第80話 銀髪の魔女は艶やかに笑う

「馬鹿なことを言わないで!」


 魔女を統べるアーデルハイトを前にして、アリシアの勇ましさは、いささかも失われない。

 声を張り上げ、冷ややかな殺意の波動を撥ねつける。


「クリスティー医師が、聖櫃を開くですって? 魔女お得意の、欺瞞よ!」

「奴も魔女であろうに」

「そうね。でもね、聖都を焼き尽くそうとする、あなたたちより、よっぽど信用できるわ!」


 油断なく間合いをはかりながら、エルシアも相づちを打つ。 


「わたしたちは、アルヴィンの判断を信じるのです」


 双子の論理は、単純明快だ。

 彼女らは、クリスティーの人となりを知らない。

 だが……アルヴィンが信じるというのなら、信じる。例え相手が、魔女だとしてもだ。


 アリシアは両手を腰に当て、胸を張る。


「おあいにく様ね! あたしたちを分断しようって魂胆でしょうけど、そうはいかないわよ。聖都から手を引きなさい!」

「真実から目を背けたければ、好きにすればいい。どのみち、お前たちはここで死ぬ」


 冷酷無慚に、銀髪の魔女は死を宣告した。

 会話の終わりは、血なまぐさい狂宴の始まりを意味する。魔女たちが一斉に動く。

 双子は背中合わせとなって短剣を構えた。


「望む所よ! かかっていらっしゃい!」


 この絶望的な状況下でも、双子は勝つつもりでいる。

 勇敢を通り越して無謀とさえいえる挑戦に、アーデルハイトは嘲笑を浮かべた。そして、静かに腕を振る──それだけだ。

 だが、続いた変化は苛烈だ。


 数条の雷が地面を撃った。

 白い閃光が闇を切り裂き、耳をつんざく雷鳴が轟く。

 双子は──寸前に、飛びすさっている。


「炎に氷、おまけに雷なんて、至れり尽くせりのおもてなしね!」


 軽口を叩きつつ、アリシアは石畳の上を転がった。

 つい先刻まで立っていた地面が、雷撃によって深く穿たれている。

 すぐさま跳ね起き、周囲に視線を放つ。


 エルシアへ向け、アーデルハイトと二人の魔女が殺到していた。その意図を理解して、腹立たしげに舌を鳴らす。 

 双子の戦いの真骨頂は、絶対の信頼関係の上に成立する、連携にある。 

 魔女たちは手っ取り早く、片方を潰す選択したのだろう。 


「──ちっ!」


 助勢に向かおうとしたアリシアの行く手を、新たな殺意が塞いだ。

 冷酷な笑みを唇の端にひらめかせた、グラキエスだ。 


「邪魔をしないで!」


 アリシアが叫んだ刹那、氷の刀身が白く鋭くきらめいた。無慈悲な一撃が、左ななめ上から襲い来る。

 街路樹ですら、容易く分断する凶刃である。まともに受ければ、ひとたまりもない。

 ひりつくような死と相対して、アリシアは冷静に反応した。


 魔女の動きを正確に読み、痛烈な一撃の軌道を逸らす。一転して一歩踏み込み──だが、誤算が生じた。

 異様な金属音が響いた。


 神の悪戯──いや、悪魔の罠というべきか。

 アリシアの短剣が折れたのだ。


 それまで蓄積されていた負荷が、最悪のタイミングで刀身を砕けさせた。

 銀色の破片がキラキラと、スローモーションのように眼前を舞う。

 幻想的な光景に、見惚れている暇はない。


 半瞬の間を置いて、冷たい死が振り下ろされる。


 ──躱せない!!


 進んでも退いても、もはや逃れる術はない。

 グラキエスが、勝利を確信した笑みを浮かべる。 


「それくらいに、してもらえるかね?」

「──!?」


 唐突に響いた声が、斬撃を急停止させた。

 声は、背後からだ。

 双子と、四人の魔女。この場にいるのは、それだけのはずだ── 


「誰だっ!?」


 憤激と共に、グラキエスは背後を一閃する。

 強烈な斬撃は、だが空を斬る。


「その娘を消されては困るのだがね」


 重苦しい声が、再び発せられる。

 アリシアは目を見張る。 

 人間離れした速さで、気配は彼女の眼前へと移動していた。


 黒い厚手の外套を着た男だ。

 手に短剣を持っている。刀身は、闇に溶け込むかのように黒い。

 グラキエスは目を血走らせ、闖入者へ怒りの一撃を放つ。


「邪魔をするなっ!」


 頸部を狙った刃を、男は軽く首を傾けて躱した。

 同時に短剣を振るい、柄を魔女の頭部に叩きつける。フラついたグラキエスに、上段の回し蹴りが、ダメ押しとばかりに撃ち込まれた。

 結果、氷の魔女は昏倒した。


 アリシアは驚嘆する。

 あのグラキエスを……まるで赤子の手を捻るかのように、片付けてしまった。 

 鮮やかすぎる妙技に、舌を巻く他ない。


 ──一体、誰なのっ!?


 颯爽と現れた命の恩人を、アリシアは仰ぎ見た。

 背は高い。

 肩口まで伸びた黒髪が、熱風に煽られて揺れる。顔立ちは神経質で、そこはかとなく陰険── 


「──ヴィ、ヴィクトル教官っ……!!?」


 完全に音程を外した悲鳴があがった。

 アリシアの危機を救ったのは、オルガナの審問術の教官──ヴィクトルだったのだ。

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