第94話 共闘と裏切り

 闇が、深さを増したようだ。

 聖都を焦がす炎の勢いは衰えない。

 赤と黒のコントラストが踊り狂い、一層闇を際立たせる。


 滅びの回避に失敗した──魔女の宣告は、あまりにも重い。


 待ち受ける運命は、死だ。

 逃げ場など、大陸のどこにもない。


「ふざけないで!」


 悲愴な空気を、猛然と吹き飛ばす声があがった。

 銀髪の魔女を睨みつけ、アリシアが真っ向から声を叩きつける。


「こっちはね、あと百年ほど生きる予定なの! 物知り顔で、人の人生に幕引きしないでもらいたいわね!」

「そうなのです! 滅ぶなら魔女だけで、ご自由になのです! わたしたちは、きっちり生き残らせていただきますわっ」


 勇ましすぎる物言いである。魔女を統べるアーデルハイトに対して、双子には遠慮というものがない。

 だが──魔女は、何の反応も示さない。


 死を諦観したかのように、佇んでいる。


「何をしようと無駄だ。もはや滅びは、避けられぬ」

「なんですって!?」

「いいえ、抗う余地はあります」


 気炎をあげる双子を抑え、老婦人が進み出た。


「大陸を救うために、審問官アーロンの息子と、白き魔女の娘が聖櫃へと向かっているはず。絶望し、諦めるにはまだ早い」

「……人と、魔女が?」

「彼らが力を合わせているのに、私たちが共闘できない理由がありますか? 優秀な指導者であるあなたなら、決断できるはず。私は、そう信じています」


 老婦人は、アーデルハイトへと静かな眼差しを向けた。

 共闘か、それとも座して滅びを待つか。

 魔女は熟考するかのように、目を閉じた。その表情からは、いかなる感情も読み取れない。


 誰も言葉を発しようとはしない。

 滅びの間際にある聖都で、そこだけが切り取られたかのように、静寂が支配する。

 

 そして、声が発せられる。


「──グラキエス」

「はっ」 


 弾かれたように、氷の魔女が姿勢を正す。

 アーデルハイトの紅唇が動いた。


「教皇庁へ向かわせた、当主たちを呼び戻せ。体勢を立て直す」

「は……? で、ですが、もはや……」

「二度は言わぬ」


 不可視の圧が、グラキエスの口を閉じさせる。


「行け」


 次の瞬間、グラキエスの姿は夜闇の向こう側へと消えている。

 アーデルハイトは、かつての同胞へと、皮肉めいた笑みを向けた。


「オルガナよ。これより我らは教会と共闘し、滅びに抗う。全ては、あなたの筋書き通りというわけだ」

「そうではありませんよ」


 老婦人は頭を振った。


「私は星の流れの中に、未来を見るだけ。これまで何度試そうと、滅びを回避する未来は見えなかった。ですが──」


 言葉を切ると、天を仰ぎ目を細める。

 雲と黒煙の切れ間から、星々が覗いていた。


「今は、僅かながら異なる運命が感じとれる。未来を決めるのは──変えようとする、人の意思の力なのです」 





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 事態が悪化しているのか、好転しているのか、答えを出すのは正直なところ難しい。

 

 炎上し、激震に襲われる聖都。

 信仰の薄い不信者でさえ、終末の日が来たのだと錯覚するだろう。

 だが──教皇の寝所に限れば、間違いなく好転している。


 呪いを解かれ、教皇ミスル・ミレイは、長い眠りから目を覚ます。烈火のごとき眼差しを向けられて、女教皇を正視できる者などいない。

 寝所にいる者全て……処刑人ですら額ずく。


 いや──ひとりだけ、例外がいたようだ。


「眠り姫!? なぜ目覚めたっ!?」


 ヒステリックな唸り声をあげ、地団駄を踏む男がいた。

 リベリオだ。


「何をしている!? さっさと奴を斬り捨てろ!! 殺せ!」


 武器を捨てた部下に向け、唾を飛ばしながら憤激する。

 この男だけが、闘志を失ってはいなかった。


「ノロマがっ、立て!」


 鋭い叱責は、聴く者の心を震えあがらせる力がある。

 ただしそれは……無抵抗の一般市民に対して、の話だ。処刑人らは、ピクリとも反応しない。

 自尊心をいたく傷つけられ、リベリオは怒りを沸騰させた。

 近くにいた処刑人の胸ぐらを掴み、立たせる。


「俺の命令が訊けんのか!」


 怒声をあげる。鉄拳制裁が閃く。

 否──


「なぜ避けるっ!?」


 これほど理不尽な叱責も、珍しいかもしれない。

 リベリオの放った左拳は、軽々と受け止められていた。


 事態を見守っていたウルベルトが、呆れたように鼻先で笑った。


「驚くことなどない。お前は数少ない例外だった。それだけだ」

「何の話だっ!?」

「分からんか? 処刑人の多くは、意思を持たぬ人形か、精神支配された者だ。猊下に一喝され、そ奴らは正気に戻ったのだ。つまり粛正されるのは──お前だ」

「馬鹿を言うなっ!」

「背教者リベリオを拘束なさい」


 ウルベルトの仮説は、正しかったようである。

 女教皇の命令は、速やかに実行に移される。先ほどまで部下だった、処刑人たちの手によって。


 粛正する者と、される者。

 立場は早々に逆転した。


 処刑人たちは教皇の忠実なしもべとなり、リベリオを取り囲んだ。

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