第62話 乙女と強欲男の狂走曲

 薄闇の中を、鋭い刃音がうなった。

 背教者を冥府へたたき落とすべく、苛烈な斬撃が繰り出される。


「わたしに任せて!」


 勇ましい宣言とともに拳銃を抜き放ったのは、メアリーだ。


「で、できるのかっ!?」

「もちろん!」


 疑いの眼差しを跳ね返し、赤毛の少女は力強く答える。 

 審問官見習いや学院生には、模擬弾しか支給されない。

 だが今は、ヴィクトルの計らいで実弾が装填されている。

 処刑人など恐るるに足らず、だ。


 メアリーは狙いを定め、急迫する処刑人を迎え撃つ。

 命のやりとりをする局面にあって、少女は冷静である。

 引き金は躊躇なく引かれた。 


 教本通りの射撃が、見事に額の中央を撃ち抜く。

 処刑人の──ではない。

 無惨に砕け散ったのは、何とかという、聖人のブロンズ像の方だ。


 ウルベルトの声は、悲鳴に近い。


「どこを狙っておるっ!?」

「だ、だって動くんだもん!」


 言い訳をしている間にも、彼我の間合いは詰まる。

 二人は迫り来る剣先から、転がるようにして逃げだした。

 混乱の最中、背教者たちに、意外な物が福音をもたらした。

 総長室の執務机、である。


 それは通常のものよりも幅広で、机を挟んで対峙すれば、白刃は届かない。

 捕食者と獲物は、猛然と走り始めた。執務机の周囲を時計回りに、ぐるぐると、だ。


 もし追いつかれれば、たちまち凶刃に斬り伏せられるだろう。

 命がけの追いかけっこが始まった。


 ウルベルトは体型に似合わず機敏に走りながら、メアリーに叫ぶ。


「さっきの勇ましい宣言はどうした!? なんとかしろっ!」

「ゴーヨクこそ戦いなさいよ! 女の子に危ないことをさせて、恥ずかしくないのっ!?」 

「肉体労働は専門外だ!」


 互いに責任を押しつけ合う様は、見苦しいことこの上ない。

 そして、永遠に逃げ続けられるはずもない。

 その瞬間は唐突に訪れた。


 足を躓かせ、メアリーが転倒した。

 処刑人が嘲笑を浮かべる。背教者を粛正すべく、正義の鉄槌が振り下ろされた。  


「メアリー!!」


 強烈な斬撃は、だが逸れた。

 小さな勇者がメアリーを救った。 

 処刑人の仮面に、仔猫が飛びついたのだ。


「ルイっ!」

「──全く、世話の焼ける奴らめっ!!」


 心底腹立たしげに床を蹴ると、ウルベルトは渾身の力を振り絞った。


「うおおおおおおっ!!」


 地鳴りのような雄叫びだ。

 そして、驚嘆すべき光景である。

 ウルベルトが重厚な執務机を、ひとりで押し動かしたのだ。仔猫を引き剥がそうともがく処刑人を、壁との間に挟み込む。


「今だ、撃てっ!」


 メアリーが、よろよろと立ちあがった。気配を察して、ルイがヒラリと飛び退く。

 処刑人は机と壁の間に挟まれ、動けない。

 

 ──絶好の好機だ。


 刹那、必殺の銃声が轟いた。

 一切の容赦なく、メアリーは全ての銃弾を叩き込んだ。それは大型動物ですら、屠れる火力であったかもしれない。


 硝煙の臭いが、部屋に満ちる。

 銃声の後に、驚愕の声が続く。


「なぜこの距離で、外す!? 動いてもおらんだろ!?」


 ウルベルトの憤激は、もっともである。

 放たれた銃弾は、ことごとく外れていた。白壁に穴を開けただけだ。

 壊滅的射撃センスである。


「だ、だって! わたしウラグチニューガクだしっ!!」  

「そんなことはどうでもいい! 武器なしで、こいつをどうするのだっ!?」


 ──ゴッ!!


 と──くぐもった音が、二人の言い争いを中断させた。

 執務机の上に、処刑人が倒れ伏していた。

 すぐ側に、修道院の総長を描いた肖像画だろう……大きな額が落ちている。


「えーっと……」


 頬に手を当て、メアリーは素早く考察する。

 処刑人の背後の壁に、肖像画が飾られていた。

 その留め具を、偶然撃ち抜いたのだ。


 結果、落下した額が処刑人の後頭部を強打し、昏倒させるにいたった──

 メアリーは腰に手をあてると、ドヤ顔でポーズを決めた。


「計算どおり☆」

「噓をつけ!!」


 大声でウルベルトはツッコミを入れる。

 計算など、あろうはずがない。

 仔猫の勇気と積み重なった偶然が、背教者たちに、まさかの勝利をもたらした。

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