第57話 旧市街の死闘

「審問官リベリオ。あなたには罪を償ってもらいます」


 ベネットはソフィアを助け起こすと、エレンに託す。

 脇腹が痛む。連戦で、身体は悲鳴を上げている。極めつけが、この男の登場である。

 だが──恐れはない。


 地下で見た地獄の光景が脳裏に蘇り、沸々と怒りがわき上がった。 

 ベネットは、拳を握りしめる。


「武器を捨てるのは、あなたの方だ。投降はしない。貧民街に手出しもさせない」

「哀れだな、ベネット。状況が理解できぬのか? 小汚い街を消し去るなど、容易い。この──グングニルの力があればな」


 リベリオの発する言葉は、ひとつひとつが粘性の毒を帯びているかのようだ。


 ──グングニル。 

 男がそう呼んだ槍を一瞥して、ベネットは表情を硬くする。


 地下で人々は、生きながらにして、赤く煮えたぎった液体に溶かされた。

 それと同じ波長の禍々しさが、感じられる。

 ベネットは油断なくリベリオを見据えた。


「──その槍は、なんです」

「初代教皇グングニルが鍛えた、呪具だ」

「初代教皇? まさか……」

「信じられぬのも無理はない。事実、長きに渡り所在不明とされ、存在そのものが疑われた。──ところが、だ」


 リベリオは低く笑う。


「カタコンベの深部で、偶然こいつが発掘されたのだ。不死の達成を焦る老人たちに、思わぬ福音が舞い込んだわけだ」


 枢機卿は、主のはずである。だがリベリオは、嘲りの色を隠しもしない。 

 ベネットは脳細胞を末端まで、フル回転させた。


 カタコンベとは、地下墳墓のことだ。昔は、死者を地下の墓地へ埋葬していた。

 聖都はよく、二つの国があると喩えられる。

 すなわち、地上の生者の国と、地下の死者の国だ。それほどに規模は大きく、迷宮のように入り組んだ地下墳墓の全容を、知る者はいない。


 ──そのカタコンベに、初代教皇が鍛えた呪具が眠っていた?

 ──なぜ、不死への福音となる?


