第99話 滅びのプレリュード

 悪い夢を見ているかのようだ。

 数千に分裂した滅びの尖兵が、ステファーナへと殺到する。


 少女は澄ました顔でグングニルを振るった。

 途端、周囲の空気が帯電し、槍先から雷光がほとばしる。容赦のない雷撃が神の分身たちを打ち据えた。

 数百の小爆発が、聖都の夜空に不吉な彩りを添えた。


 グングニルの力は絶大だ。

 神を相手にして、いささかの引けも取らない。互角以上だ。

 このままなら滅ぼせ……いや、早々に誤算が生じる。

 

 突撃は、止まらない。

 グングニルをもってしても、数千の突撃を阻むには至らない。

 雷撃をかいくぐり、死の奔流が急迫する。


 これまで微笑み以外の感情を宿さなかった少女の顔に、動揺が浮かんだ。

 神罰は速やかに下された。


 耳を塞ぎたくなるような、絶叫が響き渡る。

 数十本を超える槍が、全方位からステファーナを刺し貫いた。


 信じられない光景だ。

 目を見開き、数度痙攣した後、少女は力を失う。ガクリと、首が垂れる。


 底知れぬ魔法を振るい、教会を影から支配した魔女は……死んだ。


 あまりにも、あっけない最期だ。

 少女は、神の力を過小評価しすぎた。驕りが死を招いたのだ。

 骸が、グングニルと共に地下へ投げ捨てられる。


 無惨に地面に叩きつけられ、アルヴィンは顔を背けた。

 その最期を目の当たりにして、言葉もない。もちろん、一切の同情もない。

 アルヴィンにとって──直接手を下したわけではないにせよ──父を死に追いやった宿敵であった。


 その死は、復讐の終わりを告げる朗報であり……ある意味で、凶報である。


 ステファーナ亡き今、どう神に抗うのか……?

 事態は急速に、深刻な方向へと転がり始める。


「まずいぞっ……!」


 かろうじて見える地上の光景に、アルヴィンは慄然とした。

 神兵たちが翼を広げ、飛翔する。損壊を免れた、聖都の市街地へ向けて、だ。

 そこには、いまだ多くの市民が取り残されているはずだ。

 滅びが、聖都の上空を覆い始めた。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 地上では、熾烈な市街戦が始まっている。

 教会と魔女の戦い、ではない。

 両手に拳銃を構えたヴィクトルが、建物の影から飛び出した。投じられた光の槍をギリギリの距離でかわし、応射する。


 正確無比の射撃が頭部へ、かっきり一ダースの銃弾を叩き込む。その相手は、神兵だ。

 消滅と同時、小爆発が起きた。火炎が赤い舌となってなぶるより早く、ヴィクトルは石畳を転がる。


 神経質で陰険、学院生から毛嫌いされている男だが──審問官としての腕が超一流であることは、改めて述べるまでもない。 

 跳ね起きた時には、拳銃の再装填を終えている。


 追いすがった新手へ向け、引き金を絞る。

 さらに一体を屠り、素早く周囲の気配を探る。


 聞こえるのは銃声……同志のものだろう。そして市民の悲鳴だ。

 地響きが生じるのは、魔女が喚びだした火球の力に違いない。

 眉間に深い皺を刻み、ヴィクトルは舌打ちする。


 楽な戦い──とは、とてもいえない。

 神兵は、手強い。しかも空を埋め尽くすほどの数が迫ってきている。

 教会と魔女の即席の連合軍では、明らかに荷が勝ちすぎている。

 このままでは、押し切られるのは時間の問題だ──





 焦りを抱きながら奮戦するのは、双子も同様だ。

 アリシアが舞うようにステップを踏み、剣戟を走らせる。エルシアが的確な射撃で援護を入れ、つけいる隙を与えない。

 双子の連携は、神兵をも翻弄し駆逐していく。


 だが……アリシアの顔に、苛立ちが募る。


「十や二十減らしたところで、埒があかないわっ!」


 それほどまでに、神兵の数は多い。 

 そしてさらなる一団が、突進してくる。

 アリシアは先頭に狙いを定めると跳躍し──剣先を急停止させた。

 違和感があった。


 滅びの尖兵と称するには、シルエットがだらしなさすぎないか。

 アリシアは、薄闇の中に目を凝らす。ヒキガエルのような風貌に、既視感があった。 


「──ウルベルトっ!?」


 緊迫した局面に全く不釣り合いな、素っ頓狂な声があがる。


「おお、お前たち無事であったか!?」


 見間違いではない。眼前にいるのは、別行動をとっていた枢機卿ウルベルトである。  

 ただし──感動の再会とはならない。むしろ逆だ。 


 男の背後に、白い仮面をつけた祭服の一団を認めるや、アリシアは電光石火のごとく短剣を閃かせた。

 剣先が、ウルベルトの太い首元に突きつけられる。

 ヒッ、と情けない悲鳴があがった。


「ウルベルト、いつか裏切ると思っていたわ」


 アリシアの声音と眼差は、絶対零度まで冷え切っている。


「まっ、待て待て! どうしてそうなる!? こやつらは処刑人だが、今は味方なのだ!」

「処刑人が? 信じられないわね」

「嘘をつくなら、もっとマシな嘘をついたらどうなのです?」


 詐欺師を見るかのような目で、エルシアも加勢する。

 周囲に、脱出不可能な包囲網が形成される。

 ウルベルトは目を白黒させながら、唾を飛ばした。


「だから、誤解だ! 俺は潔白だっ。俺の目をよく見ろ!」

「欲にまみれた目で、何を言ってるのよ」


 説得力の欠片もない反論を、アリシアは即座に封殺する。

 日頃の行いの賜物……いや、ツケとでも、いうべきか……


「この方が仰っていることは、事実です」


 そこに、救いの手が差し伸べられた。


「ソフィア……あなたまでどうしてっ!?」


 小さな救世主の正体は、隠れ家で待機しているはずのソフィアである。

 少女に、脅された気配はない。もちろん、噓も感じられない。


「聞こえただろうがっ!? さっさと剣を引け!」


 口許を引きつらせながら、欲深な枢機卿が叫ぶ。

 渋々、といった様子でアリシアは短剣を引いた。ただし、全面的に信じたわけではない。


「あなたは教皇庁へ向かったはずよ。どうしてこんな所にいるのよ」

「隠れ家に戻るところなのだ! エレンとかいう、小娘を助けにな」


 首筋を撫でながら、ウルベルトは雑に説明する。

 双子は、なお疑わしげだ。


「本当なのでしょうね? ステファーナは捕らえたの? 教皇猊下は?」

「猊下は、教皇庁で指揮を執っておられる。聖都は放棄するぞ!」

「放棄……ですって!?」 

「お前たちは市民が避難を終えるまで、連中を引きつけろ! 良いな!?」


 ウルベルトは夜空を埋める神兵を一瞥し、忌々しげに吐き捨てる。


「引きつけろって言ったって──」


 不意に口をつぐみ、アリシアは市街地へ視線を向けた。エルシアもだ。

 ただならぬ空気が、聖都の中心に満ちた。

 双子の視線の先に、頭部を失い絶命した神の本体がいる……


 次の瞬間、地獄の奥底から沸き上がったかのような咆哮が、聖都に響き渡った。

 頭部を失った神が、咆哮した。 

 そう錯覚させるような、空気の振動が襲った。


 神は死んでなどいなかった。

 ゆっくりと、光の巨人が動き始めた。

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