第53話 狂い始めた歯車
「──どこまでもふざけたヤツめっ!」
エウラリオは、声を荒げた。
決闘を挑み、包囲を解かせた上で、船に飛び降りる──まんまとウルベルトの掌の上で、踊らされたわけである。
見え透いた挑発に乗った自分が、腹立たしい。
怒りにまかせて、長剣を橋に叩きつける。
その時だ。
「枢機卿エウラリオ!」
馬蹄がとどろき、黒鹿毛の馬が嘶いた。
駆けつけたのは、エウラリオの配下ではない。部下は皆、背教者を追った。
その男は、地下牢に配された伝令である。
呼びかけに、少年は川面を睨みつけたまま、反応を示さない。
ただならぬ様子に、馬を降りた男は逡巡した。
恐る恐る、進み出る。
「枢機卿エウラリオ……?」
「聞こえています。何事ですか」
口調こそ丁寧だが、声は低く、底知れない怒りが内包されている。
男は先刻の決闘を、目にしたわけではない。
だが、最悪のタイミングであることは容易に知れる。
そして報告しなくてはならないのは……最悪の中の、最悪だ。
顔を引きつらせながら、男は喉を震わせた。
「じ、実は……審問官リベリオが……グングニルの封印を……」
「誰の許しを得て、そんな勝手をしたのです!?」
鞭のような鋭い叱咤が、男を打ち据えた。
少年の背後で、陽炎のように怒気が揺らめいたのは、目の錯覚ではない。
息を呑み、伝令は身体を硬直させる。
「あれは、偉大なる試みの要です。秘密裏に、どれだけの手間をかけたと思っているのですか!?」
「お、お許しをっ」
「あなた方の処分は後で考えます」
情けない声をあげ、男は顔を青ざめさせた。
エウラリオは、怒りと不快感を隠さない。
リベリオの部下たちは、命に代えてでも止めるべきだったのだ。
忠義面で伝令を送ってきたところで、免罪符となるはずもない。
「私は、会主のご判断を仰ぎに戻ります。馬を借ります」
黒鹿毛の馬に、少年は跨がった。
禁書アズラリエルを手中に収め、白き魔女が逃げ込んだ、聖櫃の位置を特定するまで、あと一歩である。
計画は予定通りだ。
何があろうとも、揺らぐことは決してない。
だが──
──何故ここにきて、邪魔が入る?
──何故、偉大なる試みの、素晴らしさを理解しない?
──フシ トハ カゾク ヲ ギセイニ シテマデ エルモノカ?
ささやきが耳元に生じ、エウラリオはハッとした。
「誰です!?」
誰何に、答える者はいない。
橋にはエウラリオと、震え上がった哀れな男がいるだけだ。
気のせい……だったのか。
頭を振り、邪念を払った。
考えるまでもないことだ。
価値があるからこそ、決断したのだ。
不死は素晴らしい。家族など、必要ない。
馬の腹を蹴ると、エウラリオは教皇庁へ向け疾駆した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
師のことを、何も知らない。
今更ではあるが、ベネットは愕然とする。
四年前の、オルガナの首席。上級審問官ベラナの、最後の弟子。見習い期間に十人の魔女を駆逐したという、若き稀代の審問官……
そんな、上辺の情報ではない。
──師が何を考え、この聖都で何を成そうとしていたのか。
ベネットは弟子でありながら、知らなかった。
何も、知らされていなかった。
だが、無理もないと思う。師を恨む気には到底なれない。
お世辞にも、可愛げのある弟子ではなかった。
家柄と才能に恵まれ、苦労らしい苦労もなく、オルガナを首席で卒業した。
将来は師を超え、枢機卿に栄達する。そう確信していた。
……要するに自信過剰な、思い上がった小僧だったのだ。
とても、秘密を共有する、信頼のおける仲間ではなかっただろう。
だが、地下で教会の暗部を目の当たりにし、魔女と手を組むことになった今──ほんの少しだけ、師の思いが分かったような気がする。
話をしたい、と思う。
この街で何を成そうとしているのか──知りたい。
そして、これまでの非礼を詫びたかった。
「こんな所にいたんですか?」
不意に棘のある声がして、ベネットは顔をあげた。
振り返った先に、栗色の髪色をした、ボブカットの少女が立っていた。
クリスティーの助手──確か、エレンと名乗ったか。
そこは旧市街にある、古い家屋が密集する一角だ。
静謐な聖都に似つかわしくない、うらぶれた路地が迷路のように入り組んでいる。すり減った石畳の所々に、濁った水たまりがあった。
いわゆる貧民街、なのだろう。
その、少し傾いた建物の裏口に、ベネットは腰を下ろしていた。
甚だ不服ではあるが……今や彼は、魔女と結託し、教会に剣を向けた背教者である。
しつこい追跡を躱すため、クリスティーの隠れ家へと身を寄せたのだ。
ただし、ここを隠れ家と呼ぶのは、どこか釈然としない。
「直ぐに来て下さい。先生が呼んでいます」
エレンの声には、愛想の欠片もない。
そっけなく告げて、ベネットの返事を待たずに背中を向ける。
理由は分からないが……嫌われているようだ。
嘆息し、ベネットは腰を上げた。少女の後を追い、隠れ家に戻る。
足を一歩踏み入れると、消毒液の匂いがした。
狭い待合に、人の姿はない。
そこは、貧民街唯一の診療所だった。
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