第78話 処刑人リベリオもあきらめない

 不安を掻きたてる不協和音が響きわたり、エレンとソフィアは顔を見合わせた。

 音は下階から──あの不快極まる処刑人を監禁した、物置部屋からに違いない。


「あなたはここにいて!」 


 叫ぶと同時、エレンは飛び出した。廊下を疾駆しながら、拳銃を抜く。

 階段を駆け下り、薄暗い厨房を走り抜ける。

 物置部屋の扉を開けたエレンは、息を呑んだ。


 雑然とガラクタが置かれた室内は、暗い。

 目を凝らすと、窓ガラスが木枠ごと破壊されている。

 熱気を帯びた夜風に煽られて、カーテンが激しくバタつく。

 視線を床に落とすと、切断されたロープが無造作に散らばっていた。


 捕虜の姿は……ない。


「やられたっ!」


 窓へ走り、夜闇の中に目を凝らす。

 ほの紅く照らされた屋敷の庭園に、リベリオの姿はない。


 ──甘かった。


 エレンは舌打ちをした。

 情けない姿を散々見せつけられて、油断していた。


「すぐにここを出ないと!」


 ぐずぐずしている場合ではない。

 隠れ家が露呈した以上、すぐさま追っ手がかかるに違いない。長居はできない。

 エレンは踵を返し、直後、冷たい床の上に這いつくばった。


「──なっ……」


 視界が二重にブレる。

 遅れて後頭部に、激痛が走った。強烈な打撃を受けて、脳しんとうを起こした……途切れそうになる意識の中、かろうじて理解する。

 視線の先に、黒い靴先が見える。

 気力を振り絞って顔をあげ……不吉な笑みを浮かべ見下ろす男と、目が合う。


「どうした? おねんねの時間にはまだ早いようだが?」


 つまりリベリオは、腐っても処刑人だった、ということなのだろう。

 逃げだしてなど、いなかった。

 愚かな獲物が隙を見せるのを待ち、牙をむいたのだ。


「油断したな、小娘」


 獲物を前にして、リベリオはサディスティックな悪意の波動をみなぎらせる。

 男にとって、無抵抗の弱者を痛めつけることこそが、最上の悦びである。 

 ことさら余裕に満ちた動作で、エレンが落とした拳銃を拾い上げる。冷たい銃口が、少女に向けられた。


「これは、ささやかな礼だ。遠慮せず受け取ってくれ」


 優越感に満ちた声に、銃声が続いた。

 一グラムの慈悲も持ち合わせない鉛玉は、少女の身体に容赦なく穴を穿つ。

 ──そのはずだった。


「クソがっ!」


 食事を邪魔された肉食獣のように、リベリオは吠えた。

 ソフィアが決死の覚悟で、体当たりを見舞ったのだ。結果、射線が狂い、弾丸は床を穿つ。

 だが、上手くいったのはそこまでだ。


 頬を殴りつけられ、髪を掴まれると、ソフィアは容赦なく床に引きずり倒された。

 精一杯の抵抗は、一瞬で制圧される。

 少女の顔を見て、リベリオは両眼をギラつかせた。


「これはこれは! 枢機卿エウラリオの、ご孫女様ではありませんか!」


 歯茎をむき出しにし、男は鬼畜の笑みを浮かべる。

 ソフィアの白い頬に、生くさい息が吹きかけられた。


「これはいい。あなたも地獄へ、ご同行いただきましょうかな」


 大人であったとしても、理不尽な暴力にさらされれば──ましてや、相手は処刑人だ──泣き叫んだことだろう。

 だがソフィアは、一歩も引かない。

 毅然とした視線を投げ打つ。


「離しなさい……卑怯者っ!」

「卑怯? そうだとも。そう言うお前は何だ?」


 平然と受け流すと、リベリオは辛辣な言葉のナイフを突き立てる。

 

「お前は人殺しの孫ではないか。エウラリオの手は、血で染まっておるのさ」

「違いますっ! 祖父は……祖父は……!」

「ひとつ教えてやろう。お前の両親を殺めたのも、奴だ」

「──────!!」


 ソフィアは言葉を失った。

 絶望の淵に突き落とされた少女を見下ろし、男は唇の端に悦に入った笑みを宿す。

 実に愉快な光景だ。

 惜しむらくは、愉しむ時間がないということか。

 

 リベリオは、無抵抗の少女に拳を振り下ろした。

 下腹部に容赦なく吸い込まれ、意識を奪い取る。


 ソフィアを担ぎ上げたリベリオは、エレンに目もくれない。

 新たな獲物を得て、急速に興味を失ったのだろう。


「……せんせ……い……」


 ぼやけた視界の先で、ソフィアが連れて行かれる。

 エレンの意識は、そこで途切れた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る