第73話 夜を駆けよ、背教者

 詰め所から離れた建物の影に、ベネットとウルベルト、黒猫のルイを抱くメアリーの姿がある。

 駆け戻ったアルヴィンに、ウルベルトが興奮しながら唾を飛ばし、噛みついた。


「アルヴィン! 何だ、この騒ぎはっ!?」 

「魔女の襲撃です!」


 端的に示された回答に、若き枢機卿は息まく。


「魔女だと!? 教官たちはどうした! 合流する手筈だっただろう!?」

「分かりません」

「分からないだとっ!?」


 アルヴィンとしては、そう答えるしかない。

 氷の魔女グラキエスは、教官たちは永遠に来ないと嘯いた。

  

 当主たちは、かつて魔道の頂点に君臨した、原初の十三魔女の末裔だ。 

 いかに、あの教官たちとはいえ──いや……魔女たちを退け、こちらへ全力で向かっている……そう、信じたい。 

 だが、真偽を確認する術もない。


 最悪の事態を考え、行動するしかない。

 アルヴィンは覚悟を決め、仲間たちに宣言する。


「時間がありません。僕たちで計画を進めます。教皇庁へ向かいましょう」

「馬鹿を言うな!」


 気炎をあげ、ウルベルトがアルヴィンの胸ぐらを掴んだ。

 血迷ったのか、と言わんばかりに怒鳴りつける。


「魔女の襲撃をかいくぐり、ステファーナを拘束し、教皇猊下を目覚めさせる……それを、我々だけでやるだと!?」

「困難に挑むことは、最初から分かっていたはずよ」


 どこまでも冷静に、クリスティーが言ってのける。碧い双眸には、揺るぎない決意を宿している。

 彼女は、紅く染まる夜空を仰ぎ見た。


「このままじゃ、魔女に焼き殺されるか、神に滅ぼされるだけ。白旗をあげても、結末は同じよ」


 何もしなければ、待つのは死である。

 窮地を脱するには、自らの手で道を切り開くしかない。

 アルヴィンはウルベルトを見据えると、声に力をこめた。


「大陸の命運はまだ決していません。僕たちは、まだ負けていない。行きましょう、教皇庁へ!」

「正気かっ!? 俺は行かんぞっ! 絶対に行かんぞっ!」

「オージョーギワが悪いわよ、ゴーヨク! 安全な場所なんて、大陸のどこにもないでしょっ!」

「覚悟を決めてください、枢機卿ウルベルト!」


 往生際の悪い三十路男を、十代のベネットとメアリーが叱咤する。

 その光景は、どこか滑稽ですらある。

 四人の視線を受けて、ウルベルトは地団駄を踏んだ。


「まったく……命知らずの馬鹿どもめっ!」


 口汚く罵り、頭を掻きむしる。

 盤石の計画のはずが、蓋を開けてみれば綱渡りである。

 腹立たしいのは、その綱を渡るしか選択肢がないことだ。

 ウルベルトは歯をむき出し、破れかぶれに叫んだ。


「ついてこい! 最短路を案内してやる!!」

 



 五人は、混乱極まる市中を駆け抜ける。

 大通りを避け裏路地を走り継ぎ、唐突に視界が開けた。

 聖都の中心部──列柱廊に囲まれた、楕円形の広場へ出たのだ。

 目に飛び込んだ光景に、アルヴィンは思わず息を呑む。


 白亜の教皇庁、そして初代教皇の墓所の上に造営されたとされる大聖堂は、黒煙を吐き、無惨に半壊している。

 アルヴィンは火の粉が舞い飛ぶ広場に、素早く視線を走らせた。


 四人──いや、五人か。


 赤黒い世界の中に、魔女の姿を見出す。

 原初の十三魔女の系譜にある当主たち。その力は、圧倒的だ。

 火球だけでなく、雷までもが降り注ぐ。列柱廊に据えられた、聖人の像がはじけ飛ぶ。

 一方的な、破壊と殺戮の宴が催される。


 ──そう思えた。


 次の瞬間、銃声と砲声が轟き、アルヴィンの鼓膜を乱打した。耐えがたい轟音に、耳を庇う。

 教会は、敗北などしてはいない。

 審問官が、火砲で果敢に反撃する。長剣を手にした者が、決死の覚悟で肉薄する。

 両者の間で、熾烈な戦いが展開される。


 混乱は皮肉なことに、教皇庁へ侵入を試みる者たちに、有利に作用した。

 死闘の最中、彼らを見咎める者などいない。火事場泥棒のように、まんまと教皇庁へ侵入を果たす。

 騒然としているのは内部も変わらない。薄く煙が立ちこめ、銃声と悲鳴が残響する。


 鏡のように磨き抜かれた白大理石の廊下を、ウルベルトの案内で足早に駆ける。目指すは、ステファーナの執務室だ。


「──脇に寄れ!」


 押し殺した声で警告が発せられるのと、正面から審問官の一団が走り出たのは同時だった。

 アルヴィンは咄嗟に身構える。


 見つかった──そうではない。外の応援に向かうのだろう。男たちは速度を緩めず、走り抜けていく。

 背教者たちは廊下の端により、何食わぬ顔で道を譲る。


 混乱の中、妙な五人組に注意を払う者などいない。

 そこで、不幸な偶然が生じた。


 すれ違いざま、年配の審問官とアルヴィンの目が合う。

 ベテラン審問官の勘が、何かを閃かせた。


「お前ら──!」


 誰何の声は、不本意な中断を強いられた。

 短剣を抜こうとした男の顔に、アルヴィンの拳が突き刺さり、意識を奪ったのだ。

 ベネットがグングニルを振るい、審問官をなぎ倒す。


「侵入者だっ!!」 


 怒号があがり、混乱が爆発する。

 教会を守ろうとする者、変えようとする者の間で、乱戦が始まった。

 

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