第74話 踊る攻防戦

 機先を制したのは、背教者だ。

 ただし、数的優位は審問官の側にある。

 男らと同数の短剣が抜かれ、銀色の禍禍しい色彩が瞬く。

 侵入者たちはたちまち包囲され、乱戦が始まった。


 烈風のごとく突き出された白刃を、無駄のない動作で躱し、アルヴィンは掌打を放つ。口を真っ赤にした男が、濁音を発しながら崩れ落ちる。

 ベネットがグングニルを、クリスティーが水の鞭を振るう。 

 平和主義を決め込んだウルベルトは、奮戦する三人の背後で肩をすくめ、メアリーはキャーキャーと悲鳴をあげて右往左往する。


 数で勝るはずの審問官たちに、誤算が生じた。

 侵入者は、一筋縄でいくような甘い相手ではなかったのだ。むしろ──容赦なく、辛かった。

 人の形をした厄災に返り討ちにされ、床にはいつくばった男らの半分は気絶し、残りは呪詛に似たうめき声をあげる。


 彼らは、枢機卿の走狗である処刑人とは違う。

 大怪我をさせないよう、アルヴィンは最低限の手加減をしたつもりだが……被害者たちは、そう思わなかったに違いない。


「ぼやぼやしておると、次が来るぞ! 急げっ!」


 言った側から、新たな怒号があがる。ウルベルトの懸念は、早々に現実のものとなった。

 敵意の矢が放たれ、審問官らが殺到してくる。


「階段をあがれ! ぼやぼやするなっ」


 居丈高なウルベルトの命令に、異を唱える者はいない。

 ステファーナの執務室は、教皇庁の四階にある。

 階段を駆けあがり──だがアルヴィンは、二階の踊り場で急停止した。 


 見上げた先、三階のフロアに、十人を超える審問官が立ち塞がっている。

 足元からは、怒声が迫り来る。

 上階と下階から挟み撃ちにされる形となって、逃げ場はない。


「突破するぞ!」


 アルヴィンは迷いなく、上方で待ち構える審問官に突っ込んだ。ベネットが続き、師弟が血路を開く。   

 後方では、水しぶきと悲鳴があがった。


 急迫した追っ手に向けて、クリスティーが大量の水を喚びだしたのだ。激流に足をすくわれ、叫び声は、瞬く間に階下へと遠ざかっていく。


「申し訳ないけれど、出直してくださるかしら?」


 人の悪い微笑みを、クリスティーは浮かべる。

 と。

 暴力は専門外、とばかりに無関係を装っていたウルベルトに、目を血走らせた審問官が掴みかかった。


「お、おい!? よせっ!」


 ウルベルトは狼狽し、手足をじたばたとさせた。

 首を締めあげられ、酸欠した金魚のように口をパクパクさせながら、わめく。


「早く助けろっ! アルヴィン!」


 救いを求めるにしては、少々謙虚さに欠ける物言いである。

 アルヴィンにしても、目の前の審問官を捌くだけで精一杯だ。とにかく、数が多い。

 結果、返答はそっけないものとなる。


「枢機卿ウルベルト! ご自身でなんとかしてください」

「それが命の恩人にかける言葉か!? 冷血漢! 薄情者! 恩知らずっ!!」


 命の瀬戸際にあっても、ウルベルトの舌はよく回る。思いつく限りの罵詈雑言を並べ立てる。

 この欲深な枢機卿が、命の恩人であることは事実なわけで──そこを突かれると、つらい。


 対峙していた審問官を誠意をこめて殴り飛ばすと、アルヴィンは踵を返した。混乱の中、ウルベルトの救出に向かう。

 いや──既にその時、意外な救いの手がもたらされていた。 

 小さな勇者が、ウルベルトの首を絞める男の足に、噛みついたのだ。


「ルイに何をするのよっ!」


 黒猫を振り払い、一撃を見舞おうとした審問官を、メアリーが両手で突き飛ばす。

 完全に虚を突かれ、男はバランスを崩した。ダメ押しとばかりにクリスティーの鞭に一撃され、階段を転げ落ちる。

 仲間の連携で命拾いした枢機卿は、欲と脂肪の詰まった腹を揺らした。


「メ、メアリー、よくやった! 褒めてやるっ」 

「違うわよ! わたしはルイを助けたのっ!」


 どこまでも偉そうな男に、メアリーの態度は、けんもほろろだ。

 二人のやりとりに、アルヴィンは苦笑するしかない。

 散発的な戦闘を繰り返しながら、五人はステファーナの執務室を目指す。


 その途上、ふとアルヴィンは違和感を覚えた。

 処刑人の姿が──なかった。

 それは、気のせいなどではない。教皇庁へ入ってから、行く手に立ち塞がるのは審問官ばかりだ。

 魔女の急襲を受けて、処刑人がことごとく敵前逃亡したなど、あり得まい。 


 ──僕の考えすぎか……? 何かある……?


 アルヴィンの胸中に、不吉な予感めいたものが渦巻く。


「……ここだ!」


 ぜいぜいと、肩で息をしながら、ウルベルトが叫んだ。

 四階の、最も奥に位置する部屋……子供部屋のような、白いアンティーク調の扉が目に入る。

 荘厳な色彩で統一された教皇庁にあって、そこだけが異彩を放っている。


 子供部屋への入り口──では、決してない。

 むしろ、冥府への門といったほうが正しい。


 幾多の困難を排除し、ついにアルヴィンたちは、枢機卿ステファーナの執務室へと至ったのだ。


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