第85話 再会と別れ

 瀕死の傷を負った祖父へ、ソフィアが駆ける。

 その無防備な背中に、銃口が向けられた。リベリオは唇の端に、悦に入った笑みを宿した。

 引き金は、躊躇なく引かれる。


 一条の閃光が走った。


 絶叫が、神聖な館に響き渡った。

 胸を撃ち抜かれ、床に崩れ落ちたソフィアは、苦悶の声を漏ら──否、銃弾は、発射されていない。

 リベリオの顔に、驚愕が満ちた。


 少女へ狙いを定めていたはずの拳銃が、忽然と消えていた。正確には、右腕の手首から先がなくなっている。

 目を疑うような光景に、居合わせた全員が息を呑んだ。


 エウラリオが剣を振るい、雷光のごとき一撃で、リベリオの手を斬り飛ばしたのだ。 

 その剣勢には、処刑人すら怯ませる、鬼気迫るものがあった。


「ひいぃいああああああっ!!? う゛であ゛あ゛あ゛っ!!!」


 聞き苦しい悲鳴が残響する。

 だが……致命傷ではない。


 リベリオには下級悪魔と取引をしたかのような、悪運があったらしい。

 あと一歩エウラリオの踏み込みが深ければ、手だけでなく、首をも飛ばしていただろう。

 だが不意打ちで与えた銃創が、老人の足運びを鈍らせた。

 そして、剣戟は続かない。


 エウラリオはよろめき、かろうじて剣で身体を支える。限界だった。


「この、ウスノロどもがっ! なぜ俺を守らなかった!?」


 激痛に悶えながら、リベリオは手近にいた処刑人を殴りつけた。

 リベリオの悦びは、無抵抗の弱者を痛めつけることだったが、その逆は好まなかった。

 苦痛に対して、情けないほど耐性がなかった。

 鮮血のほとばしる手首を押さえ、あえぎ、目を血走らせる。


「何をしている!? この死に損ないを、さっさと始末しろ!!」


 処刑人らに向けた憤激は、八つ当たり以外のなにものでもない。

 そして自分の油断を棚に上げ、他者に尻拭いをさせるのは、この男らしい呆れた所業である。

 ともあれ、命令は忠実な処刑人らにより実行される。


 白銀の包囲網が、老人を取り囲んだ。

 大陸随一の剣の使い手であったエウラリオは、今や手負いの老人となっている。

 吐血し、立っているのがやっとの状態だ。 

 既に死に半分足を踏み入れている様を見て、処刑人たちは奮い立つ。 


 ウルベルトが声を張り上げた。


「エウラリオ!」

「来るな!」


 徒手空拳で駆けつけようとしたウルベルトを、鋭い一喝が制止した。


「……私が食い止めます! あなた方は……猊下を目覚めさせなさい!」

「ふざけるなっ! 卿だけ放っていけるか!」


 六対一の戦いである。

 いかにエウラリオをいえど、結果は見えている。

 だが老人の顔には、決然とした覚悟があった。


「あなたの使命とは……ここで、命を落とすことですか!? 成すべき事を成しなさい……!」


 エウラリオの剣が、隙を見て斬りかかった処刑人の首を飛ばす。

 乱戦が始まった。

 自身の無力に、ウルベルトは歯ぎしりする他ない。


 ここで加勢したところで、足手まといになる。それはエウラリオの決意を、無駄にすることにもなるだろう……


「……頼む!!」


 無念の思いとともに、ウルベルトは声を吐き出す。

 壁に寄りかからせたベネットを、担ぎ上げた。


「寝所へ向かうぞ! 走れ!」


 メアリーがソフィアの手を引く。

 瀕死の祖父を目の当たりにして、少女は悲痛な声をあげた。


「おじいさま! おじいさまっ!!」

「ソフィア……すまない……」


 老人がぽつりと漏らした言葉は、重なり合う怒号と剣戟がかき消した。 

 最後に少女が目にしたのは、盾となり、処刑人らと切り結ぶ祖父の後ろ姿だった。

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