第77話 背教者たちは、あきらめが悪い

「僕とクリスティーは会主を追います。枢機卿ウルベルトとベネット、それにメアリーは教皇猊下の暗殺阻止を」


 アルヴィンの号令に、ウルベルトは熊のように低く唸った。

 予想していた猛烈な抗議は、ない。

 代わりに、側に立つメアリーの襟首を掴む。


「わたしも、アルヴィンと行くうううぅぅうっ!!」


 恨めしい悲鳴をあげる少女を引っ張って、鼻息荒くウルベルトは出口へ向かった。

 つまり、了承した……ということなのだろう。おそらくは。

 内心胸をなで下ろしたアルヴィンへ、ベネットが進み出た。 


「アルヴィン師、これを」


 差し出されたのは、赤い、不吉な光を放つ槍だ。


「危険は承知しています」


 驚いたアルヴィンが口を開くよりも早く、少年は言葉を継いだ。そして、真っ直ぐな眼差しを向ける。


「会主の手に渡れば、大陸に破滅を呼び込みます。ですが、判断を誤らなければ、切り札にできるはずです。持って行ってください。アルヴィン師なら、使いこなせます」

「買いかぶりすぎだよ。君が思うほど、僕は優秀な人間じゃない」

「そんなことはありません!」


 きっぱりと真顔で、ベネットは否定する。

 双眸に宿した信頼は、揺るぎもしない。


 グングニルは、いわば諸刃の剣だ。一歩間違えば、大陸を破滅に追いやりかねない、危険がある。

 だが相手は、底知れない力を持ったステファーナだ──


「分かった」


 アルヴィンは、速やかに決断した。

 手を伸ばし、グングニルを受け取る。

 それは人の背丈より少し長い程度で、槍としては短い部類に入る。だが……見かけ以上の、ずしりとした重さがある。

 生贄として捧げられた人々の、命の重さのようにも感じられた。


「いつまで話しておる!? 教皇猊下の命の危機なのだぞっ。早くしろ!」


 苛立ったウルベルトが、師弟の会話を遮った。

 事態は切迫している。

 枢機卿エウラリオが教皇を暗殺すれば、教会の正常化など永遠に不可能となるだろう。


 それでは。と一礼すると、少年は駆け出した。


「──ベネット!」


 師に呼び止められ、半身だけ振り返る。


「くれぐれも気をつけるんだ。エウラリオは大陸随一の、剣の使い手だった男だ」 

「勿論です。アルヴィン師も、どうかご無事で」


 お互いが死地へ向かう。

 だが、別れの握手はない。再び駆け出したベネットが、振り返ることもない。

 実に、あっさりとした別れだ。

 それは、お互いの生還を信じる、信頼の深さ故か──


 教え子の背中を見送ると、アルヴィンは表情を引き締めた。





 背教者たちは二手に分かれ、速やかに行動に移る。

 執務室に残ったのは、アルヴィンとクリスティーだけだ。


「──それで。ステファーナを、どう追うつもりかしら?」


 それまで沈黙を守っていたクリスティーが、腕を組み問う。

 彼女の疑問は、もっともだ。

 会主は聖櫃へと向かった。だが、肝心の聖櫃がどこにあるかは、分からない。


 アルヴィンは、ステファーナの残した脅迫状を握りつぶす。

 追ってこい、と記しながら手掛かりのひとつもないとは──それくらい、自分で見いだせ、ということか。


「あれだけ大口をたたいたクセに、手はないなんて言ったら、ひっぱたくわよ? 考えはあるのでしょうね」

「クリスティー、君は古言語が読めるか?」

「古言語……?」


 思いもしない単語が返されて、クリスティーは形の良い眉をひそめた。

 アルヴィンは、ダークブロンドの相棒を見やる。


「大事なことだ。答えてくれ」

「多少なら分かるけれど……それがどうしたの? アズラリエルがなければ、意味などないでしょう」

「そうだな。ステファーナもそう考えているだろうな」


 クリスティーは口許に手をやり、訝しげな表情を浮かべる。


「……分かるように説明してもらえるかしら?」

「アズラリエルなら、僕が持っている」

「まさか!」


 禁書庫に封印されていた書は、一冊だけだ。

 アズラリエルは、大陸に二冊は存在しない。そして唯一の書は、フェリシアの手にある……

 アルヴィンは祭服から、何かを取り出す。

 途端、クリスティーは声音を厳しいものに変えた。


「ふざけないで頂戴」


 アルヴィンが手にあるのは、厳めしい、革表紙の書──ではない。

 小さく折りたたまれた、紙片だ。


「その紙切れが、何だというのよ」

「言っただろ、アズラリエルだよ。禁書庫で、僕は保険をかけたんだ」


 アルヴィンは顔に、したたかな色を浮かべる。


「アズラリエルを手に入れた時、破り取った。これは正真正銘の、禁書の一部だよ。この紙片を使えば、会主を追える」

「……呆れた。禁書を破るなんて、どうかしてるわ!」


 クリスティーは手厳しく評する。

 アズラリエルは、世界の記憶を収めた書だ。あの悪夢のような迷宮に、封印されるほどの代物だ。

 不用意に傷つければ、取り返しのつかない事態を招いたかもしれない──だが、アルヴィンは悪びれない。


「大陸の滅亡に比べれば、些細なことさ。これで、フェリシアの記憶を見つけ出して欲しい。つい先刻の彼女のものなら、難しくはないだろう?」


 フェリシアとステファーナは、行動を共にしている。

 彼女の記憶を辿れば、自ずと最後の戦いの場へ、行き着くことになるだろう──

 アルヴィンは決然と、紙片を差し出す。


「行こう、クリスティー。道は繋がった」

「あなたって……ほんと、頑固であきらめの悪い男ね」


 口調とは裏腹に、クリスティーは微笑みを浮かべる。


「君だって、そうだろう?」  


 アルヴィンも、また笑う。

 クリスティーはアズラリエルを手に取り、不敵に宣言した。


「そうね、いいわ。やられっぱなしは、これで終わり。私たちを侮ったツケを、取り立てに行くわよ」

 




◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 聖都の夜空が、紅く燃える。

 隠れ家の一室で、ソフィアは不安げに外を見つめる。


「大丈夫、心配ないわ」


 少女の肩に、そっと手が置かれた。


「みんな無事に帰ってくるわ。……先生だって」


 言葉の最後は、自分自身に向けたものだったかもしれない。

 コクリと小さく頷いたソフィアに微笑み、エレンは窓の外を眺めやる。

 クリスティーたちが屋敷を出てから、時間は随分経っている。


 許されるなら引き留めたかった、それがエレンの本音だ。

 だがそれは、無理だと分かっていた……


 ──私じゃ、止められない……先生がやろうとすることを……


 死地へ向かったクリスティーのことを思うと、エレンは胸が押しつぶされそうになる。 


 ──でも……あの審問官……アルヴィンなら、もしかしたら……


 僅かな希望に、すがるように祈った──その時。

 栗色の髪を揺らし、エレンは弾かれたように顔をあげた。ソフィアもだ。

 ガラスが砕け散る、けたましい破壊音が屋敷に響き渡る。


 この部屋ではない、距離がある。


 エレンは直感した。

 音は──捕虜を監禁した、物置部屋からだ。

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