第75話 暗闇の死闘

 眼前に、白いアンティーク調の扉がある。

 開ければ、生きて出るか、屍となって出るか──二つにひとつだ。 


 ベネットは整った眉目に、緊張をみなぎらせる。


「本当に私たちだけで、やるのですね──?」

「ああ」


 アルヴィンの声もまた、重々しい。

 今から挑む相手は、教会の影の支配者である魔女だ。

 その力は底知れない。戦いは文字通り、死闘となるだろう。

 ウルベルトが、不機嫌に言い捨てる。


「奴の魔法に気をつけろ! お前を担いで聖都を逃げ回るのは、ご免だぞ!」 

「分かっています。同じ手を、二度も喰うつもりはありません」


 そう言い切ったものの……確固とした勝算があるわけではない。

 薔薇園でステファーナは、自身の魔法は月の力を必要としないと口走った。その代わり制約がある、とも。

 メアリーが触れた相手の魔法しか打ち消せないように、ステファーナとて十全ではない。 

 制約さえ見破れば、勝機はある……


 だが魔法を目にしたのは、フェリシアが精神支配された時、そして呪傷を受けた時、二度だけだ。

 ステファーナの制約が何であるか──分からない。

 ぎりぎりの戦いの中で、見極めることになるだろう…… 


「心配ないわ、私がいるのよ。負けるわけないでしょう?」


 アルヴィンの憂いを吹き飛ばすかのように、クリスティーが不敵に笑った。

 強い意志を宿した眼差しは、会主の部屋を前にしても変わらない。

 それに張り合うように、メアリーがブンブンと腕を振り回した。


「わ、わたしだっているんだからっ! 頼ってよ!」

「ああ。メアリーも、頼りにしているさ」


 アルヴィンは苦笑まじりに頷く。

 頼りにしているのは偽らざる本心だが、彼女の世話になるのは呪傷を負った時になる。できれば、力を借りずに済ませたい。 


 表情を引き締めると、アルヴィンは扉を睨みつけた。


「僕が最初に突入する。クリスティーは援護を頼む」

「いいわ」

「私も、アルヴィン師と突入ですね?」


 共に戦うことを信じて疑わない顔で、ベネットが一歩進み出る。


「ベネット、君は部屋の外を警戒して欲しい」

「外を……? どうしてですか!?」

「背後を空けるわけにはいかない。頼む」


 ステファーナとの戦いの最中、新たな追っ手が迫る恐れがある。

 背後をウルベルトとメアリーに託すのは、心許なさすぎる。


「……分かりました」


 以前であれば、ベネットは猛然と反発して、耳を貸さなかっただろう。だが、不承不承といった体だが、頷く。

 アルヴィンは、残る二人に視線を向けた。


「枢機卿ウルベルトとメアリーは、ここで待機を」

「あたりまえだ!」

「アルヴィン……気をつけて!」


 目を潤ませた赤毛の少女に、アルヴィンは頷く。

 短剣を抜くと、大きく息を吸い込む。


「──行くぞっ!」


 クリスティーが手をかざし、生み出された奔流が扉を吹き飛ばす。

 ぽかりと開いた漆黒の口に、二人は飛び込んだ。

 




 執務室は、粘性を帯びた、まとわりつくような闇に沈んでいる。

 灯りは消されていた。飛び込んだ途端、視界は黒一色に塗りつぶされる。

 アルヴィンを出迎えたのは、殺意の波動だ。


 非友好的な閃きが、襲い来る。


 ──魔法!? いや、違うっ!


 反射的にかがんだ頭上を、白刃の煌めきが掠めた。

 廊下から差し込む光条が浮かびあがらせた輪郭は、処刑人のものだ。 

 赤い火花が散った。


 胴体を分断するような強烈な一撃を、アルヴィンは短剣でいなし、巧みに軌道を変えさせた。

 急接近する殺意は、二つある。


 背後から差し込む光は心許なく、視界は僅かしかきかない。常人であれば、眼前の闇と、死への恐怖で身体を凍りつかせたことだろう。 

 だがアルヴィンは、照射される殺気を鋭敏に感じ取る。躊躇なく、前へと踏み込む。


 果敢な反撃は、処刑人にとって想定外であったらしい。

 懐へと飛び込んできた背教者への反応が、僅かに遅れた。刃が処刑人の首筋に吸い込まれ、赤い逆さの滝があがった。


 アルヴィンは直ぐさま身を翻し、二人目と対峙する。そして──致命的なミスに気づく。

 短剣が、ない。 


 ──何が起きたっ!?


 咄嗟に、状況が呑み込めない。

 この場に、暗闇を見通せる者がいれば──不吉な笑みを浮かべたまま、絶命した処刑人に気づいただろう。

 男は首に刺さった短剣を握りしめて離さず、崩れ落ちたのだ。


「──ちっ!」


 結果、アルヴィンは徒手となる。 

 二人目の処刑人が、目前に迫る。短剣を取り戻す間などない。


「あがっ!!?」 


 くぐもった断末魔の叫びは、アルヴィンのものにしては低すぎた。

 水の鞭がしたたかに打ち据え、壁に叩きつけられたのは処刑人だ。意識を手放し、その場に倒れる。


「詰めが甘いわよ! アルヴィン」


 アルヴィンの命を救ったのは、クリスティーだ。

 叱咤の声とともに、部屋に灯りが戻る。

 直ぐさま短剣を拾い、アルヴィンは身構えた。

 戦いは、まだ終わっていない。素早く視線を走らせる。


 ──ステファーナは、どこにいる!?


 執務室には、アルヴィンとクリスティー、そして倒れ伏した処刑人が二人──


「どうなっているんだ……?」


 アルヴィンは困惑し、言葉を漏らす。

 フェスティビティピンクと白を主体とした、まるで少女の部屋のような執務室──


 そこに、ステファーナの姿はなかった。


 

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