第70話 審問官の矜持

 ──現出した神が、大陸を滅ぼす。


 普段なら荒唐無稽な話だと、一笑に付したことだろう。

 だがリベリオの表情は、真剣そのものだ。噓は感じられない。


「……神は破綻した秩序を正すために、大陸を滅ぼすのだ」

「神様のクセに、随分大雑把な仕事なのね。どうやって殺すつもりよ?」

「──グングニルですね」


 ベネットは壁に立てかけられた槍に、鋭い視線を向けた。

 貧民街で対決した時、男は言ったはずだ。

 神を殺す武器だと。


 あの時は、与太話の類いかと思ったが……そうではなかったのだ。


「あれは人の命を喰らい、力を増す呪具だ。数千の生け贄を捧げれば──神とて葬れる」


 リベリオは唇の端を歪め、不吉な笑みを浮かべた。

 ベネットは、地下で見た地獄を思い出す。

 数千もの命が、あそこで失われた……胸の奥底から、やりきれない思いが込みあがる。

 懸命に怒りを自制し、ベネットは声を絞り出した。


「人が神を殺すなんて……本当にできると?」

「……会主は、やるつもりでいるさ」

「つくづく、狂った連中ね」


 アリシアは、冷ややかに言い捨てると、短剣を抜き放つ。


「もう、いいでしょう? こいつが救いようのないゲス野郎だって、よく分かったわ。アルヴィン、処分でいいわね?」


 まるで汚物でも見るかのような、辛辣な視線を浴びせられて、リベリオは声を上ずらせた。


「お、俺は言われたとおり、話しただろう!?」

「そうね。貴重な情報、感謝しているわ。それじゃ、さようなら」


 感情のこもらない声で、アリシアが死の宣告を突きつける。

 冷たく光る剣先が迫って、リベリオは血相を変えた。


「やめろっ! 俺が何をしたというんだ!?」

「知らないわよ。あたしは、あなたがやってきたことを、返してあげるだけ。自分で思い出すことね」

「罪に無自覚な人間ほど、質の悪いものはないのです。あなたはこの三年間、何も感じなかったのです? あれが、正しい行いだったとでも?」

「よ、よせっ!」


 数日前まで恐怖を与える側にいた男は、今や冷ややかな双子の視線に射貫かれて、恐怖におののく。

 手足をばたつかせたところで、自由を奪われた身体は動かない。芋虫の真似事を披露して終わるだけだ。


「アルヴィンっ!!」


 リベリオは、アルヴィンにすがるような目をむけた。


「助けてくれ! こいつらに何とか言ってくれ! 俺たちは、一緒に戦った仲間だろう!?」


 アルヴィンは、不快そうに眉をしかめた。

 仲間であったことなど、一瞬たりともない。 

 なりふり構わない見苦しい哀願に、嫌悪感しか浮かばない。


 ──この男は、師ベラナの仇だ。


 ここで情けをかければ、また寝首をかかれるだろう。

 どうすべきか……心は、定まっていた。

 アルヴィンは、静かに告げる。


「アリシア先輩。──剣を収めてください」

「何を言ってるの!!?」


 双子が同時に抗議の声をあげた。

 リベリオの口許に、薄い笑みが浮かんだ。

 猛然と、双子はアルヴィンへ詰め寄る。


「三年前のことを忘れたのです!?」

「正気なの!? こいつに情けをかけたって、感謝も改心もしないわよっ!」

「分かっています」


 その声は、鉛のように重い。

 助命の代償が何であったか、忘れられようはずがない。

 だが……アルヴィンには、譲れないものがあった。それは審問官としての、矜持とでも呼ぶべきものだ。


「許す、わけではありません。感情にまかせて私刑にかければ、彼らと同じになります。裁判にかけ、教会法によって裁く──それが、僕たちの使命です」

「甘いわよ!」


 しばしの間、両者はにらみ合う。 

 だが、今回ばかりはアルヴィンは折れない。

 重苦しい沈黙の後、肩をすくめ嘆息したのは──アリシアだ。


「……昔からそう。あなたって頑固者ね」

「すみません」


 アルヴィンは、深く頭を下げる。

 無理を言っている自覚はある。いや、それだけではない。  

 実のところ、散々迷惑をかけているのは、彼の方なのだ。

 厳しい態度を取りながらも、結局は受け入れてくれる双子には、感謝しかない。


 アルヴィンは、リベリオへ視線を転じた。 


「聞いての通りです。僕たちは法をねじ曲げ、腐肉を漁るあなたたちと、同類にはならない。審問官リベリオ、教会法の裁きを受けて下さい」

「どちらにせよ、結果は同じでしょうけどね」


 皮肉たっぷりに言って、アリシアは短剣をしまう。 


 事の成り行きを見守っていたクリスティーが、ウルベルトを見やった。 


「ステファーナの狙いは分かったわ。それで、私たちはどう動くのかしら? 決起するというからには、計画があるんでしょう?」

「同志が合流する」

「同志──誰です?」


 アルヴィンは、怪訝な顔で聞き返した。

 教会と対決するのだ。

 仲間は多いに越したことはない──だが、数だけを揃えても、かえって犠牲を増やしかねない。そんな憂いがある。


 ウルベルトは、したり顔で、でっぷりとした腹を揺らした。


「オルガナだ」

「──?」

「オルガナの教官連中が、今夜聖都に至る。事ここに及んで、ようやく重い腰をあげたわけだ」

「教官たちが来るのですか!?」


 アルヴィンの驚きは大きい。

 これまで沈黙を守っていた、オルガナが動く。


 それは朗報であり──同時に、事態の急迫を示す、凶報であるともいえた。


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