第98話 神殺し

 生きている……のだろう。


 頭が酷く痛む。フェリシアに斬りつけられた、左腕もだ。

 全身がボロボロだが、まだ死んではいない。痛みを感じるのが、何よりの証拠だ。

 アルヴィンは上体を起こすと、頭を軽く振った。


 地下に静寂が落ちていた。

 世界の終わりを告げるかのような轟音は──止んでいる。代わりに聞こえたのは、腕の中に庇ったフェリシアの息づかいだ。

 意識はまだ戻っていない。


「ほんとあなたって、一度決めたら止まらない人ね」


 そこに、呆れ交じりの声がかけられる。


 すぐ側に、苦笑を浮かべたクリスティーが立っていた。

 その姿を見て、アルヴィンは思わず安堵の息を漏らす。

 三人とも泥で汚れ、難民のような有様である。だが、致命傷は受けていない。生きている。

 周囲の惨状からすれば、奇跡といってもいい。


 クリスティーが差し出した手を握り、アルヴィンは立ち上がった。

 土煙が収まった地下は、様変わりしていた。


 家ほどの大きさがある巨岩が、いたるところに落下し、地底湖の半分は土砂に埋められている。

 驚いたことだが、虚空に浮かぶ聖櫃と白き魔女は、崩壊の前と何ら変わりないように見える。

 そして……ステファーナの姿はない。


 崩壊に巻き込まれたのか。いや、底知れない力を持った、あの少女に限って、そんなドジは踏むまい。


 ──どこかに、いるはずだ。


 アルヴィンは油断なく視線を走らせ──地面に、青白い月明りが落ちていることに気づく。

 弾かれたように頭上を振り仰ぎ──


「──っ!」


 アルヴィンは言葉を失った。

 にわかには信じがたい光景だった。

 天井に巨大な穴が、ぽっかりと口を開けていた。


 そこから月と、不吉な輝きを放つオーロラが覗いている。

 地上まで続く、巨大な穴が貫通していたのだ。 


 ──だが……一体どうやって……?


 視界の片隅に、こちらを見下ろす何かが映った。

 穴の外縁に立つそれと、アルヴィンは目があったような気がした。

 途端、心臓を鷲づかみにされたかのような、衝撃が走る。


 人だ。人、なのだろう。 

 光り輝き、八翼を持つ巨人を、人の部類に含めてよいのであれば。

 押しつぶされるような圧迫感に、アルヴィンは恐怖すら覚える。


「──神です」


 響いたのは、落ち着いた少女の声だ。


「ステファーナ!」


 巨岩の上にその姿を見出し、アルヴィンは身構えた。


 やはり、というべきか──少女もまた、無事であったらしい。

 その双眸は自信に満ち、いささかの動揺も感じさせない。

 あたかも全てが予定通りであるとでもいいたげな、余裕で満たされている。


「いい機会です。大陸の滅びなど杞憂に過ぎないことを、証明してみせましょう」


 さらりと宣言すると、ステファーナは槍先で岩を軽く突いた。

 パン! と乾いた破裂音が生じ、小さな身体が宙を飛んだ。


 重力の見えざる手が捕らえ直すよりも早く、新たな小爆発が空中に起きる。

 爆発は立て続けに生じ、反動で高度と速度が見る間に増す。

 瞬きをする間もない。


 僅か数秒で少女は、地上へと飛び出した。 

 次の瞬間、その姿は聖都の上空にある。禍禍しい気を放つ、巨人の眼前にだ。

 神が小さな刺客を覚知するよりも早く、ステファーナが動いた。


 グングニルが一閃した。

 恐ろしいほどの速度と正確さで、神の首筋を薙ぐ。


 勝敗は一瞬で決した。

 小爆発で落下の勢いを殺すと、ステファーナは天使のように、ひらりと聖都に舞い降りる。 


「これがグングニルの真価です。神を屠ることなど、造作もありません」


 勝ち誇った声は、誰の耳にも届かない。

 周囲の区画全体が潰滅していたのだから、当然だ。

 肩にかかった金髪を後ろに流すと、ステファーナは背後に立つ神を見あげた。


 巨人の、頭部が──

 ゆっくりと──まるでスローモーションを見るかのように、ゆっくりと──身体から、分離した。

 それは地上へ落下し、新たな地響きを生み出す。


 信じがたいことだが……ステファーナは、神の首を斬り落としてみせたのだ。

 頭部を失った身体は、直立したまま動かなくなる。


「神を……神を、本当に殺した……のか?」


 アルヴィンは、熱に浮かされたように、喉奥から声を絞り出す。 


「まだよっ!」


 否定の声をあげたのは、クリスティーだ。


「あれくらいで、どうにかなるほど甘い相手じゃないわっ!」


 その叫びは──正しい。

 神の首を、斬り落とした。

 だが、何も終わってなどいなかった。


 苛烈な変化が生じたのは、地表に落下した頭部だ。

 輪郭がぼやけたように見えた直後、数千を超える光の粒子へと分裂し、弾けた。

 それが……ただの光であろうはずがない。


「何てことだ──!!」


 ひとつひとつが、人の大きさ程の神兵であることに気づき、アルヴィンは呻く。

 背中に二翼を持ち、輝く槍を手にしている。

 それらは神の使い──いや、滅びの尖兵とでも称すべきものだろう。


 数千に増幅された殺意が、新たな焦点を合わせる。

 光の槍が、全方位からステファーナへと殺到した。

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