第64話 眠れる王子は目覚めない
──隠れ家、であるらしい。
だが、どこか釈然としないものが残る。
メアリーが想像する隠れ家とは、例えば一軒家の屋根裏部屋とか、うらびれた港の倉庫だとか、人目をはばかるものだ。
それが、どうだろう?
ウルベルトに連れられて来た隠れ家を、メアリーは胡散臭げに見回す。
ソレは二階建ての建物で、二十を超える客室、応接間、食堂、図書室、喫煙室、それに厨房、食器室、ナイフ室……地下にワインセラーまである。
つまり豪邸である。
隠れ家と称するには、堂々とし過ぎではないか。
それを指摘するとウルベルトは「俺は、隠れ家に妥協しない主義なのだ」と言って、胸を張るのだ。
逃亡者らしく人目をはばかろう、という気が毛頭ないらしい。
メアリーは眉をひそめ、さらに疑問を投げかける。
「でも、こんな立派なお屋敷にいたら、すぐに見つかっちゃうんじゃない?」
「名義は他人に偽装してある。今頃連中は、スパダの屋敷の方を、血眼になって探し回っているだろうよ」
そう言って、ニヤリと人の悪い笑みを返してくる。
スパダとは、大陸屈指の銀行家で、ウルベルトの出身家である。聖都にも、百件以上の屋敷を所有しているらしい。
処刑人らは、そのいずれかに潜伏していることを疑い、しらみつぶしに探すことだろう……
所有する多数の屋敷を囮にして、他人名義の隠れ家に潜む──規格外の金持ちにしかできない策を聞かされて、頭に浮かんだのは感心よりも呆れだ。
処刑人の魔手から逃れられるのなら、手段など、まあ、何でも良いのだが……
メアリーは嘆息すると、ベッドサイドに頬杖をついた。
黒猫のルイが、姫君を守る騎士のように、ぴたりと寄り添う。
目の前に、天蓋付きの豪奢なベッドがあった。
そこに横たわるのは、アルヴィンだ。
「──まだ、起きないのね?」
隠れ家に潜伏して、二度目の夜を迎えていた。
呪傷を消し去ってから、アルヴィンは一度も目を覚ましていない。
目を覚ます気配も、一向にない。
「当たり前だ」
ウルベルトは欲と脂肪の詰まった腹を揺らした。
「重傷だったのだ。他の者なら、とっくに死んでもおかしくないほどのな。呪傷が消えたからといって、すぐに目を覚ますものか」
……正直なところ、医師に診せたいところではある。
だが、そこから足がつく可能性も否定できず、ウルベルトを躊躇させていた。
と。
不意に仔猫が、毛を逆立てた。
「──ルイ? どうしたの?」
警戒の唸り声があがった理由を、メアリーはすぐさま理解する。
猫語を解したから……ではない。直後、屋敷の扉を叩く、重く低い音が響いたのだ。
ウルベルトが窓に近づき、カーテンの隙間から視線を走らせる。
三人のいる寝室は、二階にある。
玄関は、ポーチで死角となり様子を覗うことはできない。
舌打ちすると、ウルベルトは声を低くした。
「メアリー、お前はここにいろ」
「……ゴーヨクはどうするの?」
「様子を見てくる。何かあったら、アルヴィンを連れて逃げろ」
矢継ぎ早に言いながら、ウルベルトは、壁に立てかけていた長剣を手にする。
既に時刻は夜半である。ただの訪問者ではあるまい。
──処刑人、か。
階段を降りながら、剣を鞘走らせる。再び、ノックの音が響いた。
「……どうやら、気の短い客人のようだな」
ウルベルトは、玄関扉の前に立った。
たった二日で、ここを嗅ぎつけてくるとは、全く予想外である。
上手く切り抜けられば良いが──
意を決すると錠を回し、扉を蹴り開ける。
「誰だ!?」
誰何の怒号に、答える者はいない。
真夜中の来訪者は──どこにも、いない。
眼前には、のっぺりとした闇が広がるだけだ。
ウルベルトは油断なく、気配を探った。
気のせい、では決してない。ノックは二度聞こえた。
ほんの僅か、空気が動いた。
咄嗟に剣を振るおうとした時には、既に遅い。
次の瞬間、短剣が喉元に、拳銃がこめかみに突きつけられている。
まさに、電光石火だ。ウルベルトは硬直した。
にこやかな再会の挨拶が、後に続いた。
「お久しぶりね、強欲枢機卿さま」
その声は処刑人──では、もちろんない。
そうであれば、問答無用で首を飛ばされていただろう。
ウルベルトは顔を引きつらせながら叫ぶ。
「だから、挨拶代わりに武器を向けるのは、やめろと言っておるだろうがっ!?」
相手は、審問官アリシアとエルシアである。
双子は抗議を受けても、表情ひとつ変えない。武器も引かない。
静まりかえった屋敷を一瞥し、エルシアは眼光を鋭くした。
「主自らお出迎えだなんて、光栄ですわね。使用人はどうしたのです?」
「ここにはおらん! 本邸の方も、全員に暇を出してある。巻き込みかねんからな」
「意外と常識的な判断ですわね。──屋敷の中に、処刑人は?」
「いるわけがあるか! さっさと武器を引け!」
そこで、ようやく双子はウルベルトを解放した。
処刑人に先回りされていないか、警戒していたわけだが、杞憂だったようだ。
首筋を撫でながら、男は忌まわしげに問う。
「どうやってここを見つけたか知らんが……お前たちこそ、つけられておらんだろうな」
「そんな下手を打つものですか」
「──アルヴィン師は、無事なんですか!?」
猛然と、金髪の少年が会話に割って入った。
確かベネットといったか──アルヴィンの弟子だろう。
気づけば玄関には、五人分の人影が増えている。
審問官見習いベネット、枢機卿エウラリオの孫娘であるソフィア、医師クリスティ-、その助手のエレン、そしてボロ雑巾である。
一行は協力者の情報を頼りに、二日がかりでようやく潜伏先を突き止めたのだ。
ウルベルトは一同に、苦々しげに告げる。
「あ奴の受けた、呪傷は解いた。だが、意識が戻らん」
「意識が……? なぜです?」
「分からん」
「そんな! 無責任でしょう!?」
ベネットは、ウルベルトに掴みかからんばかりの勢いだ。
興奮した少年の肩に、ダークブロンドの佳人が手を置いた。
「大丈夫よ。私が診るわ」
「──あなたは?」
ウルベルトは怪訝な視線を向けた。
「クリスティーよ。旧市街で、医師をしているの。もっとも、診療所は木っ端微塵にされちゃったから、正確には無職かしら?」
クリスティーはおどけたように言い、肩をすくめる。
刺々しい視線をボブカットの少女から浴びせられて、捕虜がヒッと情けない悲鳴をあげた。
ウルベルトは、黙考した。
詳しい事情は分からないが、医師の治療を受けられるのは、願ってもないことだ。
だが、信用できるのか──
迷いは、一瞬だ。
「こっちだ。来てくれ」
今はこの女医を信じて、託す他ない。
ウルベルトは寝室に案内し、扉を開く。
ベッドサイドに座る、赤毛の少女が振り返った。
アルヴィンの意識は、いまだ戻らない──が、長すぎる紆余曲折を経て、ついに背教者たちは集ったのだ。
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