第54話 白衣の魔女と悩める少年

 エレンがクリスティーに抱く敬意は、もはや妄信的とすらいってもいい。

 対してベネットへの態度は、一貫して刺々しい。


 魔女を狩る審問官の見習いという立場上、少女から警戒されるのは仕方がないが……あからさまな敵意は、さすがに傷つく。

 そんな居心地の悪さもあって、裏口に避難していたのだ。


 エレンの後を追い、建て付けの悪い扉を開く。診療所は、清潔ではあるが古びた印象だ。

 待合には、くたびれたソファーが置かれ、白い壁紙は、ところどころ破れている。

 午前中は患者で溢れていたが、今はひっそりとしていた。

   

 待合を見回すがエレンの姿はない。

 伝言を済ませて、そそくさと二階へ上がってしまったのだろう。

 上は私室となっていて、ソフィアが眠っているはずである。


 地下の地獄から共に脱出した少女は、ここに着いた途端、緊張の糸が切れたように眠りに落ちた。

 無理もない、と思う。


 気丈に振る舞ってはいたが、地下での出来事は、六歳の少女には過酷すぎた。

 そしてソフィア個人が抱える事情もまた、重い。

 祖父である枢機卿エウラリオの凶行を、いかにして止めるか……課題は山積である。


 小さく嘆息すると、ベネットは奥の部屋へと足を向けた。  

 一階は、こじんまりとした待合と診察室がひとつだけだ。

 案内がなくとも、迷いようがない。


 扉をノックすると、どうぞ、と返事があった。

 診察室へと入る。中は、机と簡易ベッドがあるだけの、簡素なものだ。

 診療録に万年筆を走らせていたのは、百合の花を思わせる気品を纏い、目鼻立ちのはっきりとした美人である。

 ダークブロンドの長髪は、上品にシニヨンで纏められていた。


「午前の診察が長引いたの。待たせて悪かったわね」


 クリスティーは顔をあげ、詫びる。

 午前の診察といいつつ、時刻は三時を過ぎている。


「いや……」


 少々困惑しながら、ベネットは首を振った。


 不敵で、狡猾で、冷酷。

 それが、ベネットが抱く魔女のイメージだ。 

 貧民街にある唯一の診療所で、分け隔てなく手を差し伸べる医師──それは、想像していた魔女像とは、随分とかけ離れている。 

 

「エレンはどうしたのかしら?」


 ベネットがひとりであることに気づいて、クリスティーは首をかしげた。

 肩をすくめた少年の顔を見て事情を察し、苦笑が返される。


「悪く思わないで。根は良い子なのよ」


 無言のまま、ベネットは頷いた。

 エレンが善良な娘であることに、異論を挟むつもりはない。

 事実、地下牢から馬車で逃走した際に命を救われた。


 ただし、謝辞は伝えていない。

 頭を下げようものなら「先生のご指示でしたので。そうでなければ、見捨てていました」などと、冷淡極まる返事をされるに違いない。


 ベネットは軽く頭を振った。

 陰鬱な想像を追い払うと、本題へ頭を切り替える。


「それで、私を呼んだ用件は?」

「座ってくださる?」


 促されて、ベネットは患者用の丸椅子に腰掛けた。

 女医を前にして……診察を受けるようで、どこか落ち着かない気持ちになる。

 縁なしのメガネをかけたクリスティーは、知性の宿った眼差しを向けた。


「話したかったのは、これからのことよ。あなたの考えを聞きたくて」


 これから、どう動くべきか。

 診療所に着いてから、ベネットはずっと思案していた。


 教会は、二つの派閥に割れている。

 教会法を軽んじ、不死を求める枢機卿派と、それに異を唱える教皇派だ。

 両派は長きにわたり、暗闘を繰り返してきた。


 だが、眠り姫とも揶揄される、教皇ミスル・ミレイが深い眠りにある今……圧倒的優勢にあるのは、枢機卿派である。

 教会と聖都を実質的に支配するのは、彼らなのだ。


 この不利を覆す手立てはあるのか──


「──まずは、アルヴィン師と合流しようと思う」

「悪くない考えね。その後は?」


 微笑みを浮かべ、クリスティーは問う。 

 ベネットは身を乗り出した。声に力がこもった。


「教皇派と共に決起して、会主ステファーナを討つ」

「その後は?」

「その後は……」


 問い返されて、ベネットは返答に窮した。

 思いもしない問いかけだった。


 会主さえ討てば、教会はあるべき姿に戻る。

 エウラリオや処刑人を拘束し、教会法により裁く。 

 それで、終わりではないのか……?


「あの人の弟子だからって、期待しすぎたかしら? それじゃ、及第点はあげられないわよ」


 クリスティーの声は穏やかだが、評価は手厳しい。

 ベネットは困惑した。


「……他に、敵がいるとでも?」

「そうね。会主を倒してハッピーエンドになるほど、話は単純じゃないわね」


 そう言うと、碧い双眸に真剣な色がたたえられた。


「大陸の破滅は──すぐ近くまで来ているのよ」

「破滅……?」


 穏やかならざる単語が飛び出して、ベネットは表情を変えた。

 クリスティーはそれ以上答えず、紅唇に人差し指を当てる。


「──?」


 その意味を、ベネットは瞬時に理解した。

 音を立てずに、立ち上がる。

 扉の、向こう側である。


 廊下に、息を押し殺した気配が感じられた。

 エレンではない。彼女なら、殺気など放つまい。

 ベネットは拳銃を手にする。


 気配を殺し、扉の脇に立つ。

 クリスティーに目で合図すると、頷きが返される。

 ノブに手をかけ──


 直後、けたましい破壊音が鼓膜を震わせた。

 窓硝子を突き破り、二つの影が診察室へと飛び込んでくる。

 虚を突かれ振り返ったベネットに、短剣の閃きが襲いかかった。 

 

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