れたくない。彼女を失うことへの怯えが、前に進むことを断固拒否させる…… 


「しっかりするんだ!」


 不意に、アルヴィンの頬を平手が打った。

 痛みよりも驚きで、我に返る。すぐ側に、銀髪の佳人が立っていた。


「フェリシアっ!?」


 アルヴィンの声がうわずった。

 翡翠のような深い緑色の瞳に、知性と颯爽とした活力をたたえているのは、意識を失っていたはずのフェリシアだ。

 敵意は微塵も感じられない。精神支配が解けたのだろう。

 

 フェリシアは神と魔女の死闘を見やり、大げさに嘆息した。


「目が覚めた途端、ビックリだよ。とんでもない状況で、キミは大陸の終わりみたいな顔をしてるんだからね」

「……大陸の終わり……か。あながち間違ってないさ」

「でも、打つ手はあるんでしょ?」


 銀髪の美女は、当然のように問い返す。


「……手は……ある。あるが……」


 アルヴィンは言い淀み、俯く。じっと、クリスティーの顔を見る。

 その様子に、フェリシアは何かを察したようだ。


「──キミがここに残ることが、その人の願いなのかい?」


 ──そうではない。


 アルヴィンは首を振る。

 白き魔女と大陸を救うために、彼女は命を懸けたのだ。死の間際に、哀れみを受けるためではない。

 もしクリスティーに意識があったなら……女々しくうな垂れるアルヴィンに、何と言うだろう?


 ──こんなところで諦めるなんて、期待外れだったわね。


 きっと、そんなところだ。

 いつだって彼女は、手厳しく遠慮がない。状況も忘れ、アルヴィンは苦笑する。

 そして決意する。


 今何を成すべきか、答えははっきりしている。


「フェリシア、君の言うとおりだ。彼女の願いは、滅びなんかじゃない」


 アルヴィンの声が、決然とした意思の力を帯びた。迷いは消えていた。


「僕は──彼女の志を守る」 

「安心した。いつものキミに戻ったみたいだね」


 フェリシアは微笑みを浮かべる。

 眼差しに信頼をこめ、力強くアルヴィンの背中を押した。


「さあ、行くんだアルヴィン! 大陸を救うんだ!」 

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