「そんなご大層な代物が、不死と何の関係があるんです」 

「神を殺す」

「神を──?」


 聖職者にあるまじき言葉が飛び出して、ベネットは絶句した。

 神に仕える者が……正気とは思えない。困惑はむしろ大きくなる。


「神を……殺す、と? 本気ですか」

「少なくとも、老人たちはそのようだな」

「──ベネット」


 クリスティーが、耳元で囁く。


「あの槍は危険よ。ただのオモチャじゃないわ」

「分かっている」


 リベリオから視線を外さずに、ベネットは頷く。

 あれが初代教皇の鍛えた槍とは、にわかには信じがたい。だが──

何であるにせよ、診療所を一撃で破壊した力は侮れない。

 脅威であることは、間違いない。


「処刑人は私が引き受ける。あなたは奴を止めて。あれを使わせては駄目よ」


 話している間にも、グングニルは輝きを増し続けている。

 手をこまねいていれば、次に吹き飛ぶのはベネット自身となるだろう。

 猶予は、ない。


 槍を一瞥し、男は満足げに唇の端を歪めた。


「頃合いだ! さあ、終わりとしようか」


 リベリオがグングニルを構える。


「──行くわよっ!」


 空気が張りつめる。路地を満たした殺意が、たちまち氾濫危険水位を超えた。

 二人は同時に動いた。ベネットが短剣を、クリスティーが散弾銃を手に、駆け出す。


 行く手を、処刑人らが忠実な壁となって塞ぎ、剣光が取り囲む。

 血に飢えた包囲網が形作られようとした、刹那──


「伏せて!」


 クリスティーの声に、発砲音が続いた。

 散弾を受けた処刑人が崩れ落ち、包囲網に穴が穿たれる。

 振りかざされる刃を躱し、ベネットは倒れた男の頭上を跳び越えた。 


 怒号と混乱の渦中を突破し、リベリオの眼前へと躍り出る。

 短剣を閃かせ、一気に踏み込む。


「──っ!!」


 リベリオの懐に飛び込み、頸部に刃を滑らせようとした、その直前。 

 ベネットは、真横に跳躍した。


 銃声が左耳を、したたかに打ち据えた。

 一瞬前までいた空間を、鉛の凶弾が切り裂いて行く。

 二人の動きは読まれていたのだろう。リベリオは左手に槍を、右手に拳銃を持ち、待ち構えていたのだ。


 立て続けに銃声が上書きされる。地面を転がり、火線から必死に逃れるしかない。

 石畳に当たった跳弾が、ベネットを傷つける。


「どうした? 俺に罪を償わせるのだろう? 逃げてばかりでは、話にならんぞ?」


 リベリオは嘲笑う。

 あえて命中させず、弄ぶかのようだ。

 いや……事実、なぶって愉しんでいるのだろう。


「無様だな、ベネット。そこで這いつくばって、仲間の死を見ているがいい」


 今やグングニルは、灼熱した鉄のように、輝白色の光を放っている。 

 リベリオは槍を、処刑人との戦いの最中にあるクリスティーに向けた。 


「クリスティー! 逃げろっ!」


 間断なく襲いかかる処刑人が、彼女に逃れる暇を与えない。

 穂先から、灼熱した死の誘いがほとばしる。

 膨大な光が放出され、街を呑み込んだ。まるで地上に、二つ目の太陽が生まれたかのようだ。


 ──間に合わない!? 私が止めるしかないっ!


 一か八か。

 被弾を覚悟の上で、ベネットはリベリオへ猛進した。


 光の中へと飛び込む。 

 熱い。

 何も見えない。

 直感だけを頼りに、がむしゃらに突き進む。


 ──────────っ────え!!


 絶叫、したのだろう。自身の発した声さえ聞こえない。

 ベネットは虚空に向け、渾身の力を込めて蹴りを放った。


 碧空を、一条の赤い線が駆け上がった。

 上空の積雲が、真っ二つに割れる。


 神のご加護……と、呼ぶしかない。

 ベネットの蹴りが奇跡的に槍を捉え、光熱波を上空に逸らしたのだ。 


 ──なんて力だっ!! 地上に放たれていたら、街は壊滅していた!


 グングニルの力を目の当たりにして、ベネットは慄然とする。

 初代教皇の鍛えた呪具──それは、荒唐無稽な話では決してない。

 そして危機は、まだ去っていない。


 ベネットは唐突に、石畳へと叩きつけられた。

 大男に殴りつけられたかのような衝撃が走り、肩が灼熱する。

 遅れて、残響が耳を打つ。


 ──っ! 撃たれたっ!?


 そう気づくまでに、かっきり三秒の時間を要する。

 口の中を切ったのだろう、鉄の味が広がった。


「つくづく、小賢しい小僧だ」


 忌々しげに見下ろしながら、リベリオが毒を吐いた。

 立ち上がろうとしたベネットを足蹴にすると、冷たい銃口を向ける。


「グングニルを止めたことは褒めてやる。だが終わりだ。先に逝って、師を待っていろ」


 引き金を引く男に、躊躇はない。 

 ベネットは目を強く閉じた。

 パン! と、銃声が鳴り響く。


 だが、衝撃は──来ない。

 さらに数秒待っても、来ない。


 ──死とは、こんなに緩慢に訪れるものなのか?


 おそるおそる目を開け……ベネットは驚きの声をあげた。

 射撃は正確無比だった。

 ただし、奪われたのはベネットの命ではなく、リベリオの拳銃である。


 うらぶれた、くすんだ路地裏に、二輪の可憐な花が咲いた。


「猿が人の言葉を喋るだなんて、驚きだわ。いつから聖都は動物園になったのかしら」

「そんな言い方は失礼ですわよ? 猿にだって、羞恥心くらいありますもの」 


 ただし──棘は、多い。


 状況は、絶体絶命である。だがベネットは、頬が緩むのを感じた。

 これほど頼もしく、不敵は援軍は他にはいまい。

 痛烈な皮肉を叩きつけ、颯爽と立つのはアリシアとエルシアだ。


 ──リベリオの表情が、仮面の下で凍りついた。

 

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