第71話 聖都は燃えているか

 オルガナの教官は、いずれも練達の審問官ばかりだ。

 彼らほど心強い援軍は、他にはいまい。

 ウルベルトは得意げに続ける。


「手筈はこうだ。我々が聖都正門を制圧し、教官連中を市内に入れる。後は奴らが教皇庁を急襲し、ステファーナを拘束するだろう。教皇猊下の呪いを解けば、教会はあるべき姿へ戻る。大陸は滅びず、万々歳というわけだ」


 両手を広げ、ウルベルトは芝居がかった笑みを浮かべた。

 だがアルヴィンは同調しない。その眼差しは、厳しいものだ。


「肝心なことを忘れていませんか? 教皇猊下を、どうやって目覚めさせるつもりなのです?」


 眠り姫、とも揶揄される教皇ミスル・ミレイにかけられた眠りの呪いは、三年前、呪具シュレーディンガーによって解かれた。 

 だが目覚めは、長くは続かなかった。

 以前よりも遙かに強固な呪いを受け、再び昏睡に陥ったのだ。


 いかにして、呪いを解くのか──

 ウルベルトは鼻を鳴らすと、あごで指し示す。


「その娘の、魔法があるではないか」

「わ、わたしっ!?」


 素っ頓狂な声をあげ、円卓にしこたま脚をぶつけたのはメアリーだ。


「銷失の魔法なら、眠りの呪いを解けるだろう。お前の呪傷を消し去ったようにな。教皇猊下が目覚めれば、潮目は一気に変わる。言うまでもないが、これは最後のチャンスだ。さあ──どうするのだ?」 


