第51話 美少年と強欲男

「ようやく馬脚を露わしましたね? 背教者の逃亡に、手を貸した。もはや舌先で言い逃れはできませんよ」


 エウラリオの声には、弁明を許さない響きがある。

 もとより、この状況で申し開きをしたところで、爪先ほどの説得力もあるまい。


「──卿こそ、いい加減に目を覚ませ」


 アルヴィンの身体を横たえると、ウルベルトは眼差しを厳しいものに変えた。


「反逆を認めるのですね、ウルベルト?」

「教皇猊下に呪いをかけ、教会を私するのが正義と言うのなら、そうであろうな」


 皮肉たっぷりに言い返し、ウルベルトは開き直る。

 多数の処刑人に包囲され、逃げ場はない。

 荒事こそが専門のはずのアルヴィンは重傷で、あてにならない。


 絵に描いたような、絶体絶命である。

 だとすれば……遠慮する方が馬鹿らしい。好きに言わせてもらうまでだ。


「不死に、何の意味がある? 卿は会主に欺かれておるのだ」

「偉大なる試みは、人が神を超える崇高な挑戦なのです。所詮、俗物であるあなたには理解できないでしょう」 


 勝利を確信しているのだろう。 

 エウラリオの声は、優越感と自己陶酔に満ちている。

 冷ややかに聞き流すウルベルトを前にして、少年は声を立てずに笑った。


「哀れですね。あなたも自分の本心に素直になれば、こんなことにはならなかった」

「何の話だ」

「偉大なる試みが、我らに打ち明けられた時のことですよ。真っ先に、あなたが飛びつくと思いました。ですが、実際はどうですか? 欲深なあなただけが、首を縦に振らなかった。なぜです? 死が怖くない、とは言わせませんよ」


 ウルベルトは不快げに顔をしかめると、鼻を鳴らした。

 続いた声には、侮蔑と、辛辣な響きが伴う。


「俺が欲深であることは否定せんが、幸いにも人並みの羞恥心は持ち合わせておってな。死は、恐ろしい。だが、孫と変わらぬ姿となって平然としておられるほど、恥知らずにもなれんのさ」


 遠慮のないウルベルトの物言いは、エウラリオの痛いところを突いたのだろう。  

 天使のような朗らかな笑みの片隅に、影が差した。

 少年の声が、低くなった。


「あなたとは、最初から馬が合わなかった」

「珍しく意見があうな」


 ウルベルトは、ふてぶてしく笑う。


 これ以上戯れ言につきあう気はない、という意思表示なのだろう。

 少年が右手を上げた。

 同時に鞘鳴りの音が連鎖し、処刑人らが抜剣する。

 血に飢えた白刃が朝日を受け、禍々しく瞬いた。


「背教者を粛正しなさい」


 天使のような、淀みの一切ない澄んだ声が、死刑宣告を発する。

 逃亡者を、獰猛な包囲網がじわりと取り囲んだ。


 表情を変えず、ウルベルトは祭服に忍ばせた短剣を抜く。

 それは柄に、希少なピジョン・ブラッドのルビーをあしらい、刀身に緻密な彫刻が施された、儀礼用のものだ。

 武器というよりは、宝飾品の類いである。まったく実戦向きではない。

 だがウルベルトは、余裕の態度を崩さない。


「そういえば卿は若い頃、大陸で随一の、剣の使い手だったらしいな?」

 

 ウルベルトは豪奢な短剣の切っ先を、ゆらゆらとさせる。

 そして処刑人の背後に立つ少年に、からかうような声を投げつけた。


「部下の後ろにコソコソ隠れては、名が泣くぞ。範を示したらどうなのだ」

「……」 

「まさか短剣一本しか持たぬ俺が、怖いと? あの、エウラリオが?」


 それは、挑発としては見え透いたものであろう。

 だが、効果はあった。


「──怖い? 私が?」


 エウラリオの声が、遠雷を思わせる不穏な響きを帯びる。

 少年は初めて、笑顔以外の何かを浮かべた。


「それでは、手合わせを願おうか」

「いいでしょう」


 部下から、長剣を借り受ける。

 それは子供が扱うにしては、明らかに長く、重い。

 二、三度、無造作に剣を振ると、エウラリオは正眼に構えた。


 それだけだ。

 それだけで──空気が、一変した。


 早朝のひやりとした風が、薄い刃に変わったかのようだ。

 思わず呼吸をためらうほど、空気が張りつめる。

 エウラリオの構えは、一切の隙がない、練達のものである。


 ──よくある老人のほら話、ではなかったということか。


 だとすれば、短剣しか持たない相手を斬り伏せるなど、造作もないだろう。

 エウラリオは、鋭利な殺気を双眸に宿し、ウルベルトを睨みつける。 

 肥満体の男は……だが、その眼光を、平然と受け止めた。

 それどころか、唇の端に笑みを宿している。


「あなたがたは、手出しを控えるように」


 エウラリオの命と共に、包囲網が解かれる。

 短剣を構えた巨漢と、長剣を構えた美少年──実にアンバランスな構図で、二人の枢機卿は剣を交えた。


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