第83話 美少年と死神

 至近距離から放たれた一撃は、空を斬った。


「──ベネット!」

「離れてくださいっ!」


 ベネットは短く叫び、ウルベルトとメアリーを背後に庇う。館への途上、気絶させた審問官から失敬した、長剣を抜き放った。

 小さな枢機卿を睨みつけた顔は、苦り切っている。


 狭い廊下は、拳銃の間合いではない。

 だが、大陸随一の剣の使い手であった男に剣で挑むのは……身の程知らずとしか、言い様がない。

 しかも、ただ勝てばいいわけではないのだ。

 エウラリオを救う──ソフィアとの約束が、重い足枷となる。


 ──どうすればいい!? 手加減なんてできる相手じゃないぞ!


 急迫する刃が、考える暇を与えない。 

 刃音が唸り、黒煙の中に白銀の残影を残す。

 剣と剣がかみ合い、強烈な激突が生じた。


 二人は廊下の中央で切り結ぶ。剣の合間から、互いの息づかいさえ聞こえる距離で睨みあう。


「枢機卿エウラリオ! あなたは心優しい人だったはずです。ソフィアをこれ以上、悲しませないでください!」

「黙りなさい!」 


 かみ合っていた剣が離れ、エウラリオが斬撃を縦横に繰り出した。

 怒気と殺気に満ちた剣先の鋭さは、苛烈を極める。


 オルガナを首席で卒業したベネットは、剣術の技量も一流に近いものがある。

 だが剣は、少年の身体をかすることもできない。剣戟は次第に一方的な流れに変わり、壁際へと追いつめられる。


 ──経験が……圧倒的に違うんだっ! 強い!!


 剣裁きの巧みさは、エウラリオが遙かに勝る。

 もはやベネットは、死の瞬間を引き延ばしているだけにすぎない。腕が痺れ、冷や汗が背中を伝う。

 畳み掛けるように、剣戟の暴風が襲いかかった。


 たまらずベネットは後ずさる。いや──背中が壁に当たり、これ以上は退けない。


「しまっ……!!」


 ほんの僅か逸れた意識が、命取りとなった。

 剣が跳ね上げられ、エウラリオが懐に飛び込んでくる。容赦のない膝蹴りが、鳩尾にめり込んだ。

 息が詰まり、激痛が走る。

 手から剣が滑り落ちた。


 カン! と床を叩く音が、妙に重く聞こえた。


 ──拾わないと……次が…………死ぬっ……!


 頭の中で、警鐘が高らかと打ち鳴らされる。

 だが、身体が動かない。指一本でさえ、主の命令に従おうとしない。


 死神が廊下の隅で、手招きしているのが見えた。


 ────────っ!!!!


 直後、無防備となったベネットの上半身を、凶刃が襲った。


 痛覚が一瞬で沸騰した。

 神聖な至聖の館に、赤い花びらが散った。


「ベネット!」

「デシーーーー!!」


 ウルベルトとメアリーの叫び声が、鼓膜を震わせる。

 気づけばベネットは、自身がつくった血だまりの中に倒れ伏している。


 ──トドメが……来る!!


 咄嗟に身体を起こそうとし……力が入らない。

 エウラリオは哀れな敗北者を見下ろして、嘲笑を浮かべた。


「無様ですね。これが、愚か者の末路です。我らと志を同じにすれば、死なずにすんだものを」

「……あなた方と同類になるなんて……ご免です……」


 血の混じった唾を、ベネットは吐き捨てる。

 それは往生際の悪い、負け犬の遠吠えというべきものだろう。

 唯一の戦力であったベネットは敗れた。

 勝敗は決したのだ。


 残されたのは肥満体のウルベルトと、非力なメアリーと仔猫のみ……いや──そうだろうか?

 ベネットは、ハッとした。

 何か、大事なことを忘れてはいないか──


「あの世で待っていなさい。心配はいりません。仲間たちも直に駆けつけるでしょう」 


 朗らかな死刑宣告に、ベネットはうつむく。

 自身の血で濡れた床を、じっと見つめた。肩が小刻みに震える……それは、絶望によるものではない。


「──何がおかしいのです?」


 エウラリオは不快げに眉をひそめた。

 死に瀕して──ベネットは、笑っていた。


「……どうして……気づかなかったんだろう……」 


 苦しげに息をしながら、ベネットは声を絞り出す。そして、また笑う。 


「あなたに勝ち……救う方法がありました……」

「勝つ? 私に、剣で勝てるとでも?」

「剣であなたには勝てません……そう、剣では……」


 ベネットは意味ありげに呟く。

 そして視線をあげる。

 エウラリオの背後に──一目散に駆け寄る、赤毛の少女の姿が見える……


「これ以上は、時間の無駄です」


 呆れたように突き放すと、エウラリオは無慈悲な眼光と剣先を光らせた。

 躊躇なくトドメの一撃を振り下ろす。

 その直前、エウラリオの背中に軽い衝撃が走った。


 乾いた絶叫が沸きあがった。


 おぞましい、ひび割れた、断末魔のような叫びだ。

 ベネットではない。まして、二人の仲間でもない。それは年老いた、老人のものだ。 


 長剣が床に転がる。

 生じた変化は、凄絶だ。 


「う゛あ゛あ゛……あ゛あ゛っつ……づ!!!」


 悲鳴をあげ、エウラリオが床をのたうち回る。その背中に、メアリーが必死にしがみついている。


 瑞々しい張りのある肌がひび割れ、手足が枯れ枝のように変化する。紅顔の美少年は、見る間に土色の老人へと変わり果てる。


 何が、起きたのか──


 勝利を確信した慢心が、背教者たちにつけ入る隙を与えた。


 ウルベルトを除いた枢機卿たちは、いずれも七十歳を超える老人だ。

 ステファーナの魔法によって、若返っているに過ぎない……

 

 メアリーの銷失の魔法によって──エウラリオは、本来の姿へ戻されたのだ。




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