第97話 白き魔女と滅びの嵐

◆アルヴィン&クリスティーのイラスト

https://kakuyomu.jp/users/mimizou55/news/16818023212563704714

 


 大陸で最も神聖なる街、聖都。

 その地下に張り巡らされたカタコンベよりも、さらに奥深く。

 地下に、雨が降っていた。


 それは地下水路を複雑に経て、数条の滝となった流れが飛散したものだ。

 多くは地底湖に波紋を刻む。放射線状に広がった軌跡のごく一部が、居合わせた者たちを濡らした。

 アルヴィンは前髪から垂れた滴を、拭おうともしない。


 巨大な地下空間。その上方を、じっと凝視している。

 言葉なく立ちすくむのは、クリスティーも同じだ。その頬を水滴が──いや、涙が伝った。

 アルヴィンはハッとして、その顔を見つめた。


 彼女は、声もなく頬を濡らしていた。

 三年前、アルビオで取引をした時──それよりもずっと以前から、母である白き魔女を探し続けてきた。再会は、彼女の悲願だった。


 それが、ついに叶ったのだ。

 だが……言葉を交わすことはできない。


 地下の空気は、重く張りつめいている。

 状況は好ましくない。

 切り札であったグングニルはステファーナの手に渡り、聖櫃は開かれた……滅びの足音が、すぐそこにまで迫っている。


 どう足搔こうと希望の見えない、最悪の状況だ。

 そこに、少女の声が響いた。


「白き魔女よ! わたしに不死を与えなさい!」


 ステファーナもまた、虚空に浮かぶ聖櫃を見あげている。

 楚々とした横顔に、勝利を確信した表情を浮かべて。


 地下を睥睨する、白き魔女の唇が動く。


「──愚かなこと」


 投じられたのは、僅か一言だ。

 それだけでアルヴィンは、周囲の空気が凍てついたような錯覚に襲われた。


 白き魔女と対峙するのは、これが初めてではない。二度目になる。

 もっとも一度目は──正確には、彼女ではなかった。禁書庫の迷宮が造りだした、複製に過ぎなかった。

 今、本人を前にして感じる魔力と圧迫感は、あの時の比ではない。


 白き魔女を正視するには、相当な意思の力を必要とする。


「──私は姉たちが残した叡智を護るため、不死者となった」


 さらに一言が発せられる。

 声は明瞭で、直接頭の中に響いてくるかのようだ。 


「だがそれは、大きな謬りだった。摂理に反した力が行き着く先は、滅び。永遠など存在しない。お前は結局のところ、死を求めているに過ぎない」 

「愚か者はあなたの方です。白き魔女よ」


 常人なら、後ずさりせずには居れない圧を、ステファーナは平然と跳ね返した。

 それどころか微笑みを浮かべ、言葉を継ぐ。


「原初の十三魔女、最後の生き残り。大陸の歴史上、唯一不死を達成した者。魔道の頂に立つあなたが、何を恐れているのです?」


 わざとらしく、少女は小首をかしげてみせる。

 その態度は、挑発的ですらある。


「滅びるのは大陸ではなく、神です。何が摂理か、それはわたしが決める。見ていなさい、神を殺した暁には、聖都は不死の都となるでしょう」

「……狂った妄想ね。あなたが神にでもなるつもり?」


 泣き濡れたクリスティーの目はまだ赤い。だが眼差しは、毅然としたものへと戻っていた。

 手厳しい皮肉への回答は、言葉ではなく行動によってなされる。


 グングニルの槍先が、クリスティーに向けられた。

 白き魔女に視線を留めたまま、少女は悪意と優越感に満ちた声を響かせる。


「白き魔女よ、わたしは気の短いほうではありません。ですが、これ以上忍耐を試さないことです。わたしの願いを拒むなら、娘を殺します」

「よせっ!!」


 朗らかな殺害予告に、アルヴィンが叫ぶ。

 そして……僅かな違和感を覚える。


 クリスティーに向けられた、グングニルの槍先。それが、細かく震えていた。

 いや、震えているのは……地下空間、全体だ。


「邪魔が入りましたね」

「──?」


 ステファーナが、小さく肩をすくめる。

 新たな鳴動が生まれた。


 地震ではない。直感的にそう判断したのは、頭上に振動が生じたからだ。

 地下空間の天井が、激しく震えている。

 亀裂が縦横に走り、硬い岩盤が波打った。


「──何────っ──────が!?」


 自分が発したはずの声が、聞き取れない。

 直後、一万枚の銅鑼を打ち鳴らしたかのような破壊音が、鼓膜を乱打した。

 

 天井が崩壊した──


 膨大な土砂と岩塊が、豪雨のように降り注ぐ。

 濃厚な土煙が、瞬く間に視界を奪い去る。


「アルヴィン!」


 緊迫した声とともに、クリスティーが腕を掴んだ。

 土煙の中へ駆け出そうとするアルヴィンを、制止したのだ。


「どこに行くの!?」

「彼女を助ける!」

「彼女って!?」

「君も来てくれ!」


 説明する間も惜しい。

 アルヴィンは腕を振りほどくと、一直線に駆け出した。

 一瞬だが、見えたのだ。土煙の切れ間に、夢遊病者のように彷徨うフェリシアの姿が。


「フェリシア! どこにいるんだ!?」


 アルヴィンは懸命に目を凝らし、叫ぶ。 

 近くで悲鳴があがった。


 それは──フェリシア、ではない。男のものだ。運悪く岩塊が直撃した、処刑人だろう。 

 たとえ人の拳ほどの石であったとしても、当たり所が悪ければ命はない。ほんの僅かな差が、生死を分かつ。


 落石のまっただ中に飛び込み、人を探す。それは勇敢を通り越した、無謀な行動だ。その自覚はある。

 だが──彼女を救う機会は、今を置いてない。そうも確信している。


 容赦なく岩塊が降り注ぐ中を、アルヴィンは縫うように走る。  

 すぐ後ろに、クリスティーの気配を感じる。ここまで無傷でいられるのは、彼女の魔法のおかげか……

 と。


 前触れなく、土煙が切れた。

 眼前にいたのは、フェリシアだ。ステファーナの姿はない。


 精神支配は解けてはいない。素手で掴みかかってくるフェリシアの首筋に、アルヴィンは手刀を放ち意識を奪う。 

 そのまま抱きかかえるようにして、地面に身体を投げ出した。


 再び土煙が、視界を閉ざす。

 永遠に続くかと錯覚しそうになる、天井の崩壊。

 だが──白き魔女の言ったとおり、永遠などありはしないのだ。


 やがて地下に、静寂が戻った。

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