第82話 眠り姫の館へ

「もう! どうしてわたしが、ゴーヨクとデシのチームなのっ!? アルヴィンと一緒が良かったのに!」

「お前が行かずに、誰が教皇猊下の呪いを解くのだっ!?」


 頬を膨らませ、恨み節を吐くメアリーに、ウルベルトが怒鳴り返す。

 三人と一匹の追跡者たちは、至聖の館を走る。

 赤レンガ造りの簡素な外観の館は、教皇ミスル・ミレイの住居だ。

 魔女たちの襲撃は、ここでも幸運に作用していた。


 普段、水も漏らさぬ警備が敷かれる館に、処刑人の姿はない。

 ただし──意思を持たざる障壁が、立ちはだかる。


 ベネットは咳き込み、祭服の裾を口許にあてた。

 館には、熱気と黒煙が充満している。火球の直撃を受け、火の手が回りつつあるのだ。

 残された時間が僅かであるのは、明白だ。


 寝所がある三階を目指して、二段飛ばしで階段を駆けあがる。

 その途上、ウルベルトが疑いの眼差しを投げ寄こした。


「ひとつ訊くが。勝算はあるのだろうな? 相手は、あのエウラリオだぞ」

「負けるつもりはありません」


 勝ちます、と断言しないあたり、戦いの前の決意表明としては、いささか頼りない。

 ウルベルトは不満げに鼻を鳴らす。

 だが……事態は入り組んでおり、複雑だ。ただ勝てばいいわけではないのだ。


 ベネットは、ソフィアと約束を交わした。

 枢機卿エウラリオは、教会を影から支配する宿敵であると同時に──救うべき相手でもある。

 この相反した難題に、どう挑めば良いのか──

 

 思索は、不意に中断された。

 階段が終わり、三階へと達したのだ。


 煙が立ちこめた、長い廊下の先──そこに、幼い少年の輪郭が浮かぶ。 

 ベネットは目を凝らした。


「……枢機卿エウラリオ……?」


 気配に気づいたのか……天使のような顔立ちをした美少年が、振り返った。 

 ベネットは、エウラリオと面識はない。

 だが幼い子供がひとり、至聖の館にいるはずがない。ソフィアと、まるで兄妹であるかのような顔を目にして、確信する。


「止まれ! エウラリオ!」


 ウルベルトの野太い怒声が、直感の正しさを裏付けた。


 絶対の自信の現れであろうか。長剣を手にした少年に、付き従う処刑人はいない。

 そして──教皇は、まだ害されていない。

 緋色の帯を締めた白の祭服に、血痕ひとつないことを認めて、ベネットは直感する。


「性懲りもなく、また、あなたですか」


 ボーイソプラノのような美声が、耳を打つ。

 エウラリオは欲深な元同僚を一瞥すると、薄い刃のように鋭い眼光を閃かせた。


「どこまでも愚かな男です。せっかく拾った命、捨てずにおけばいいものを」

「生憎だが、嫌いな連中の邪魔立てほど愉しいものはないのでな」


 平然と笑い飛ばすウルベルトの態度も、実にふてぶてしい。 

 そして窓の外──燃えさかる、聖都の街並みを指さす。


「見ろ。不死を求めた、馬鹿げた夢の代償がこれだ。いい加減に目を覚ませ」

「魔女など、いつでも駆逐できます。今は好きにさせておけば良いのです」

「聖都が焼かれておるのだぞ!」

「好都合ではありませんか」


 少年は天使のような微笑みを浮かべながら、狂気じみた言葉を口にする。


「我々は聖都を破却し、この地に不死の都を造るつもりです。手間が省けました」

「正気か……っ、貴様!」   

「もうじき、会主ステファーナが不死を達成するでしょう。魔女たちがどう足搔こうと、止められはしません。──もちろん、あなた方にも」

「待って下さい!」


 枢機卿と元枢機卿の、毒のこもった応酬に、ベネットが割り込んだ。 

 双眸に真剣な光を宿し、訴える。


「枢機卿エウラリオ! ソフィアは、あなたが正しい道に戻ることを望んでいます!」

「──ソフィア?」


 その名を初めて耳にしたかのように、エウラリオは怪訝な表情を浮かべた。


「あなたは何を言っているのです?」

「お忘れですか!? ソフィアは、あなたの孫です!」

「孫……ソフィア……?」


 エウラリオの双眸が、僅かに揺れた。


 ──フシ トハ カゾク ヲ ギセイニ シテマデ エルモノカ?


 耳元に、ささやきが生じた。

 余裕に満ち溢れていた微笑みに、亀裂が入った。 


「やめろ! ……黙れっ! 黙れ!!」


 唐突に、エウラリオは叫び声をあげた。

 両手で耳を覆い、床に膝まづく。


「ソフィア……? 違う! 死んだ! ……私は……!」

「様子がおかしいぞ。離れろ!」


 ウルベルトが声を低くし、警告を発した。

 二つの相反する感情が表出し、激しくぶつかりあっている──ベネットには、良心と悪意が葛藤しているように見える。


 ──迷いが生まれている……? これなら……説得できるかもしれない……!


 ベネット意を決すると、うずくまった少年へと歩み寄った。

 小さな、小刻みに震える肩に手を置く。


「……枢機卿エウラリオ、まだ間に合います。ソフィアのために、罪を償いましょう」

「私は……私には──」


 エウラリオが顔をあげる。

 表情から、動揺が消えていた。

 酷薄とした、暗殺者のものへと変容している──


「──孫などいない!」


 銀色の剣光が、黒煙を引き裂いた。


 ──くっ! ダメなのかっ!!?


 舌打ちを残し、ベネットは後方へ跳躍する。

 長剣が猛然と急迫し、哀れな獲物を逃さない。 


 むき出しの殺意が奔流となって、ベネットへ殺到した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る