第95話 処刑人は二度死ぬ

「貴様ら、なんだその目は!?」


 居丈高にすごんだものの──リベリオの顔は、驚愕で引きつっている。

 あり得ないことである。


 部下が従わなければ、暴力で服従させればいい、そのはずだった。それがあっさりと覆り、牙を剝いてくるなど、あってはならないことだ。

 処刑人に包囲され、後ずさった背中が壁に当たる。


「や、やめろ、来るな! 離せ! 俺に触るな!」


 リベリオは、音程の狂った叫び声をあげる。

 手負いの小動物が見せるような精一杯の威嚇は、牽制にもならない。

 たちまち冷たい床に組み伏せられ、屈辱にあえぐ。


「リベリオ、あなたを反逆の罪で粛正します」


 冷然とした声が、頭上から降り注いだ。

 死刑宣告を発したのは、教皇ミスル・ミレイである。


「お、俺は悪くない! 俺が何をしたっていうんだ!?」


 リベリオは髪を乱し、わめき散らす。

 図々しいまでの、罪の意識の欠如とでもいうべきか。 

 さも被害者ぶった訴えに、白けた空気が漂った。


「……他に、言うことがあるでしょう……?」


 ベネットの声が、怒りをはらんだ。

 その指摘は、寝所に居合わせた者全ての思いを、代弁するかのようだ。

 刀傷の痛みを堪えながら、少年は傍らに立つソフィアを見やる。


「彼女が祖父と和解する機会を、あなたは永遠に奪った。それだけじゃない……大勢の市民の命もだ。最期に謝罪のひとつくらい、したらどうなのですか」

「俺は命令に従っただけだ! 何が悪い!? 罪があるとすれば、命じた枢機卿どもだろう!?」

「任務に忠実で、結構なことだ。お前はAから名前の始まる人間を殺せと命じられれば、何の疑問も持たず実行するのだろうな?」


 ウルベルトに皮肉られ、リベリオは沈黙した。

 その言い訳は、自分には恥じも良心もない、と放言したも同然だ。

 つくづく呆れた男である。 


 そして──どこまでも、往生際の悪い男である。

 リベリオの両眼が狡猾な光を放った。


 死は避けられない。だが、ひとりで死ぬ気など毛頭ない。


 教皇が無言で手を振ると、処刑人が長剣を抜く。その僅かな間に、この場で最も弱き者を道連れに定める。

 一瞬の隙を突いて、拘束を振りほどく。


「死ね! 小娘!!」


 リベリオの手が閃き、隠し持った短剣が投じられた。

 悲鳴と鮮血があがった。


 細く白い首筋に、凶刃が突き刺さる。

 祖父と両親を処刑人に奪われた哀れな少女は──自身もまた、その魔手によって短い人生を終える。 

 リベリオは、そう確信した。


 だがそれは──錯覚に過ぎない。


 キン! と硬い音と共に、火花が散った。ベネットの、咄嗟の射撃が間に合った。

 結果、凶刃はソフィアに達しない。

 短剣は空中で跳ね返り、リベリオの頬を斬りつけ、床に転がる。


「……そう何度も、同じ手が通じると思わないことです……」


 冷ややかに、ベネットが言い放つ。

 だが、声は届いてはいない。


「うおおおおおおおおおおっ!!!!?」 


 尋常ではない叫び声があがった。


「……な、何なの?」


 眠りの呪いを解き、気絶していたメアリーが、気だるげに身体を起こす。

 その視線の先で、リベリオが苦悶の表情を浮かべ、床をのたうちまわっていた。

 明らかに異様である。

 頬を切った程度の苦しみ方ではない。


 この場を切り抜けるための演技か、それとも──


「毒、か」


 ウルベルトは分厚い贅肉がのった頬に、呆れを宿した。

 刀身に、致死性の毒が塗ってあったのではないか。それは三年前、上級審問官ベラナの命を奪ったものと同じであったかもしれない。


「まったく、自業自得というか……こ奴らしい末路だな」


 そう吐き捨てた時、断末魔は既に途切れている。

 人を欺き、悪辣な罠にかけ、拷問することを悦びとしたサディストは、最期まで卑怯なまま地獄へと落ちたのだ。


 実に不快な戦いがようやく幕を引き、ベネットは天井を仰ぐ。

 この男とは、師を粛清するようにそそのかされ、枢機卿殺しの汚名を着せられた、浅からぬ因縁があった。それに、ようやくケリがついたのだ。


 ただし、これで全てが終わった……わけでは、決してない。生者は、生き残るための戦いを続けなくてはならない。


 息つく暇もなく、新たな影が寝所に飛び込んでくる。


「──教皇猊下! お、お目覚めで!?」


 敵ではない。頭に血のにじんだ包帯を巻いた、若い審問官だ。

 息を切らし、汗だくとなった顔は、ただならぬ異変を報告しようと、駆け回った証に違いない。

 

「何事か」


 教皇が問う。

 扉が破られ、処刑人が倒れ伏した寝所の有様に、目を見張った審問官は、我に返り跪く。


「……も、申し上げます! 魔女どもが攻撃を止めたのです! しかも奴ら──」

「共闘せよ、とでも言ってきたか」

「は……? ど、どうしてそれを……?」


 審問官は困惑で、声を詰まらせた。

 教皇の顔には、まるで全てを承知しているかのような落ち着きがある。


「……ここまでは、オルガナの言葉通り、か……」


 ミレイは呟き、薄手のストールを肩に羽織った。 

 窓際に立ち、聖都の街並みを見据える。

 そして、こう宣言したのだ。 


「聞け。──今をもって、聖都を放棄する」

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