第63話 いのち短し 祈れよ乙女

 辛くも、処刑人に勝利した。

 俗欲にまみれたウルベルトも、この時ばかりは神に感謝の祈りを捧げた──訳ではない。

 むしろ、逆だ。


 無力化した処刑人から武器を取り上げ、縛りあげる。

 当面の安全を確保すると、力尽きたように床に座り込み天井を仰いだ。

 処刑人を退けたものの、肝心のウェントワースは消された。

 結果的には、敗北したといってもいい。


 どうせ奇跡を起こすのなら、最後まで責任を持ってもらいたいものだ──ウルベルトは、腹立たしげに息を吐く。


「……ここまでだな」

「ここまでって……?」


 メアリーの瞳に、不安の影が差した。

 過労状態の枢機卿は、苦々しく告げる。


「他の修道士たちも、既にこの世にはおるまい。処刑人の手口とは、そういうものだ。万策尽きたのだ」

「そんな!」


 言わんとする意味を理解して、メアリーは声をあげる。

 アルヴィンに残された時間は僅かだ。

 肩を大きく上下させ、喘ぐように呼吸している。顔に刻まれた苦悶は、深い。


 死が間近に迫っていることを感じ、少女は冷静ではいられない。


「他に手はないの!? お医者さまは!?」

「言っただろう、医師では処置できん。呪傷は、魔法による傷なのだ」


 無念なのは、ウルベルトも同様である。 

 枢機卿の地位と私財を投げ打ち、ガラにもなく人助けをした結果が、これなのだ。

 打つ手は、もはやない──と、メアリーが顔をあげた。


「今、何って……?」

「だから、医師を探したところで救えんのだ」

「その後よ!」


 不意に大声を発した少女に、ウルベルトは面食らいながら答える。


「じ、呪傷は、魔法によ──」

「治せるかもっ!!」

「な、なに……? どうした?」

「わたしなら、アルヴィンを救える!」


 跳ねるようにして叫び、メアリーはアルヴィンへと駆ける。

 急に何を言い出すのか……考えが全く理解できない。ウルベルトは、少女の背中に同情の眼差しをやる。


「メアリー、悪いことは言わん。……諦めろ」

「まだよ!」


 メアリーはひざまずき、アルヴィンの祭服の前を開く。

 ボタンに血が、ねっとりと付着し、指が滑った。焦りをグッと堪え、服を脱がす。

 呪傷を受けた胸元へ、両手を当てた。


「何をするつもりだ?」

「銷失の魔法よ!」

「魔法……だと──?」

「ジュショーだって消せるはず!」


 さらに問おうとして、ウルベルトは途中で言葉を呑む。

 もはや打つ手はない。

 ならば少女を信じて、託す他ない。

 それがどう考えたところで、悪あがきだったとしても……


 メアリーは意識を集中し、強く祈る。


 ──神さま、お願い! アルヴィンを助けて!


 直後、ゴッソリと精気を持っていかれるような、冷たい感覚が襲った。

 視界が暗転する。


 ──気を失ったらダメ!!


 意識を手放さないよう、メアリーは唇を強く嚙む。 

 ジュショーが何かは分からない。

 だが、廃教会で魔女の魔法を銷失させた時とは比べものにならない、ドス黒い悪意の放射を感じる。


 ──黒くて禍禍しい力! これを消せばいいの!? 


 両手が、淡い光を帯びる。 

 魔法の構成であるとか、難しい理屈はチンプンカンプンだ。

 それをメアリーは感覚で覚えていて、言葉に変換するなら「ぐるっと包み込んで、ギュッ! とする」になる。

 悪意の塊を光で包み込み、必死に心の中で叫ぶ。


 ──アルヴィン! 戻ってきて! お願い!!


 光の中で、漆黒の波動が荒れ狂う。

 魔法の構成を食い破ろうと、獰猛な牙を剝く。

 ビリビリと空気が震えた。黒い奔流に吞み込まれそうになりながら、だがメアリーはアルヴィンに押し当てた手を放さない。


 魔法を銷失させる対象に、手が触れていること。

 それが、少女の魔法に課された制約だ。

 もし放せば──その時は、二人の命はあるまい。 


 ギリギリのところで、必死に踏みとどまる。


 ──消えろ! 消えろ! ジュショーなんて消えちゃえええーーーーっ!!


 メアリーは心の中で絶叫した。

 唇をかみ切ったかもしれない。いや、そんなことは、どうだっていい。 

 強く目を閉じ、ありったけの意志の力を叩きつける。


 眩い光が明滅した。

  

「メアリー!」


 フッ──と、糸が切れたように、少女は崩れ落ちた。

 床に身体を打ちつける寸前、ウルベルトが腕を伸ばして支える。


 ──手応えは、あった。


 ぼやけた視界の中で、メアリーは懸命に目を凝らした。

 出血は、止まっていた。

 アルヴィンの呼吸は、規則正しいものへと変化している……


「驚いた……お前、呪傷を消したのか?」


 全身が、ひどくだるい。メアリーは力なく頷く。

 対して、ウルベルトの鼻息は荒い。  

 あのステファーナの魔法を、落ちこぼれ学院生が消し去ったのだ。我が目で見ていなければ、到底信じなかっただろう。


「銷失の魔法、と言ったな? 誰に教わった?」

「……おばさま、だけど……」


 億劫そうに返された言葉に、しばし沈黙する。


 ──やはり、オルガナの差し金か。


 このタイミングで、聖都に、銷失の魔法の使い手が現れた。

 それは、偶然などではない。間違いなく意味がある。

 何かが──男の中で繋がった。

 

 押し黙ったまま、ウルベルトは薄笑いを浮かべる。

 メアリーは立ち上がると、身体をよろめかせながら三歩後ずさった。

 そして、気味悪げに尋ねる。


「……えーっと。急に静かになっちゃって、どうしたの……? 自分の名前がゴーヨクだって、ついに思い出したの?」

「ウルベルトだ! 覚えろ!  頼むっ!!」


 鼻の穴を膨らませ、ウルベルトは怒鳴る。 

 とは言え今は、怒りよりも驚きの感情が遙かに勝る。


「……まさか、お前がワイルドカードになるとはな」

「ワ、ワイロ……?」


 まだ意識の戻らないアルヴィンを、ウルベルトは背負った。

 そして「やっぱりゴーヨク……」と、眉をひそめる少女を見やり、嘆息する。


「……移動するぞ。グズグズしておると、連中のお仲間が来るぞ!」 


 メアリーの力が、アルヴィンの命を救った。

 それだけではない。

 この状況を覆す、決定打となるかもしれない──


 ──まあ……ブタ(役なし)の可能性も、大いに否定できんがな……


 ウルベルトは、心中でごちる。

 赤毛の少女は、切り札と呼ぶには頼りなく、危なっかしさは拭えない。

 反撃に出たつもりが、死への階段を転げ落ちることになるかもしれない。

 

 だが今は……諦める選択肢などない。

 どんな運命が待ち受けているにせよ、前に進むしかないのだ。 


 三人と一匹は、聖都の夜闇へと消えた。


 

 

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