第96話 審判の刻

 教皇ミスル・ミレイにとっては、我が家のようなものだ。

 大陸で最も神聖で、壮麗な街。

 ここで生を受け、今は主でもある。

 その聖都の惨状を目の当たりにして──無言で、片眉をつりあげる。


 街のいたるところで火の手があがっている。

 それは教皇庁や、大聖堂とて例外ではない。

 造営に心血を注いだ職人らが目にすれば、たちまち卒倒することだろう。


 報告のとおり、魔女の攻撃は止んでいた。

 散発的に、銃声が木霊するだけだ。


 つまり、それ、は間もなく起きる──


「ウルベルト」 

「はっ!!」


 教皇に呼ばれ、ウルベルトが直立不動の姿勢を取った。

 普段、”欲が祭服を着て歩いている”と揶揄されるこの男にしては、引き締まった顔をしている。

 もっとも表情以上に、自己主張の強すぎる腹が存在感を誇示したが……真剣であることには違いない。


 街を睨んだまま、教皇は下命する。


「動ける者を二手に分けよ。武器を持つ者は魔女に加勢を。持たざる者は市民を聖都から退避させよ」

「し……しかしですな猊下、聖都を放棄せずとも、他に手は……」


 聖都を放棄する──その命令に、ウルベルトは未練たっぷりな様子で食い下がる。


「あれを見よ」


 教皇が外を指差す。


「!!」


 それが何であるかを理解して、ウルベルトの顔が硬直した。

 窓の外、紅く燃える聖都の街並みよりも、遙か遠く。大地と空の境界線だ。

 その縁を、緑色に輝く帯が流れた。 


 非現実的な美しさと妖しさを伴い、輝きを増す。たちまちそれは、全天を覆い尽くすように広がっていく。


「オーロラ……?」


 傷の痛みも忘れ、ベネットは呆然は呟いた。

 実際に目にしたことはない。知識として知っているだけだ。

 そもそも聖都は、観測できる地方から遠く離れているはずだ……


 聖都の上空に達した帯は、やがて緑と青が混ざり合った円環を生み出す。

 ベネットの背筋を、ゾワリとした悪寒が走った。


 それは何の根拠もない、輪郭すらはっきりとしない、漠然とした不安に過ぎない。

 だが……分かる。

 本能が告げていた。

 これは予兆だ。滅びの予兆だ。


「あれは……何……?」


 メアリーが、ぽかんと口を開け、夜空の一点を見あげる。

 ベネットの喉奥から、呻きが漏れた。目が釘付けとなる。 

 円環から、眩い光が聖都へと落ちてくる。


 それは──人の形をしていた。

 光の巨人だ。


「神だ」


 言ったのは、おそらく教皇か。

 いや、誰が言ったかなど、どうでもいい。

 空気が震えている。


 白い光の尾を引いて、巨人が地表へと達する。途端、猛烈な衝撃波が地面を這った。

 堅牢な石造りの建物が、積み木でも崩すかのように崩壊する。


 ほんの一瞬で、一区画が潰滅した。魔女の魔法すらちっぽけに感じさせる、信じられない力だ。

 ベネットは身体を震わせ、戦慄した。


 聖都に降り立ったのは、八翼を持つ光の巨人。

 それは──神、と呼ぶには禍禍し過ぎる。


「急げ! 躊躇すれば、全てが手遅れとなるぞ」


 教皇の声が緊迫の度を増す。

 聖櫃が開かれ、神が現出する。

 大陸に審判の刻が訪れた。


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