第79話 最悪の中の最悪

 夜の終わりはまだ見えない──


 壮麗なる聖都の街並みを、赤と黒のコントラストが暴れまわる。

 疲労の蓄積した身体は重い。戦いの終わりもまた、見通せない。


 閉所での戦いを嫌い、双子は衛士の詰め所から飛び出していた。

 だが状況は、悪い。


 原初の魔女の末裔、氷の魔女グラキエスの力は、圧倒的だ。

 無造作に振るわれた氷の刃が、プラタナスの街路樹を切り倒す。

 続けざまの一撃が、馬車の客車を真っ二つに両断する。


 なによりグラキエスは、審問官との戦い方を熟知している。終始戦いの主導権を握り、双子の自由にさせない。

 これまでにない、厄介な相手だ。


 氷壁が、アリシアの打ち込みとエルシアの銃撃を阻み、間断なく氷の矢と刃が襲い来る。

 無敵を自任する双子が、攻めあぐねていた。いや、防戦一方となりつつある……


 ──このままじゃ、押し切られる!


 実に不本意ではあるが、力の差を認めざるを得ない。

 アリシアの胸中に、焦りにも似た感情が沸きあがった。このままでは僅かなミスが、致命的な結果を招きかねない。

 そして懸念は、早々に現実のものとなる。


 猛然とグラキエスが動いた。

 魔女は、エルシアの拳銃の弾切れを見逃さなかった。銃弾を再装填する暇を与えない。

 瞬時に間合いが詰まる。


「エルシアっ!」


 緊迫した声と共に、銀色の閃きが夜を切り裂いた。

 アリシアは、両手に短剣を構えている。その一本を、魔女の背中へと投げつけたのだ。

 それが苦し紛れの一手であることは、否定できない。


 グラキエスの背後に、瞬時に氷壁が出現する。悪あがきに、魔女は嘲笑を浮かべたかもしれない。

 だが短剣は、氷壁に阻まれない。


「──受け取って!」


 そもそもアリシアは、グラキエスなど狙ってはいなかった。

 氷の刃が首を薙ぐよりも早く、短剣がエルシアの手に収まった。危険極まりない武器のパスは、奏功した。


 瞬時に攻守が逆転する。


 地面を蹴り、エルシアはグラキエスを迎え撃つ。

 背後からアリシアが急迫し、前後から挟撃する。

 必殺の間合いである。


 いかにグラキエスといえど、至近距離からの同時攻撃は防げない。魔女がどちらを狙うにせよ、必ずもう一方の刃が首を飛ばす。


 と。

 グラキエスは、両腕をだらりと垂れると、目を瞑った。

 予想だにしない反応に、アリシアは双眸を見開く。


 ──なっ……諦めたの!? 違うっ! これは──


 それが降伏の意思表明だと解釈するほど、双子はおめでたくはない。 

 あと一歩踏み込めば、刃は魔女の首筋を捉える。

 その寸前。


 ──罠だわっ!!


 双子は跳躍し、地面を転がった。

 直後、急速に殺意が膨れ上がり、大気を震わせた。

 続いたのは、爆発だ。


 双子が直前までいた空間を、炎が呑み込む。耐えがたい熱気が、黒煙を夜空へと押しやる。

 ほんの僅かでも回避が遅れていたら、焼き尽くされていた……


「──グラキエス、いつまで遊んでいる」


 暗闇の中から敵意に満ちた、剣呑な声が発せられた。

 その声は、無論双子のものではない。


「……ほんと、最悪ね……」


 アリシアが毒づきながら立ちあがる。

 焦げた臭いが鼻をつく。肌がひりつき、祭服の裾はくすぶる。炎の魔手から、完全に逃れきることはできなかった。

 だが、致命傷ではない。

 まだ戦える。エルシアも同様だ。


 ただし、安堵の感情は微塵もない。

 アリシアは、自身の判断の甘さを呪う。


 爆発は──グラキエスの魔法ではない。


 コールド・スプリングの廃教会を訪れたとき、魔女の当主は十一人いた。

 つまり敵がグラキエスだけなど……虫の良い思い込みにすぎなかった、ということだ。


「姿を見せなさい! それとも暗がりから攻撃するしか能のない、恥ずかしがり屋さんなのかしら」


 暗闇に誰何の視線を走らせ、アリシアが叫ぶ。

 僅かな間を置いて、眼前に三つの輪郭が浮かびあがった。


「最悪、ではありませんわ。……これは、最悪の中の最悪ですわ」


 うんざりしたように、エルシアが呟く。

 聖都を焦がす、紅い炎。その揺らめきが、魔女を照らし出した。 


 地面に届くほどの銀髪──原初の十三魔女、その長姉の末裔。当主たちを統べる、魔女アーデルハイトだ。

 背後に澄ました顔の魔女が、二人控える。

 二対一の戦いが、今や二対四となる。


「アーデルハイト!」  


 招かれざる賓客に、アリシアは鋭い眼光を向けた。圧倒的不利な状況に置かれて、怯むことなく、凜然と問う。


「あなたたち魔女は、聖都に手出ししない約束だったはずよ! どうして破ったの!?」

「約束を違えたのは、お前たちではないか」


 その返答は、先刻、グラキエスが口にしたものと同じだ。

 アリシアは可憐な顔立ちに、怒気を宿らせる。


「言いがかりよ! あたしたちは、破ってなどいないわっ」

「ならば問おう。なぜ白き魔女の娘と手を組んだ?」

「クリスティー医師に、何の問題があるって言うのよ! 会主を止めればいいのでしょう!?」

「お前たちは、何も理解しておらぬ」


 烈火のごとき反論を浴びせられて、だがアーデルハイトは全く意に介さない。

 双子の無知を嘲笑うかのように、断じる。


「会主を止めたところで、もはや滅びは回避できぬ」

「回避できない……なぜ!?」

「そんなことも知らず、大陸を救うなど、よく大言を吐けたものだ」


 声に含まれた成分は、皮肉を通り越して哀れみに近い。

 双子に向け、アーデルハイトは冷淡に言い放った。


「死への手向けに教えてやろう。白き魔女の娘の目的もまた、ステファーナと同じ。──聖櫃を開くことなのだ」


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