第67話 重なりあう思い

 ベッドの上に身体を起こしたアルヴィンと、入り口で立ち尽くすベネット──

 二人の距離は遠い。それは、心の隔たりを現すかのようだ。

 俯いた少年が、意を決したように顔をあげた。


「アルヴィン師……私が……愚かでした」


 目には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 野心と根拠のない自信をみなぎらせた態度は、どこにもない。

 僅か数日の間に、何があったのか──アルヴィンは驚きを隠せない。 

 入り口に立ったまま、少年は声を絞り出す。


「私は、あなたを……粛正しようとしました。魔女と内通したと……誤解して」


 少年が一瞬、無意識にクリスティーを見やったのを、アルヴィンは見逃さなかった。

 おおよその事情を察する。


 アルヴィンとクリスティーの、秘密の関係。

 いきさつは分からない。だがベネットは、既に知っているのだろう。

 敢えて誤解と言ったのは、双子とメアリーが同席しているからか。


 ──まさか、教え子に庇われるとは……


 アルヴィンは、心底嫌気が差す。

 自分の指導官としての不甲斐なさに対して、だ。  

 ベネットが道を誤った責任は──アルヴィンにある。


 枢機卿殺しの魔女を二人で追う、そう決めた時、話すべきだったのだ。

 真実を伝えることを躊躇し、結果的にリベリオにつけいる隙を与えてしまった──

 

 だとすれば、自分の口から、全てを打ち明けるべきなのだろう。

 ベネットだけではない。

 共に戦った、双子やメアリーにもだ。


 アルヴィンは居住まいを正すと、真剣な光を少年に向けた。


「──ベネット、君は間違っていない」


 一同の顔をゆっくと見回した後、声に力を込める。


「僕が審問官でありながら魔女と──クリスティーと手を組んだのは、事実だ」


 しん──と、水を打ったように、部屋が静まりかえった。


 双子が表情を硬くする。メアリーは……分かっていないのだろうか、皆の顔をせわしなく見比べている。

 クリスティーは、どう思っているだろう?

 何の相談もなく打ち明けたことを、呆れているか、怒っているか──その横顔は、全てを託しているようにも見えた。


 言い訳をするつもりはない。

 罪から、逃げるつもりもない。

 アルヴィンは決然と、教え子に告げる。


「僕は、背教者だ。だから君が粛正するというのなら、受け入れる」

「それは……違います!」


 ベネットは、思わず叫んだ。

 粛清を受け入れる──それは師の本心なのだろう。

 だが、そんなもの望んではいない。

 居ても立ってもいられず、師へと駆け寄った。


 罰せられるべき者は他にいる。今なら、それが分かる。


「私は……聖都の地下で、地獄を見ました。背教者として罰せられるべきは、あなたではありません……! 教会の、指導者たちです!」

「ベネット……」

「お願いです、アルヴィン師! 私を導いてください!」


 ベネットは声を震わせ、訴える。

 顔つきも、双眸に宿した決意の煌めきも、数日前とはまるで違う。

 地下で、ただならぬを経験したのだろう……それが少年を成長させたのだ。

 アルヴィンの驚きは大きい。


 ──この子は、僕なんてあっという間に追い越してしまうかもしれないな……


 それは、決して不快な感情ではない。むしろ、嬉しさすらある。

 手を伸ばし、アルヴィンは教え子の手を取った。


「頼まなくてはならないのは、僕の方だ。教会を正しい姿に戻すために──共に、戦ってくれないか」

「もちろんです……!」


 ベネットは涙を流し、何度も頷く。

 すれ違った師弟が、正面から向き合った瞬間だった。長い遠回りを経て、よくやく和解へと至ったのだ。


 審問官アルヴィンと審問官見習いベネット。師弟は将来、教会史に名を刻むこととなるかもしれない──

 それはこの先に待ち受ける、数多もの試練を乗り越えられたら……の、話ではあるが……


 その最初の困難が、早くも立ち塞がる。


「アルヴィン、今の話は本当なのですか」


 険しい表情を浮かべるのは、エルシアだ。

 鋭い視線でクリスティーを一瞥し、アルヴィンに問う。


「こちらのクリスティー医師が──魔女だと?」

「そうよ。私は白き魔女の娘。あなたがたがセンスの欠片もない二つ名で呼ぶところの、凶音の魔女ね」


 アルヴィンよりも先に、クリスティーがあっさりと認める。

 双子の顔に、緊張の色が走った。


「魔女──!」

「困ったわ。邪悪な魔女は、駆逐されちゃうのかしら?」

「ちょっと! ちょっと待ってください!!」


 殺気立つ双子と、挑戦的な笑みを浮かべるクリスティーを、アルヴィンは慌てて制止した。

 今は、ひとりでも多くの仲間が必要だ。

 話がややこしくなるような真似は止めてもらいたい。


「先輩がた。クリスティーは、人と魔女の融和を願っています」


 アルヴィンは、慎重に言葉を選ぶ。 


「僕は、彼女を信じています。責任は全て取るつもりです。ですから、お二人の力を貸していただけませんか」

「馬鹿にしないでちょうだい」


 アリシアは柳眉を寄せると、怒気をみなぎらせた。エルシアも同様である。

 双子は両手を腰にあて、左右からアルヴィンに詰め寄った。


「何年のつき合いだと思っているの!? 何か隠し事をしているだなんて、とっくに気づいていたわよ」

「クリスティー医師を信じるという、あなたの言葉を信じないとでも? わたしたちの信頼を、軽く見ないで欲しいですわね」


 放たれる言葉は厳しい──が……想像していたものと、少し違う。


「困ったら頼りなさいって散々言ってきたのに、また忘れたの? 力を貸して欲しい? 貸すに決まってるでしょ! 拒んだって貸してやるんだから」

「ひとりで全てを背負います、って態度で、辛気くさい顔をするのもやめるのです。部屋の湿度があがって、鬱陶しいのです!」


 双子から速射砲のごとくダメ出しを浴びせられて、アルヴィンは沈黙せざるを得ない。

 だが──口調こそ手厳しいものの、そこに悪意はない。

 あるのは、アルヴィンへの深い信頼と友愛だ。


 勘違いをしていたのは、どうやら自分の方らしい──気遣いを痛いほど感じて、胸にこみ上げる感情があった。


「……ありがとうございます」


 深々と、頭を下げる。

 こんな事態となっても味方でいてくれる双子に、感謝しかない。

 彼女らには、一生頭が上がらないだろう──内心苦笑しながら、アルヴィンは最後にメアリーを見やった。


 きょとん、とした後に、少女は曖昧な笑みを返した。

 話を聞いていなかったのだろうか……アルヴィンは急に不安になる。 

 一同の視線が集まる。 


「えーっと……」


 やや長めの沈黙の後、見かねたエルシアが何か耳打ちをした。

 直後メアリーは、跳ねるようにして宣言する。


「わ、わたしはアルヴィンについていくからっ!」

「決まりね」


 クリスティーが、軽く手を打った。

 話がこじれそうになった原因の、少なくとも半分は、彼女に求められるのだが──いや、細かいことはどうでもいい。


 審問官たちと魔女は、共に戦う道を選んだ。

 ささやかな反撃の第一歩が、こうして踏み出されたのだ。


「──お話は終わりましたか?」


 そこに、少女の声が響く。

 入り口にエレンが立っていた。

 栗毛の少女は返事を待たずに、一同へと告げた。


「広間へ来て下さい。枢機卿ウルベルトが呼んでいます」


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