第52話 美少年と強欲男 2

 互いの剣先が触れたのは、一瞬だ。

 機先を制したのは、エウラリオである。


 ウルベルトに剣の心得があるなど、聞いたこともない。

 足運びは緩慢で、素人然とした構えからしても、虚勢であろう。 

 だとすれば一刀のもと、首を刎ねるだけだ。


 これ以上、ペラペラと軽い舌を回転させる男と、同じ空気を吸うのは我慢ならない。

 自分を侮辱したことを、懺悔させる機会を失う──それだけが、心残りである。

 決着は、一合でつく。


 エウラリオの長剣が、銀色の弧を描く。

 斜め下から襲い来る痛烈な一撃を、躱す手立てなどない。

 絶叫と血しぶきが、朝日に向けて高くはねあげられた。


 ──いや、その寸前だ。


 ウルベルトが、素早く手首をひるがえした。

 挑発に乗る前にエウラリオは、狡猾な罠に嵌まったことに気づくべきだった。


 少年の顔を、黒煙が襲った。

 ウルベルトが左手に隠し持った、黒砂を投げつけたのである。 


「くっ!!」


 反射的に顔を庇ったエウラリオへ向け、短剣が投じられる。 

 だが、それは決定打とはなり得ない。

 少年が剣を振るい、難なく弾かれた短剣は、カン! と音を立てて橋上を転がった。


 小手先でエウラリオを討つことはできない。無論ウルベルトも、甘い目論見は抱いてはいない。

 足を、止められさえすればいい。


 次に見せたウルベルトの動きは、居合わせた全員の予想を裏切った。

 脱豚──いや、脱兎のごとく、俊敏に身をひるがえす。横たわるアルヴィンへ駆け寄り、担ぎ上げた。 

 そして、欄干の上に立ったのだ。


 まんまと小狡い手に嵌められ、エウラリオは屈辱で震えた。

 顔を押さえた指の隙間から、双眸を燃え上がらせる。


「待て、ウルベルト! 卑怯者っ!」

「生憎と、俺は卑怯が大好きでな。褒め言葉として受け取っておこう」


 ウルベルトは不敵に笑うと、欄干を蹴った。

 アルヴィンもろとも、川へ身を投じる。


「何を考えているっ!?」


 追いつめられ、自暴自棄になったのか。

 欄干へ駆け寄り、エウラリオは橋下に視線を投げ下ろした。


 既に水中に没したのだろう。背教者たちの姿を、エメラルド色の川面に見出すことはできない。

 そこで、ふと違和感を覚える。


 二人が飛び込んだ時、水しぶきはあがらなかった。

 それはつまり──


「ペテン師めっ!」


 エウラリオは一点を睨みつけ、吠えた。

 ウルベルトとアルヴィンの姿は──船上にあった。


 背の低い、平べったい形をした運搬船が、視線の先で大きく揺れていた。 

 クラウド川は、人や物を運ぶ運河としても機能する。

 したたか、と言うべきだろう。船が橋の下を通過するタイミングを狙い、身を投じたのだ。



 やれやれと、ウルベルトは甲板上で身体を起こす。

 命のやり取りをする最中に、船の動きにも気を配る──常人なら、尻込みしそうな芸当である。

 それをやってのける辺り、この男もただ者ではない。大した胆力だ。


「何だ、あんたらはっ!?」


 操舵室から飛び出してきたのは、船長だろう。

 無断乗船の二人組に気づき、目を白黒させる。 

 男のうち、ひとりは瀕死の重傷で、明らかに訳ありだ。


 パン! パン! と乾いた発砲音が連続し、船の周囲に水柱が立った。

 橋上に白い仮面の一団を認めて、船長はおののいた。


「面倒はごめんだ! 降りてくれ!」


 それは当然の要求であろうが、そうですか、と降りる訳にもいかない。 

 ここは川のど真ん中なのである。


 答える代わり、ウルベルトは船長に革袋を投げつける。

 それは甲板に落ち、澄んだ音を奏でた。緩んだ口から金貨が顔をのぞかせて、男は喫驚した。


「だ、旦那、これは……!?」

「この船は買い取る! 文句はないなっ!?」


 ヤケ気味に、ウルベルトは叫ぶ。

 それは一枚が、家と同価値で取引される、稀少金貨である。革袋の中には、少なくとも十枚はある。大損である。


 無論、文句などあろうはずがない。

 船長は首を、上下に激しく振る。 


 新たな船主は、橋上の処刑人に目を転じた。

 橋は遠ざかりつつあった。もはや銃弾は届くまい。


「マヌケどもめ、悔しかったらお前らも船で追いかけてみろ!」


 散財の恨みも込めて、ウルベルトはあざけりの声を浴びせる。

 エウラリオの愕然とした顔を思い出し、してやったりと腹を揺らす。

 だが……勝利の余韻は、そう長くは続かない。


「──旦那っ!」


 船長が、河畔を指さした。

 怒号をあげながら、処刑人らが係留してある舟に乗り込み始めていた。


「まずいぞ、意外と素直な連中だ」

「ど、どうするんですかい!?」

「全速力で逃げろ! 追いつかれたら、命はないぞ!」


 慌てて、船長は操舵室へと駆け込む。

 命を失えば、金貨など何の意味もない。地上の名誉と金は、天国には持ち込めないのだ。

 こうして舞台をクラウド川に移して、大人の鬼ごっこの第二幕があがった。

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