 決断を迫られ、アルヴィンは慎重に思索を凝らした。

 呪具グングニル、オルガナの教官たち、そしてメアリーの魔法──手札は、揃ったように見える。

 だが、そう上手く事は運ぶまい。


 教会と聖都は、枢機卿らによって完全に掌握されている。

 ステファーナの力は底知れず、禁書アズラリエルと精神支配されたフェリシアも、手の内だ。

 決して容易な戦いにはならないだろう……それは予感というよりは、確信に近い。

 円卓に集った仲間の顔を、アルヴィンはゆっくりと見回した。 


 目が合い、それぞれが頷きを返す。そこにあるのは厚い信頼だ。

 アルヴィンの心は──定まった。


「……分かりました。やりましょう。僕たちで、大陸を救いましょう」


 どんな困難が待ち受けていたとしても、仲間がいれば乗り越えられる。彼には、そう思える。

 意気揚々と、ウルベルトが手を打った。


「決まりだ! 行動開始は夜だ! 失敗は許されん──くれぐれも、肝に銘じておけ!」





 小一時間ほどかけて計画の細部を詰めた後、一同は解散した。

 各自が、あてがわれた部屋に戻る。

 戦いの仕度をし、夜には隠れ家を発つ。時間はあるようでない。


「ベネットさま」


 広間を出ようとしたベネットの背中に、控えめな声がかけられた。

 振り返った先に、胸に手を当てたソフィアが立っている。

 思い詰めた表情で、少女は告げた。


「ベネットさま、祖父をどうか……救って下さい」


 彼女の祖父は、枢機卿会副会主であるエウラリオだ。 

 両親の生死は分からず、地獄のような地下へ幽閉された──そんな仕打ちを受けて尚、祖父の身を案じる少女の優しさに、ベネットは胸をしめつけられた。


 今夜、エウラリオと対決することになるだろう。

 かつて大陸随一の剣の使い手と謳われた男との戦いは、容易くはない。

 だが──

 ベネットは、震える小さな手を握った。


「枢機卿エウラリオは──私が、必ず止めます」

「……ありがとうございます」


 涙ぐんだソフィアを安心させるように、ベネットは不器用に笑った。 

 それぞれが、覚悟を胸に抱く。

 聖都は、夜を迎えた。 





◆ ◇ ◆ ◇ ◆






 夜の帳が降りるや、背教者たちは迅速に行動を開始した。

 エレンとソフィアは隠れ家に残る。捕虜のリベリオもだ。

 グングニルは、ベネットが持つ。


 アルヴィンらは人目を避けるために、地下水路を移動手段に選んだ。

 目指す先は、聖都正門である。


 白大理石で装飾された壮麗な門は、黒々とした巨体を、夜の底に横たえている。

 門は、堅く閉ざされていた。

 その脇に、石造りの堅牢な詰め所がある。


 ウルベルトによれば、警備は三交代制で、十数人の衛士が詰めているらしい。

 制圧は、このメンバーなら造作もないだろう。

 だが……アルヴィンは思案する。 


 衛士は聖都の治安維持が任務で、枢機卿の私兵である、処刑人とは違う。

 実力行使は、極力避けたい。


 ──話が分かる相手ならいいが……


 祈るような気持ちで、大きく息を吸う。


「……行くぞっ!」


 物陰から躍り出ると、アルヴィンは駆けた。

 双子と、クリスティーが後に続く。

 詰め所まで、それほど距離はない。


 入り口に歩哨はおらず、扉は開いたままになっている──中に飛び込み、アルヴィンは叫んだ。


「僕は審問官アルヴィンだ! 緊急の用件だ! 責任者と話がしたい!」


 もし交渉が決裂し、教皇庁へ通報が行けば厄介なことになるだろう……

 必死の呼びかけは、だが、沈黙によって報いられた。


「──?」

「……誰も、いませんね……?」


 肩すかしを喰らったような面持ちで、ベネットが呟く。

 アルヴィンは詰め所に視線を走らせた。

 中は一目見て、乱雑としていた。

 机や椅子が倒れ、こぼれたコーヒーが床に黒い溜まりを作っている。

 本来あるべきはずの衛士の姿は、どこにもない。


 何か、ただならぬ事態が起きた後……のように見える。

 考えられる可能性といえば──


「教官たちが、制圧したのか──?」

「奴らは来ない。永遠にな」

「──────っ!!」


 ただならぬ殺気を感じて、アルヴィンは飛び退いた。

 その脇を、猛烈な速度で何かが掠める。

 それが何であるか気づき──背筋が凍った。


 無慈悲に壁に叩きつけられ、崩れ落ちたのは衛士だ。既に絶命している……


「誰だっ!」


 誰何の声と共に吐き出した息が、白く変わった。

 それだけではない。壁や床が、凍てついていく。 

 ゆらりと、暗がりから何者かが進み出た。


 長髪の、氷のような微笑を浮かべた女だ。

 背後にいた双子が息を呑んだ。


「──氷の魔女、グラキエスの当主よ!」


 声に緊張をみなぎらせ、アリシアが短剣を抜く。

 女の顔を、見間違えようはずがない。

 コールド・スプリングの廃教会で、一触即発となった魔女の当主だ。

 アリシアは、カミソリの刃のように鋭利な冷気を纏う女を、油断なく睨みつけた。


「──なぜここにいるの!? あなたたちは、手出ししない約束でしょう!」

「お前たちは、失敗した」

「まだ終わってなどいないわ!」


 魔女は、気だるげに首を振った。

 窓の外へ視線を転じ、事も無げに狂気じみた宣言をしてみせる。


「時間切れだ。よって、我らが聖都を消し去る」

「なんですって!?」


 それが妄言の類いでないことは、強烈な閃光によって、直ちに証明された。

 夜が、白と黒のモノトーンに塗りつぶされた。

 数拍の間を置いて、耳をつんざくような爆音が轟く。立っていられない。地響きのような振動が足元を揺らし、アルヴィンは床に手をつく。


 音は──外からだ。


 閃光から爆音までの間からして、距離がある。

 咄嗟に窓の外を見やり、アルヴィンは呻いた。


 遠く、聖都の中心にそびえる白亜の教皇庁。

 それが今や無惨に半壊し、黒煙を吐き出している。

 夜空を割って、火球が降り注ぎ始めた。


 ──聖都は、紅く燃えていた。





(白き魔女編につづく)






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