第56話 悪役、再登場す

 ──パン! パン! パン! と。

 瞬時にベネットは、三人の処刑人の額を撃ち抜いた。

 さらに至近距離に迫った四人目に向けて、引き金を引く。だが、カチッ! と乾いた音が響いただけだ。


 ──弾切れである。


 一瞬、動きを止めた処刑人と、目が合う。

 死と隣り合わせの状況で、残弾を読み違える──それは、見習いが犯しがちなミスであろう。

 そして死へと直結する、致命的なミスだ。


 間髪を入れず、処刑人が怒りの一撃を繰り出した。

 咄嗟に反応できたのは、神のご加護という他ない。 

 凶刃が、薄く頬を切る。


 ベネットは身を反らしながら、男の前腕を掌で打った。

 同時に腕を掴むと、肘関節を捻り上げる。悲鳴があがり、短剣が床に落ちた。

 続けて回し蹴りを叩き込み、丁重に診察室からご退室いただく。


 時間は、一分と要さなかっただろう。 

 背教者と魔女によって、気の早い診察希望者たちは、たちまち無力化された。


 処刑人が落とした短剣を、ベネットは失敬する。

 安心するのは、まだ早い。急がなくてはならない。

 待合から、複数の殺気が感じられる。

 そして、二階にいるソフィアとエレンは無事なのか……


 診察室からベネットは走り出た。目に飛び込んだのは、聞き苦しい濁音を発しながら階段を転げ落ちる男だ。

 階段の上には──拳銃を構えたエレンの姿がある。背後にソフィアもいる。


 エレンには審問官並みの射撃スキルがある。

 男は小娘が相手だと侮り、返り討ちにあったのだろう。高い授業料を払わされたわけだ。


 見たところ、二人の少女に怪我はない。

 ベネットは安堵し、叫ぶ。


「二人ともこっちへ! 裏口から逃げるんだ!」


 返事の代わりに、ソフィアが何かを投じた。 

 それは、牡丹の花が描かれた、青白磁の花瓶である。ベネットの頭をかすめ──背後を狙っていた、処刑人の頭に命中する。

 けたましい破壊音と共に花瓶は割れ、男は昏倒した。

 クリスティーが、恨めしそうな顔でベネットを見た。


「お気に入りだったのに」

「そんな事を言っている場合か!」


 花瓶など、後でいくらでも買えばいいだろう──とは、口に出しては言わない。

 今は無事に切り抜けることこそが、最優先事項だ。

 立ち塞がる処刑人を排除し、四人は裏口から外へと出る。


 幸いなことに、うらぶれた路地に人影はない。追っ手の姿もない。

 と。

 唐突に、ベネットの背中を悪寒が駆け上がった。

 赤黒い殺意が、奔流となって殺到した。


「伏せろ──っ!!」


 ソフィアを庇い、石畳の上に身を投げ出す。

 刹那、光熱波が襲った。

 背後にあった診療所が吹き飛び、耳をつんざくような爆音が続く。

 熱と爆風が、容赦なくベネットを叩く。


 ──何だ!? 何が起きたんだっ!?


 濃密な土煙が、視界を閉ざした。

 何が起きたのか、まったく理解できない。

 ベネットは必死に周囲の気配を探る。


 土煙が薄れるにつれ、前方にうっすらと人影が浮かびあがった。

 やがて輪郭をはっきりとさせた一団を見て、ベネットは呻く。


「武器を捨てろ! 背教者ベネット、凶音の魔女クリスティー!」


 権高で傲慢な声が、空気を震わせた。

 確認するまでもない。獰猛な肉食獣を思わせる笑みを浮かべるのは──リベリオである。

 その手には、赤い光を放つ槍が握られていた。





「呆れるくらい、執念深い男ね」


 クリスティーは立ち上がると、白衣についた埃を払った。

 嘲りを浮かべる男へと、鋭い眼光を向ける。


「診療所を吹き飛ばすなんて、やってくれたわね。部下が中に、大勢いたでしょうに」

「殉教は聖職者にとって、最大の悦びだ。連中は俺に、天国で感謝しているだろうよ」

「殉教? 犬死にの間違いでしょう」


 耳を疑いたくなるような主張を、クリスティーは冷淡に切り捨てる。 

 診療所を襲撃した処刑人らに、同情する気はない。

 だが、部下を平然と捨て駒とする態度には、嫌悪感を抱かずにはいられない。


 リベリオは舌なめずりをすると、狂気じみた宣言を口にする。


「さあ、武器を捨てろ。貧民街は完全に封鎖した。抵抗すれば、街を焼く。住人も皆殺しだ」


 薄ら笑いを浮かべた顔に、毒々しい悪意がみなぎった。

 それが口先だけの、脅しでないことは明白だ。


「逃げても、住民を殺す。お前たちの身勝手が、無辜の民を死に追いやるわけだ。さぞかし良心が痛むだろうな?」

「相変わらずゲス野郎ね」

「合理主義者と呼んで貰おうか」


 クリスティーは双眸に、侮蔑の色を浮かべる。

 対してリベリオは、悦に入ったような笑い声をたてた。仮面の下に、血の通わぬ打算が見え隠れする。


 兄の仇と背教者を葬り、薄汚い貧民街を一掃する。責任は、教皇派にでもなすりつければいい──リベリオの奸計は、どこまでも悪辣なものだ。

 良心の欠片もない。

 合理主義者というよりは、むしろサイコパスと呼ぶべきだろう。


 クリスティーは強い胸騒ぎを覚えた。

 リベリオの態度は、自信に満ちている。満ちすぎている。

 昨夜、地下牢で返り討ちに遭い、逃げだした男と同一人物とは、とても思えない。


 違和感の源泉は──やはり、あの槍か。

 赤い槍が、不気味に輝きを増した。


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