第55話 招かれざる客、ぞくぞくと

「もう、どこに行ったのよ!?」


 アリシアは苛立ち、親指の爪を嚙んだ。

 そろそろアフタヌーンティーの時間だというのに、赤毛の少女は見つからない。

 半日の間、双子はメアリーを探し歩いたが、足取りすら掴めない。


 首尾良く聖都に潜入したというのに……ほんの僅か目を離した隙に、これ、である。

 はっきり言って、嫌な予感しかしない。


「アリシア、あれ!」


 不意にエルシアが、通りの一角を指さした。

 プラタナスの街路樹がつくる、のどかな木漏れ日の間を人々が行き交う。

 その通行人を突き飛ばし、罵声を浴びせながら、走り抜ける一団があった。

 白を基調とした祭服に、顔の上半分を覆い隠す仮面──処刑人だ。


「あいつら……!」


 双子と処刑人には、浅からぬ因縁がある。 

 アリシアは白い頬に手をやって黙考すると、エルシアを見やった。


「ねえ? あたし、思ったんだけど」

「同感ですわ」


 何も聞かず、エルシアは深く頷く。

 改めて確認するまでもない。


 トラブルの中心に、メアリーあり、だ。


 双子は風を纏ったかのように、軽やかに駆け出す。

 気取られないように距離を保ちながら、処刑人を追い始めた。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





 砕けた硝子の破片が、水晶のように煌めいた。 

 招かれざる客は、窓からやってきた。

 数は二人、両手に短剣を構えている。リベリオが放った追っ手であろう。 


 廊下側に意識を向けていたベネットは、完全に虚を突かれた。

 振り返った時、既に拳銃の間合いではない。手元に飛び込まれている。

 とっさに背後に飛び退いたのは、悪手だった。


 診察室は狭い。背中が壁に当たる。

 斬撃を躱すほどの距離は、稼げていない。

 空気の粒子すらも分断しそうな一閃を、ベネットはかろうじて銃身で弾く。

 火花が散り、拳銃が手から飛んだ。


 ほぼ同時に、右斜めの方向から二撃目が襲った。


 ──早いっ!!


 ベネットは心中で悲鳴をあげながら、身をよじる。

 悪あがきにすぎないことは、分かっている。

 右の脇腹に鋭い痛みが走り、表情が歪んだ。


 急所を狙った無慈悲な一撃は──だが、深くはない。

 腹部をかすめ、壁板に深々と突き刺さっている。


 ──外した!? どうして!?


 理由はすぐに知れる。

 処刑人の手の甲に、銀色に鈍く光るメスが刺さっていた。

 クリスティーの投じたそれが、軌道を逸らさせたのだ。


 深く壁に刺さった短剣は、抜けない。

 ほんの一瞬生じた好機を、ベネットは見逃さない。


 武器はない。素手で挑むしかない。   

 身体は恐怖ですくむ。

 怖じ気づきそうになる心を叱咤し、果敢に一歩踏み出す。


 相手の左腕と胸ぐらを掴み、肉薄した。同時に円を描くようにして脚を払い、男の重心を崩す。

 渾身の力を振り絞る。短剣が閃くよりも早く、ベネットは処刑人を床に叩きつけた。 

 間髪を入れずに振り下ろした手刀が、意識を絶つ。


 ここまで秒針は僅かに二度、歩みを進めただけだ。

 師顔負けの、見事な手際である。

 ただし、凱歌を揚げるには、まだ早い。


 ──新手!


 息をつく間もない。

 もうひとりの処刑人が、急迫した。

 ひとり目に意識が向いていたベネットは、反応が遅れた。


 白刃が、宙にうなる。勝利を確信した男が、仮面の下に薄く嘲笑を浮かべる。

 ベネットの頸部を切り裂く、その寸前。

 処刑人の身体が、文字通り真横に吹き飛んだ。


「!?」


 男は数メートルの距離を転がり、壁に激突して動かなくなる。

 ベネットを救ったのは、またもクリスティーである。 

 その力は──魔法、ではない。


「ほんとあなたたちって、礼儀知らずの常識知らずね。扉と窓の区別もつかないのかしら?」


 心底呆れたように言い放つクリスティーの手には、銃身を短くした、散弾銃が握られている。


「ベネット、怪我はないかしら?」

「そんな物、どこで手に入れたんだっ!?」


 斬りつけられた腹部が痛むが、叫ばずにはおれない。

 銃火器は、審問官にしか所持が許されない、禁制品である。

 この魔女は、どんな魔法を使って手に入れたのか。


「私にはね、協力者のネットワークがあるの。武器も、あなたの幽閉場所を突き止めたのだって、彼らのおかげ」

「……教会内部に、協力者がいるのか」

「どうかしら? それは企業秘密ね」


 クリスティーは、意味ありげな微笑みを浮かべる。

 さらに問おうとして、ベネットは異変に気づいた。

 

 ──扉が、音もなく開いた。


 残念ながら、詮索の時間はないようである。

 武器を手にした処刑人が、なだれ込んでくる。


「せっかちな人たちね」


 クリスティーは、招かれざる客を平然と睨みつけた。


「夕方の診察は、まだ始まっていないの。出直して下さる?」


 もちろん、男たちは出直さない。たちまち診察室は、むせ返るような殺気で満たされる。

 床に落とした拳銃を、ベネットは拾い上げた。

 クリスティーが散弾銃を構える。


 処刑人が、一斉に動く。 

 乱戦が始まった。

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