第76話 凶報が凶報を連れてくる

 死闘を覚悟していたアルヴィンは、愕然とする。

 執務室に、ステファーナの姿を見出すことはできない。共にいるはずの、フェリシアもだ。

 油断なく気配を探り、アルヴィンは応接テーブルへ近づいた。


 そこには琥珀色の液体を満たした、淡いライラックパープルのティーカップが二つ残されている。

 軽く触れると、ほのかな温もりがある。


「一歩遅かったようだな」


 ズカズカと足を踏み入れたウルベルトが、苦々しげに舌打ちした。


「──会主は、一体どこに……?」

「アルヴィン!」


 ウルベルトが答えるよりも早く、硬い声が発せられた。

 執務机の前に、クリスティーが立つ。その白く優美な指先に、書簡があった。


「あなた宛だわ」

「僕に……?」


 アルヴィンは、訝しみながら受け取った。

 差出人の名はない。

 開いた書面には、丁重な悪意が綴られている──



『親愛なる審問官アルヴィン


 わたしからのプレゼントを、楽しんでいただけたでしょうか。 

 呪傷から逃れた者は初めてです。再び立ちあがったあなたを、誇らしく思います──』



「勝手なことをっ!」


 死の淵に突き落としておきながら、誇らしいなど──厚顔な文面に、アルヴィンは憤った。

 こんなものを寄こすのは、ひとりしかいない。枢機卿会会主、ステファーナだ。


 ふつふつと沸き上がる怒りを、懸命に自制する。

 アルヴィンは、続きに目を走らせた。



『フェリシア女史は実に優秀です。聖櫃への道は開かれました。

 グングニルを持ち、白き魔女の娘と共に、あなたも来なさい。

 新たな不死の達成に、立ち会う栄誉を与えましょう。


 最後に忠告しておきましょう。ただの脅しだと、思わないことです。

 来なければ、フェリシア女史の首を落とします。

 あなたが賢明な選択をすることを祈っています。


 神のご加護を』



 アルヴィンは、唾棄したい衝動に駆られた。

 それは、慇懃な脅迫状とでも呼ぶべき代物だ。


 聖櫃への道が開かれた──つまり、禁書アズラリエルに記された白き魔女の記憶を、フェリシアが見つけ出したのだろう。

 そしてステファーナは、処刑人らを引き連れ、向かった。執務室に至るまで、処刑人の姿がなかったことも腑に落ちる。


 全てが、後手に回っている──


 アルヴィンの胸が、強くざわめく。

 そこに、罵声が追い打ちをかけた。


「愚かな背教者ども、残念だったな! 眠り姫は今頃、エウラリオに始末されておるだろうよ!」

「──なんだって!?」


 凶報が凶報を呼ぶ。

 アルヴィンは、頭を殴りつけられたような衝撃を受ける。

 不吉極まる宣告をしたのは、クリスティーに叩きのめされ、床に這いつくばった処刑人だ。


 眠り姫とは、眠りの呪いを受けた、教皇ミスル・ミレイを揶揄する呼び名だ。

 暗殺されれば、もはや教会をあるべき姿に戻すことなど、不可能となるだろう……


「どう足搔いたところで、無駄だ! お前らも、直に同じ運命を──」


 耳障りなわめき声を、アルヴィンは手刀を振り下ろして沈黙させた。 

 その表情は厳しい。いや、彼だけではない。

 誰もが顔に、失意と動揺の色を浮かべている。


 しん、と部屋が静まりかえった。絶え間なく響く爆音が、何故か随分遠くに感じる。


「ほんと、呆れたわね」


 クリスティーは柳眉をひそめると、皮肉交じりに息を吐いた。


「今夜、計画りに進んだことなんて、ひとつだってあったかしら?」


 合流するはずだった教官は現れず、聖都を魔女が襲い、ステファーナは既に聖櫃に向かっている。そして、教皇は……

 ウルベルトが揚々と語った計画は、もはや破綻寸前だ。

 不測の事態の連続で、神に見捨てられたのかと錯覚しそうになる。


「まだ終わっておらん!」


 鼻息荒く、ウルベルトは吠えた。

 枢機卿の地位を投げ打ってまで出た、賭けなのだ。払い戻しが破滅では、全く割に合わないではないか。

 巨体を揺らし、ウルベルトは出口へ向かう。


 いや……後に続く気配がないことに気づき、床を踏みならした。


「どうしたのだっ!? エウラリオを追うぞ!」


 アルヴィンは黙考したまま、動かない。

 今が重大な岐路にあることを、彼は怜悧に察していた。

 苛立つ枢機卿を、静かな、そして決意のこもった眼差しで見返す。


「枢機卿ウルベルト──僕は、行きません」

「行かない!? 気でも違えたのかっ! 奴らが部屋を出て時間は経っておらぬ。今から追えば、間に合うのだぞ!」


 信じがたい返答に、ウルベルトは目を剝き、脂ぎった顔を赤く染めあげる。

 対して、アルヴィンの声音は冷静だ。


「教皇猊下を見捨てるわけではありません。僕は、ステファーナを追います。二手に分かれましょう」

「会主など放っておけ! グングニルは奴らの切り札だ。我らの手にあるうちは、聖櫃に手出しできん。優先すべきは、教皇猊下の命だ!」


 グングニルは、神を殺す為の切り札だ。

 不用意に聖櫃を開いたところで、自滅するだけだろう──ウルベルトの判断は、正しい。

 薔薇園での会話がなければ、アルヴィンもそう考えた。


「聖櫃に向かわなければ、フェリシアが命を落とします。それに会主は、滅びを回避する手段はいらくでもある、と言ったのです。グングニルのあるなしにかかわらず、聖櫃を開くつもりです」

「なんだとっ……!?」

「ステファーナとエウラリオ、どちらも止めなければ、意味がありません。二手に分かれましょう」


 ただでさえ少ない仲間を分ける──悪手であることは、十分に承知している。だが、これに代わる上策はない。

 アルヴィンは、反論を許さない口調で告げた。


「これが教会と大陸を救う、唯一の方法です。枢機卿ウルベルト、よろしいですね?」 


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